東京都目黒区のアパートで2018年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんが亡くなった。
結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したとされるこの事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の公判が9月3日に始まった。
検察官による冒頭陳述で過換気症候群のような状態となり、結愛ちゃんが亡くなる直前の様子を聞きながら泣き崩れた優里被告。
弁護側の冒頭陳述では、夫の雄大被告(34)とのいびつな力関係、そして虐待や暴力を制止できなかった「心理的DV」の様子を紐解いていった。
「怒ってくれてありがとう」DVを受け、夫に対し次第に抵抗できなくなっていった
保護責任者遺棄致死罪の成立については、弁護側も検察側も争いはない。
ただ、弁護側は虐待死に至った背景には、雄大被告の優里被告に対する心理的DV(ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力)があったことを主張した。
精神的な支配下に置かれ、正常な判断がつかなくなっていく様子を、弁護側が克明に示した。
「なぜ、自分の子を救えなかったか。この事件を知った誰もが思う疑問でしょう」
優里被告の弁護人が語り始めた。
「そこには雄大さんの心理的支配がありました。優里さんは、雄大さんの結愛さんに対する仕打ちに反発することもありました」
だが、時を経るにつれ、優里被告は雄大被告がやることに抵抗できなくなっていったという。
「執拗な心理的DVを受け、次第に反発できなくなりました。まるで洗脳されているような状態です。刑を決めるには、心理的DVの過酷さを理解する必要がある」
弁護人は、検察と同じく時系列で、優里被告の目線から次のように説明した。
優里被告と雄大被告は、職場の同僚として知り合った。
8歳年上で、広い世界を知っている人。何でも教えてくれる憧れの人だった。
「この人と理想の家族を築きたい」と優里被告は思うようになった。
結愛ちゃんの弟を妊娠したあたりから、雄大被告が優里被告を説教するようになった。
「お前は子育てができない」「結愛のしつけができていない」と子育てを否定された。失敗したことを何度謝っても、執拗に追及された。
当初は反発し、ケンカすることもあった。
「どうしたら彼が納得してくれるのか」と悩み、自分の太ももに青あざができるほど自分で叩いたこともあった。
雄大被告は「説教するのは、お前と暮らすためなんだ」と延々と説教を繰り返した。それは陰湿で執拗で、連日2~3時間続いた。
次第に、優里被告は「彼は自分のためを思って、言ってくれているんだ」と考えるようになった。
優里被告は携帯電話のメモに「原因はこれ。同じミスをしないようにします」と保存し、説教が終わったら「怒ってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えるようになった。
優里被告は雄大被告に迎合していき「彼が正しい」と考えていった。
しかし、この説教は次第に優里被告ではなく、結愛ちゃんへ向かうようになっていった。特に厳しくなったのは、弟が生まれた2016年9月ころからだった。
雄大被告は「愛想が無い」「挨拶ができない」と怒るようになった。優里被告が止めに入ると「止める意味が分からない」と言われエスカレートしていった。
この時、優里被告は離婚も考えた。一方で「結愛に厳しくするのはお前のためなんだ」と諭された。
何度も刷り込むように言い聞かせられ、「私の育て方が悪かったんだ。結愛のために説教してくれた」と思い込むようになっていった。
弟が生まれて2カ月たった2016年11月ごろ、衝撃的な出来事があった。
雄大被告が激高し、優里被告の目の前で結愛さんの腹を蹴った。優里被告は突然の出来事に身体が硬直し、泣きだした。「やめて」と言ったが「お前がかばっている意味が分からない」と優里被告を怒った。
その後も、雄大被告が結愛ちゃんの頭を叩くなどの暴力がしばしば見られた。
嘘の口裏合わせ、メモを覚えこまされ児相との板挟みに
子どもへの暴力を目撃することも、心理的DVの一つだという。
腹を蹴る暴行を目撃したことについて「見ること自体が恐ろしいが、止めに入った自分も怒られ、優里さんは雄大さんへ恐怖を感じ、心理的支配がさらに強固になっていった」と弁護人は語った。
当時のDVの様子を聞きながら、優里被告は少し落ち着いていた呼吸が再び荒れ始め、顔はさらに青白く血の気が引いていた。
2016年12月、児童相談所へ結愛ちゃんが一時保護される。優里被告は「よかった」と思いつつ「自分も保護されたかった」と感じていた。
児相でも、優里被告の保護について検討された。
だが優里被告が保護されることはなかった。2017年3月、結愛ちゃんは再度保護される。この際、雄大被告は結愛ちゃんへの暴行を否定していた。
