「体重が200g減ったら、チョコレートをこのくらい」異様な食事の実態【目黒5歳児虐待死裁判・母親への質問①】

急激に体重を落とした5歳の船戸結愛ちゃん。父親の暴力を恐れた母親の優里被告は、隠れて食べ物をあげるときも「袋を開けて音がしないもの」を選んでいたという。
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東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。

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現場となったアパート
Huffpost japan

結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したとされるこの事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が開かれている。

公判4日目の9月6日は、前日に引き続き被告人質問が行われ、優里被告が証言台に座った。

優里被告は、初公判の時のように大きく取り乱すことはなく、明瞭な声で検察の質問にはっきりと答えた。 

離婚話からギクシャク、結愛ちゃんを「取り上げられた」

前日の質問の中では、結愛ちゃんが亡くなる1カ月前の2018年2月から、父親の雄大被告(34)は結愛ちゃんと優里被告の接触を制限するようになったという発言があった。

午前中は主に、優里被告がどのくらい結愛ちゃんと接することがあったのかについて、質問が続いた。

 まず検察官が、優里被告の「(結愛ちゃんを)取り上げられた」という発言を掘り下げる。

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船戸優里被告に虐待の経過について質問する検事=2019年9月6日、東京地裁
Huffpost japan/Shino Tanaka

(検察官)ーー昨日あなたは、2月になってから雄大さんに結愛ちゃんを「取り上げられた」と話しました。取り上げられたとは、どういう意味ですか。

(優里被告)まず、離婚の話があったと思うんですけど、離婚の話の時って、私と雄大の間はギクシャクしているというか。

そういう関係なので、私は「結愛と2人暮らししたい」って言ったし、そういう思いがあったので、とにかく結愛の部屋に行って結愛と二人で話したりしてました。

その時にいきなり、雄大がドシドシ音を立てて入ってきました。「もうお前に育児は任せてられない!」って言われて。

結愛のことを、自分のほうに持っていくというか……。「息子を連れて部屋を出ろ」って言われたので、(自分は)出ていった。

それが「取り上げられた」っていうことです。

 

ーーその時から、具体的に生活に変わったことは。

その日から、東京に来てから(取り上げられた)その日になるまでは、私も結愛と接する機会がまだあった。

ですけど……いや雄大の監視というか目があったので、それほど普通の親子関係にはいかなかったですけど、でも結愛と接することはあって。

だけどそれ(取り上げられて)からは、雄大が起きてくるまでとか、結愛と隣で一緒に居れるってことがなくなりました。

 

ーー朝ごはんについては、ずっとあなたが炊いていた?朝は一緒にいるわけですね。

はい。

ーー(結愛ちゃんの)勉強を見たり体重を図ったりすることは、朝以外にもありますか。

朝だけ?はい。

 

裁判長が補足で質問を投げかける。

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検察官の質問に補足するように守下実裁判長が船戸優里被告に訊ねた=2019年9月6日、東京地裁
Huffpost japan/Shino Tanaka

 (裁判長)ーー勉強は朝だけ?勉強の時に一緒にいたんじゃないの。

その時は一緒です。

 

ーー朝だけじゃないよね。

はい。

 

ーーお風呂はあなたが大体用意をして、結愛ちゃんは着替えて自分で入るという感じだということだったんですが、近くにいるんですよね。その時は接することができるんですよね。

例えば、結愛の服を触ったりとか、脱がしてあげるそぶりとか、部屋からもってきてあげるとか、会話も雄大に聞かれてしまうと、雄大の機嫌を損ねる場合がある。

なので近くにはいるんですけど、結愛のほうを見ないようにって言ったらおかしいんですけど、うーん…。

ふつうの関わりではない感じでした。

 

ーーあなたが最後にお風呂に入れてあげたときに、(結愛ちゃんの状態に)びっくりしたみたいなんですけど、これまでも結愛ちゃんがお風呂に入るときに傍で着替えていることもあったよね。

2月の中旬くらいから、私がお風呂に入れることさえも、ダメになったというか。

そのタイミングもなかった。もう雄大と結愛が夕方も一緒にいることがあって。雄大からは「結愛と一緒にお風呂に入った」ということは聞いてたし、雄大が結愛のお風呂の準備をしていたと思うんですけど。

 

ーー2月の中旬くらいからは、あなたは風呂の準備をしなくなった。

私は私で、息子と入るときに湯を沸かしていました。

 

ーーなるほど。では結愛ちゃんが入るタイミングはいつ。

夕方です。私の前です。

 

ーーそうすると、誰かがお風呂に入れないといけない。湯を張ったり洗ったりは、誰がしているの。

お風呂を洗うのは雄大が結愛に何回かやらせていたみたいなんですけど、結局は雄大がしていたのか……。

途中から結愛はお風呂掃除をしなくなったと雄大から聞いた。

 

ーーあなた自身はやってないの。

私はやります。

 

ーーお風呂の準備を?あなたがしたのにまたほかの人がやるの?

