【追悼】ジャニー喜多川さんギネス受賞インタビュー再掲「私は才能がある子を選ぶのではなくて...」

9月4日、東京ドームで「お別れの会」が開かれる。
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ジャニーズ事務所
時事通信社

【追悼】ジャニー喜多川さんインタビュー再掲「1秒だって飽きさせることは許されない」

ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川さん(享年87)の『お別れの会』が4日、東京ドームで開催される。ジャニー喜多川さんは2011年、『ギネス・ワールド・レコーズ』にて、「1974~2010年に計232曲のナンバーワンヒット曲を生んだ」、「2000年から10年の間に計8419回のコンサートをプロデュースした」業績で世界一認定を受けた。オリコンが発行しているエンタテインメント・ビジネス誌『オリジナルコンフィデンス』(現『コンフィデンス』)では、2012年3月19日号で単独インタビューを掲載。ギネス世界記録認定への想いを入口に、タレントのプロデュース法やショービジネスへ掛ける想いを聞いた。改めてその功績を偲び、かつジャニー喜多川さんの熱い想いが次世代へと受け継がれていくことを願い、当時のインタビューを再掲する。(インタビュー/小池恒) 

■ショービジネスは人が休むときに活動しなければいけない

――ギネス世界記録認定おめでとうございます。

【喜多川】オリコンがあるからこその今回のギネス認定であると思うんです。それ相当の信頼性のあるデータがないと、我々がいくらあれこれ言ったところで世界記録として認定されませんから。 

――ここに「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした」という232曲のリストがあります。 

【喜多川】「この曲は誰のだっけ?」ってとっくに忘れているものもあるからね。自分でも知らない記録を(オリコンが)掘り起こしてくれるからこその世界一認定です。有難うございました。 

――ジャニーさんの記録を通じて、オリコンのデータがギネスに認められたというのは、我々にとっても非常に有難いことです。改めて記録を見ると、74年に初めて1位を取って以降、各年代で絶えず1位を獲得されています。 

【喜多川】長く同じ仕事を同じようなペースでやってきたおかげで、こういう記録になったわけです。でも、先ほどお話ししたように僕は記録も含めて覚えていられない。だからオリコンさんにはこれからもきっちりデータを取り続けていただきたい。 

――パッケージを売ることについての意味合いについてどのようにお考えですか。昨年、久々にシングルマーケットが10%を越える上昇をし、一時期の何から何までもデジタル配信だというような時代からちょっと変わっているように感じています。 

【喜多川】ボタンひとつ押せば、音が音楽と意識されないままどこからでも聴こえてくる状況は、良くないと思うんですよ。そこにCDというフィジカルなものがあるから聴くことができるという発想でないと。作り手側がいかに大切に、責任を持って作っているか。我々は、常に、1枚のCDをずっと手許に、記念として置いておきたいと思ってもらえるようなものにしたいと考えているんですよ。だから売ればいいとか、ばら撒けばいいという問題でもないわけですよね。今の時代は作品としてのレコードをちょっとお粗末にし過ぎではないかと思いますよね。 

――この10年間に8419回の公演をプロデュース。単純計算すると年間で800回以上ですから、1日2公演以上でないと達成できない記録です。今も2ヶ所で公演されています。 

【喜多川】この歳になって、企画、構成、演出まで全部やるのは大変なことなんですよ。しかも、幕が開いたら終わりってわけにはいかないから、毎回必ず現場に行って見ています。だから、2月は大変でした。大阪へ行って、その後に東京へ戻って日生劇場と帝国劇場と両方に行って。昔のショービジネスは、365日休み無しでした。僕はそういう中で育ったので、それを当たり前のように思ってやっていましたが、最近は、「1日3回公演で」と言うと、ホール側から「冗談じゃない」ってよく断られるんですよ。でも、こっちは見たいお客さんのために1回でも増やしたいっていう思いがある。ショービジネスは人が休むときに活動しなきゃいけない。だから帝劇も含めて1月1日から、皆さんにはご迷惑かも分からないけれど、ジャニーズの公演を行っているわけです。 

 僕は、年末のカウントダウンから正月までぶっ通しですが、それは僕個人の活動として、ごく当たり前のことです。でも、今は、法律もあるからタレントには強制できないですよね。そういう意味では、かつてのショービジネスの中で生きてきた人間と、今の時代の人間と、うまく共存していかないと、大変なことになるわけですよね。 