やります。

 

ーー湯は入れ替えているということ?

はい。

裁判長は、何度か首を傾げ、少しいぶかしげな表情を見せ、質問は検察官に変わった。

日中は週4回程度、弟を連れて優里被告は外出。「夫の就活の邪魔をしないため」

(検察官)ーーほかのことを聞きます。被告人と(結愛ちゃんの)弟さんと、2人で外出することがありますよね。何か言われたから2人で出ていたんですか。

そうですね、はい。パソコンで就職活動をしていたみたいなんですけど、息子が雄大のパソコンのほうに向かって行っちゃうので、邪魔にならないようにということでした。

 

ーーいつからですか。

それを言われたのは、東京に着いてすぐぐらい。

 

ーーあなたと弟さんは、どのくらいの頻度で出かけていましたか。

感覚的には、毎日のように思うけど、毎日ではなかったと思います。

 

ーー出かける日と出かけない日はどんな違いがあるんですか。

特に意味はないです。

 

ーー結愛ちゃんのメモは、最終日が2月27日、火曜日の13時というのが最後の記載でした。その日以降は書き取りもできなくなっていたんですか。

できなかったかどうか、までは分かりません。

 

ーー嘔吐が始まっているんですが、このころ結愛ちゃんは、寝て過ごしていたんですか。

寝て過ごしてはいないです。私の記憶では、DVDを見てた?

そういう記憶はあります。

 

ーーノートの記載はしなくても良くなっていたんですか。

それが私も分からないところで……うーん(数秒間考え込む)。

私、その時たぶん、うーん…。

 

裁判長が、質問を整理する。

(裁判長)ーーこれまでは、約束を守らないと叱られたわけですよね。27日が最後で、28日とか3月の記載は無い。これについてはどういうことなのか。

もうこれは、書かなくていいのか、それとも違うのかなって。これまで、散々叱っているじゃない。

その時のことを振り返っても、何があったかよく思い出せなくって…。

でも、紙が無いってことは、たぶん雄大が怒るような態度ではなかった。

結愛が吐き出したことに対して、気が引けたじゃないけど、たぶんそれでもう休ませとこうという感じになったんじゃないかと思います。

最初の検察官が質問を切り上げ、次の検察官へ移る。

「体重200g減ったら、1枚チョコレート」「今日あげたら、やばい」異様な食事ルール

質問は、東京に移ってからの、結愛ちゃんに対する食事の異様な内容について聞かれていった。

(検察官)ーー食事ですが、朝は何をあげていましたか。

昨日も言った通り、前日とかに結愛に聞いて、とりあえず糖分を。

体重が増えなくて、カロリーがあって、結愛の好きなもので甘いもの。

チョコレートとか菓子パンとかそういったもの。

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チョコレートのイメージ画像
Frank Bean via Getty Images

 ーー食事の内容を、捜査段階でどう話したか覚えてますか。

捜査段階?

 

ーー検事さんとか、警察官の方にどんな話をしたかと。

スープとかあげた。そんな話をしてたかと思います。

 

ーーそれは正しいんですか。

スープもあげていました。

 

ーー(あなたが)検察官、検事に話したことで。転居した頃の話です。

『東京に転居して、最初のころは私が結愛に3食与えていた。食事は玉ねぎやわかめのみそ汁や野菜スープのような汁物。そのほかにレタス・トマト・キャベツ・玉ねぎなどが入ったサラダ、豆の総菜、豆腐や煮物、ヨーグルトなどといったものが1~2品だった』(2018年6月20日の供述調書)

これは間違いないですか。

 はい。

 

ーーさらに、「雄大が食事を管理するようになった」と言っていたのは2月の上旬ごろのことでいいですか。

厳しく管理し始めたのが、2月の上旬ごろです。

 