■帝劇のミュージカルを外国人にも見に来てほしい

――ジャニーさんの1日の稼働時間はどのくらいになるのですか。

【喜多川】僕は5分寝ろと言われたらすぐに寝ることができますから、無駄な時間は絶対にない。だから稼働時間なんて考えたことはないですね。 

――『SHOCK』(※1)をはじめ、舞台で主演するタレントは、毎回、限界にチャレンジしているような気さえします。 

【喜多川】それはその通りです。海外も含めて、危険な演出はスタントマンが行い、スタータレントは絶対にやらない。でも、それを本人がやるからこそすごいんです。『SHOCK』はもう12年続いていて、しかも、今回は1月に博多で公演を行った後、2~4月は帝劇と4ヶ月のロングランです。普通に考えたら、そんなに体はもたないはずなんだけれど、(主演の)堂本光一は自分で計算がたてられるから、絶対にやれるという自信を持っている。こちらは、いちいちお節介に心配ばかりしますが、これも素晴らしいことだと思います。 

――見ていてヒヤリとしたことなどはありませんか。

【喜多川】僕が心配するのはお客さんのほうです。お客さんの上を飛んだり、いろんな仕掛けをしたりしていますので、大丈夫かどうかを見届けるためにも、公演には必ず立ち会わなきゃいけない。そういうところは気が抜けないですよね。 

 今年、帝劇に関しては、1年のうち7ヶ月は僕が担当するんです。その最後となる11月、12月の公演は、ミュージカルの集大成のようなものを作ります。それぞれの主役を演じたタレントたちが出演するという構成を考えているんです。僕は、それを是非、外国人にも見に来てもらいたいと思っている。東日本大震災以降、外国人の客が日本に来なくなったと言われていますが、今回のギネス記録認定が良い手がかりになって、ギネス記録になった芸術、ミュージカルとはこういうものであるというのを、見に来て欲しい。 

――もうすぐ震災から1年が経過しますが、ジャニーズ事務所による「Marching J」の活動は、日本でも最大規模の復興支援プロジェクトの一つではないかと思います。阪神・淡路大震災のときもJ-FRIENDSを結成し、チャリティ活動を行われていますね。 

【喜多川】未曾有の災害を目の当たりにして、誰もが何かをしなければならないと考えます。そういう時に、いつもメリー(メリー藤島副社長)が具体的な行動の指針を示してくれるんですよ。僕はそのサポートはできますが、やはり細かい気遣いは女性ならではのもの。具体的な判断をどんどんしないといけませんから、いつも頭の下がる思いです。 

■ネーミングは閃き 世間に浸透させれば、皆ついてくる

――タレントをプロデュースされる際に、毎回ユニークなテーマやキャッチフレーズをジャニーさんがお決めになりますね。 

【喜多川】まぁ、子どもを産んだらお母さんが名前をつけるようなものですが、それから、いかに生きていくかは本人たちの責任。だから、僕は大人になってからは細かいところはあまり関知しないで、好きなようにやらせています。 

――グループを組む際に、人数も含めてどういう基準でメンバーを選ばれているのですか。

【喜多川】それは企業秘密(笑)、というのは冗談ですが、その時々に応じてとしか言えません。季節に応じて皆さんの気持ちが変化するのと同様に、僕らのショービジネスもそうじゃないとおかしいと思うんですよ。もちろん計算はしています。かつて、少年隊はずっと単独コンサートを行っていて、レコードデビューしたのは7年目でした。でも、昔は上手から下手に行くのに3年かかるという教育でしたけれど、昨日今日出てきてもやれる素質を持った人もいるわけでしょう。その2つを活かす方法があるわけですよね。 

――ネーミングの発想は何から生まれるのですか。

【喜多川】たとえば、。この名前は閃いて5~10秒でつけたんですよ。「名前どうする?」って依頼があって、「Aからスタートする名前ならなんでもいいや。たとえば嵐とかね」って(笑)。みんな僕が付けるとダサイって反対するんですよ。でも、世の中に浸透させれば、皆ついてくるんですよ。 

――ジャニーさんが芸能界を目指されたのは何がきっかけでしたか。

【喜多川】僕の父はロサンゼルスでわかりやすく言うと牧師さんのような仕事をしていました。皆が集まるホールがあったんですが、そこを終戦後に劇場として解放したんですよ。そこに、美空ひばりさんや笠置シヅ子さん、服部良一さんらが興行に来たわけです。そこで、僕がタレントさんの通訳を任されたんですが、皆さん、僕を子ども扱いせず頼ってくれて、すごく可愛がってもらいました。僕が芸能界を目指したルーツはそこにあるんですよね。 