ーーこの頃について。

『朝あなたがみそ汁やスープに餃子やわかめなどを入れたものを作って与えていたが、それ以外は夫が結愛に食事を与えていた。茶碗や小鉢に入れたスープ1杯、実際に与えていないことも見ていたので1日に1食や2食ということもありました』(同)

それも間違いないですか。

毎日私がスープをあげているみたいになってるけど、毎回毎回スープってわけではなかったです。さっき言ったお菓子とか。

 

ーー『夫がいない時には、おにぎりやパン、カロリーメイトをあげていました』とありますが。

それもあげました。

(雄大被告が)外出や飲み会とかでいないときに、あげていました。

 

ーー雄大被告がいるとき、朝ごはんにはそういうものをあげていたんですか。

音がしないもの。袋を開けて音がしないもの。

あげれる範囲であげていました。

 

ーー「あげれる範囲で」というのは?どのくらい。週に1~2回?

どういう…これは頻度って言いますけど、どのくらいの頻度なんですか。

感覚でもいいですか。週に4日とかです。

 

ーー週に4日?1回にどれくらいあげるんですか。

朝ですか?

 

ーーあなたがあげるのは朝だけですよね。

いや、夫の外出時とか…。

裁判長が再度質問を仕切りなおす。

 

(裁判長)ーー夫が外出したときには、夕方とか夜とかということ?

夜とか、そうです。

質問が検察官に戻る。

 

(検察官)ーーあなたがあげるときに、どのくらいの量をあげていましたか。

朝は、チョコレートだと、コンビニとかに売っている、箱を1箱とか。板チョコで言うと1枚とか。量的に。

 

ーー1枚と言うと、市販のパッケージまるまるということですか。

はい。1枚の長方形のやつ。

 

(裁判長)ーー大きさが分からないんだけれども、例えば、15cmとかの大きなパッケージを想像するんですけど、どんな感じ。それとも小さいやつですか。

値段としては、いくらくらいの。200円とか100円とか。

ふつうの板チョコ……。

安かったら80何円とかで買える。ふつうは100円とかで買えます。

 

ーーキットカットみたいな小さいのではなくて?

うーん、こう、こういう感じの…。(ジェスチャーを交えて大きさを伝えようとする)

 

ーー1枚まるまる与えているの。

それは、加減があるんです。

朝、体重を量るときに昨日の体重より、例えば200g減っていたとしたら、だいたい私の感覚で、チョコレートをこれだけあげれるな、とかチーズをこれだけあげれるなって。

感覚的な話になっちゃって難しいんですけど。

 

ーー結愛ちゃんの体重を把握していたんだね。

前日からいくら、とか。そんな感じに。

 

(検察官)ーー朝ごはんだけでも週4日くらいそういうものをあげていたんですか。それはいつまで続いたんですか。

はい。たぶん飛び飛びなんですよ。あげれる日と、あげれない日と。

「今日あげたら、やばいな」って日と…そんな感じです。

 ーー結愛ちゃんが嘔吐して全く食べられなくなりましたよね。直前まではチョコレートなどを与えるということを週4日ほどしていたんですか。

そうですね。

目指せと言われた“15kg台”を切っても食事を与えず。「あげない方が結愛にとってストレスが軽いかも…」

ーー夫の理想体重が15.5kgという話が昨日でましたよね。

理想体重ではないんです。

香川県に居るときも、やっぱり体重のことは注意だけはされていたんです。

監視まではされていなくて、東京に来てから監視されるようになったんです。

とりあえず15.5kgを目指せと。「お前と結愛に言っても、15kg台になったことが無いだろう」って言われたので、理想と言うよりは、とりあえずということなんです。

だが、結愛ちゃんの死亡時の体重はわずか12.2kgだった。2月の時点で、すでに15kgを切ったにもかかわらず、その「とりあえず」を下回り続けた。

検察官は、問いただした。

 

ーー結愛ちゃんのノートを見ると、2月8日の時点ですでに朝14.7kgって書いてある。どうしてここで食事制限をやめなかったんですか。

どうして?