――ステージの構成や演出で、影響は受けたものはありますか。

【喜多川】小さい頃からショーやミュージカルを、アメリカで実際にたくさん見てきました。ジョセフィン・ベーカーにジュディ・ガーランド、レスター・ウィリアムス等々、とても華やかでしたね。A.B.C-ZのDVD『Za ABC ~5stars~』(※2)も、フレッド・アステアのミュージカル映画の影響を受けています。やっぱり昔のでないと。今は影響を受けるようなものは何もないから。 

 昔のショーは、ライブや映画の要素を併せて持っていないと、どこでも通用しなかった。今はバラバラでも通用しちゃう。これが気に食わないの。ライブや映画といった要素を全部入れたい僕の演出は、「ライブなのかミュージカルなのか分からなくなっちゃう」と言われることもあるけれど、人を飽きさせることは絶対に許されないし、実際のところ、1秒だって飽きさせることはないと思います。 

■才能で選ぶのではない やる気が大事

――かつてはアイドルの寿命は30歳までという感じでしたが、以前、「一生できる仕事にしたいという思いがある」とジャニーさんからうかがったことがあります。たとえば、近藤真彦さんは今、47歳ですね。 

【喜多川】僕にしてみれば、まだまだ子どもって感じですけど。芝居では40~50歳のおじさんがティーンエイジャーになりきった演技をすることもある。ショービジネスでは、そう演じ切れることが大事なわけですよ。そして、演じ切るにはある程度のキャリアがないとできません。そういう意味では、杉村春子さんや森光子さん等はすごいと思いますよ。ショービジネスは、そういうものを受け継いでいかないと。 

――アイドルの価値観もずいぶん変わりましたよね。昔は格好良い子だけを指していたのに…。 

【喜多川】うちは格好良い子を選んでいるんじゃなくて、格好良くなっちゃうんです。グループを結成する時は、「なぜこんな子を選んだの?」って言われることも多いのですが(笑)。でも、その子にはその子なりの良いところがたくさんあって、全員がそうなんです。だから、「才能があるから選んだ」というのはあまりなくて、一緒にやっていくうちに良さを見つけ出していくのが、一つの楽しみ。光GENJISMAPも皆そうです。光GENJIはテレ朝の稽古場で、「この中でスケートを滑りたい人」って訊ねたら7人が手を挙げた。「じゃあ行こう」って連れて行ってスケートを教えたら、すぐにスイスイ滑るようになった。それだけのことなんだけれど、でも、それが大切。先日も、マイケル・ジャクソンの振付師だったトラヴィス・ペインが来て、Jr.の子 6人のオーディションをしたんですが、彼が「全員大丈夫だよ。すごいよ」って。ぱっと集まって、すぐにできてしまう。どんな子でも、その子にやる気があればやるんですよ。我々はそれを活かしてあげればいいんです。 

――ところで、昨今の韓国ダンスグループの活躍をどのようにご覧になっていますか。

【喜多川】終戦からしばらく経って、17ヶ月間、韓国に滞在したことがあるんです。当時の韓国と日本を比較すると、日本も大変だったけれど、まだ恵まれていましたね。その国が今や日本を制するくらいの勢いと言われている。日本って情けない国だと思った。日本はのんびりしすぎているのかもしれないね。そのへんは、うちのタレントにもはっきり意識させていますよ。 

――アメリカで育って、来日して、日本の文化を作ってこられたジャニーさんには、もっと日本人が世界一を目指すべきだという思いがあるのでしょうか。 

【喜多川】その通りです。今回のギネス記録にしても、なぜ日本人(アーティスト)が、もっと載っていないんだろう、という不思議さがありますよね。もっと日本から世界に認められるものを発信していかないといけないし、認めさせるようにしないといけないんですよね。そういう意味でも、年末に行うミュージカルは、外国人に見に来てもらいたいですね。 

(『オリジナルコンフィデンス』2012年3月19日号掲載)

※1:堂本光一(KinKi Kids)が座長・主演を務めるミュージカル作品シリーズ
※2:『Za ABC ~5stars~』で2月1日にDVDデビュー。タイトル曲は1カメ・ノーカット撮影でライブ感に溢れた仕上がりになっている

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