優里被告は、小さくひとりごとのようにつぶやいた。

少し驚くような、そもそもなぜそんなことを聞かれるのか分からないかのような、面を食らった表情を左側にいる検察官に向けていた。

数秒間考え、黙り、答える。

私が、これは私の責任なんですけど、私が雄大を恐れていたので。

やっぱり結愛にも…結愛に、ここでご飯をあげて、雄大を怒らせるよりも、ご飯をあげない方が結愛にとってストレスが軽くなるというか……。

良いんじゃないかなと考えていました。

 

ーーこの体重は夫も知っていましたよね。

知っていたと思います。

ーーなんで「15kg切ったからやめないの?」って聞かなかったんですか。

聞かなかったです。

 

ーー13kg台になってもやめなかったですよね。見た目も明らかに痩せてしまいましたよね。2月27日ごろ、雄大も「結愛の体重が減ってやばい」って言ってませんでしたか。

はい、言われました。

 

ーー3月1日には、お風呂に結愛ちゃんを入れて、あばら骨が浮き出て胸や足やお尻にも脂肪が無かったんですよね。

「このままじゃ死んじゃうかもしれない」って不安にならなかったんですか。

死んでしまう…とまでは思わなかったんです。

とにかく「心配だ。でも大丈夫、大丈夫」って自分に言い聞かせていました。

「アザになった結愛の顔が怖くて…」目をそらした暴力の“痕跡”

質問は、結愛ちゃんが受けた暴力について及んだ。

雄大被告が行ったという暴力について、罪状認否で優里被告は泣きながら「知らなかった」と語っていた。

検察官は、暴力の“痕跡”を一つずつ挙げ、どこまで認識していたかを確認していく。

(検察官)ーー雄大さんの暴力の話を聞いていきます。

昨日も、結愛ちゃんの身体に170以上の傷やアザがあったという話をしました。雄大さんは、仕事が見つからず機嫌が悪いことが多く、結愛ちゃんの些細な言動で暴力を振るっていたんじゃないですか。

私が見た限りなんですけど、声を荒げない、語りかけるような説教というのがありました。

 

ーーたくさんの傷やアザを自分で作れるわけじゃない。雄大さんが付けたんじゃないですか。

知らなかったでは…私は結愛の母親なので、知らなかったでは済まされないって今は思っています。

 

ーーたびたび香川でも暴力を振るったのは知っていましたよね。あなたが息子さんと外に出ているときとか、結愛ちゃんに暴力を振るっているって思わなかったですか。

私が、家の中にいることが雄大にとってのストレスだって私はかんがえてしまっていて、私が雄大の言うことさえ聞いていれば、結愛へ攻撃しないって思いました。

 

ーー結局、あなたが外に出ることで、雄大にとっては「実の息子が、見てもいないし聞いてもいない」という環境になる。より結愛ちゃんへ暴力を振るいやすい環境にしていると思わなかった?

その時は思わなかったです。いまはそう思います。

 

ーー家に帰った時、結愛ちゃんに暴力振るわれていないか心配で、結愛ちゃんに「何かされてない?」って聞いたり、身体にアザが無いか確認したりはしなかったの。

結愛に近づくと雄大の機嫌が悪くなるので、また結愛に説教されると私は結構いらんことをしてしまう。雄大の機嫌を損ねてしまうので、結愛には怖くて近づけなかったです。

 

ーー朝は(結愛ちゃんと)2人きりですよね。その時に「昨日ママがいない間に何かされなかった?」「身体見せて」っていうことはしなかったんですか。

しなかったです。それよりも、とにかく静かに行動して、静かに雄大からの指示の(結愛ちゃんの)体重を量って、朝起きた時間を書いてって、その間にお菓子をちょっと食べて、そのことしか頭になかったです。

 

ーー雄大の調書には、外出してあなたが家に帰ってきたときに「今日もいつもと変わらないしつけを結愛にした」という話を聞いてね、「あー今日も暴力振るったんだな」とか思いませんでした?

暴力というよりかは、説教されたんだなって思いました。

 

ーーその点について、警察官になんて話したかって覚えてますか。あなたが外出から帰ってきて、どう思ったのか刑事さんに話したことはなかったですか。

私の記憶では分からないんですけど、雄大の調書には「残念だね」って書いてありました。

 

ーー事件の3日後の(供述調書)ですね。毎日午前10時ごろから午後2時ごろまで外出して「私たちが帰宅すると、毎回夫が『結愛がまた嘘を吐いた』と言っていたので、私はまた夫が結愛に対してしつけと称して叩いたり、長時間立たせたり、ベランダに出したりしているなと思っていました』て話しているようですが、思い出しますか。

私の記憶力が悪いんですけど、そう書いてあるならそうだと思います。

 

ーーあなたは結愛ちゃんのことに関して「残念だね」って発言したことはありますか。

たぶんあるんだと思います。

 

ーーあなたは、そういう風に、雄大の暴力を容認していたんじゃないですか。

(10秒ほど押し黙り)……容認…。

 

ーー分かっていながら見過ごしていたんじゃないんですか。

結果を見れば、容認になるんだと思います。

 

ーー2月下旬ごろの話を聞きます。結愛ちゃんが顔を腫らせてアザになっていたことはありませんでしたか。

2月の下旬ですか?アザが腫れていたというほどではないです。

検察官がジェスチャーを交えて説明する。

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検察官が指し示した2月下旬に新たにできたとみられるアザの部位
Huffpost japan/Shino Tanaka

 ーーちょうど、目と鼻の間のくぼんでいるところなんですけど。こういうことが、2月の下旬、26、27日ごろにあったていう記憶はないんですか。青っぽくなっている。

青じゃなくて、黒っぽい感じです。

 

ーー黒いアザみたいなものがあったというのは覚えている?

はい。

 

(裁判官)ーー雄大の供述調書を読み上げましたが、雄大が言うには、2月の下旬ごろ、暴行をふるい、顔全体が腫れていて両目が開かないくらい青アザになっていると。そういう状態に結愛ちゃんがなっていて、あなたは気が付かなかったの?

優里被告は、要領を得ない表情を見せ、質問を理解しようと「ハイ」とうなずきながら聞いた。

 

ーー今日の話だと、ずっと前からあったのかとかしか分からないので。

優里被告はまたじっと黙り、少し首をかしげた。

ごめんなさい、ちょっと理解ができないです……。

検察官に質問が戻り、再度2月下旬の結愛ちゃんのケガについて話を進める。

 

ーー2月下旬の傷に気が付いたかって話なんですが、(事件5日後の)3月8日に検事さんの調べがあったと思うんだけど、何て言ったか覚えてる?

目の話ですか?

 

ーー思い出せないなら言うけれども、『2月26日か27日の朝、結愛が起きてリビングにやってきたとき、私は結愛の両目の周りが青くなってアザになっているのを見ました。結愛の両目の周りにそうしたあざができていたのは初めて見ました』というような。

はい。その時は、2月26日27日あたりが初めてのアザという認識でした。

 

ーー昨日、2月2日の暴行があってアザができたという話をしているんだけど、それは26、27日の勘違いということはありませんか。

えっと……先月に証拠を色々見ていたんですけど、その時に思い出しました。2月の上旬にもアザがあったっていう。

改めてできたというわけではないんですけど、2月の上旬のアザがずっとあって、消えてるな、消えてるな、消えかけてるなって思ったのに、2月の下旬ごろに、もともとあんまり結愛の顔が怖くて見れなかったんですけど、何かアザが薄くなっているはずなのに黒くこう…変わったなと思ったことがありました。

 

ーー目の周りにアザができた後なんですけど、雄大があなたが家にいるときに結愛ちゃんを連れて行って、冷水シャワーを浴びせたりそういうことはなかったですか。

それは無かったです。

 

ーー雄大の調書に書いてあるんですけど、『殴った次の日、(あなたも息子さんも)家にいるときに、結愛ちゃんを風呂場に連れて行って大体何をしていたか音を聞いていたので分かったんじゃないか』ってあるんですが、記憶にはないですか。

その調書を読ませてもらったんですけど、あたしの記憶と全然違う事実って言うのが結構あって、だからその水風呂がどうのこうのって書いていたのも、どの話をしているのか分からないです。

 

ーー雄大さんが嘘を吐いているということですか。

嘘かは分からないんですけど、それは雄大にとっての事実かもしれないし、だけど私にとっての事実は、どの話を何を言っているのかが分からない。

 

ーー殴った次の日に結愛ちゃんを雄大がお風呂場に連れて行ったという記憶は。

それはないです。

優里被告は、感情的になることなく聞かれた質問に答えていった。

この後、検察官は雄大被告の結愛ちゃんへの暴力から、優里被告への暴力について聞いていった。

そこでは、かすかなSOSを拾おうとする周囲と、助けを求めながらもすれ違う優里被告の姿があった。 

5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します

2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。

「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。

行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。

この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。

この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。

子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。

もしこうした苦しみや違和感を覚えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。

必ずあなたと子どもを助けてくれるところがあります。

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