雄大被告は「結愛は児相に可哀そうな子だと思われたいから嘘を吐いている」「自分を逮捕させようと嘘を吐いている」と優里被告に言い聞かせた。
弁護人は、雄大被告が児相へ敵対心を持っていたと指摘し、優里被告に対する口裏合わせの強要についてさらに言及した。
「結愛への暴力はない」「結愛が嘘を吐いている」と言うように、雄大被告は優里被告にメモを渡した。
優里被告はそのメモを徹底的に覚えこまされ、雄大被告の言い分をそのまま児相に伝えるようになった。
児相に言われたことを雄大被告に伝え、それに対する回答を雄大被告からさらに教え込まれるというループに陥っていた。
児相に雄大被告の言い分を伝えると、児相からは雄大被告を説得するよう求められる。板挟みの繰り返しに精神をすり減らし「児相はこの苦しみを理解してくれない」と考えるようになった。
結愛ちゃんの一時保護が解除されても、雄大被告と結愛ちゃんの関係性は最悪のままだった。
医療機関に通い始めたことが、優里被告にとっての転機に。しかし転居で環境は悪化
ストレスで過食嘔吐を繰り返すようになっていた優里被告。
雄大被告は「女性の食事は少なくていい」「太った女は醜い」と優里被告に対してののしり続けた。
そのため、雄大被告の前で優里被告は食事ができなくなった。隠れて過食しては下剤を飲んで吐く、ということを繰り返した。
2017年8月に医療機関に通い始めた、担当医には、自身の過食嘔吐や雄大被告との関係など苦しみを告白できた。
担当医は優里被告のSOSを受け、雄大被告から精神的に支配されていたことに気が付いた。
そして担当医は児相にその旨を伝えていた。だが、優里被告が保護されるには至らなかった。
2017年12月には、傷害容疑で書類送検されていた雄大被告が不起訴になる。
この不起訴は、「結愛に暴行はしていない」という雄大被告の主張を正当化する言質を与えた。
2018年1月、児相による「児童福祉司指導措置」が解除され、医療機関にも通えず、優里被告はサポートがないまま東京へ向かった。
雄大被告は上京する直前の11~12月は、機嫌が良く暴行をふるうこともなく、説教が少なかったと優里被告は感じていた。
12月に雄大被告が先に東京に行ってから、1月下旬に優里被告と子どもたちが上京するまで、優里被告はのびのびと過ごしていた。
「東京には友人もたくさんいる。仕事もほぼ決まっている」と語る雄大被告に対し、機嫌よく過ごしてくれるのではないかと期待していた。
しかし現実は、そううまくは回らなかった。歯車が狂い始め、虐待がエスカレートしていった。
虐待を止めようとする優里被告の“努力”の方向も、すれ違っていく。
雄大被告は無職のままだった。ずっと家にいて、不機嫌な様子を見せていた。雄大被告と会わずに香川県で過ごしていた間、結愛ちゃんの体重が増えたことにも「だからお前はダメなんだ」と激しく怒った。
そして「一からやり直す」と結愛ちゃんの食事制限が始まった。
2月2日、トイレで結愛ちゃんと雄大被告が話していた。すると、パンパンと叩いた音がしたが、「止めに入れば、またさらにひどくなる」と思い、じっとしていた。
翌朝、結愛ちゃんの目の周りが黒くあざになっていて顔を叩いたことが分かった。そのあざに対し雄大被告は「ボクサーみたいだな」と笑っていたという。
「バカにされている」と思った優里被告は「叩くのは止めて」と泣いて懇願した。
雄大被告は「もう叩かない」と言ったが、優里被告はもう我慢できず「離婚してほしい」と伝えた。
「結愛は私が見る。息子は置いていくから」とも話した。
すると雄大被告は息子に向かって「お前捨てられるんだな」と言い放った。
離婚を否定し「子どもを捨てるひどい母親だ」と責め立てるようになった。
優里被告は絶望し、その後、結愛ちゃんを雄大被告が取り上げた。日中は優里被告が弟と共に出かけるよう命じられ、結愛ちゃんの食事はすべて雄大被告がみることになった。
結愛ちゃんを部屋に閉じ込め「朝早く起きる」「九九や時計を勉強する」と日課を強制した。止めるとまた機嫌を損ねるので、仕打ちがエスカレートしないよう、優里被告はじっと黙っていた。
隠れて結愛ちゃんへお菓子を与えたり、少しでも雄大被告の機嫌が良くなり状況が改善するようにと、結愛ちゃんが書く文章を一緒に考えたりした。
被害が少なくなるように優里被告なりに“努力”をしてみたが、雄大被告に面と向かって逆らうことはできなかった。
2月9日に品川児相が家庭訪問に来たものの、雄大被告の機嫌が悪くなることを恐れ、拒否。助けを求めることが出来なかった。
結愛ちゃんが「小学校に上がるまでの辛抱だ」と考え、周囲の目が向けられる小学校に行くまでを耐え抜こうとした。
2月下旬、急激に衰弱していく結愛ちゃんの様子。亡くなる直前まで「添い寝をしていた」
弁護側の冒頭陳述も佳境に入り、結愛ちゃんが亡くなる最後の10日間の様子が語られた。
顔のあざにより、すぐにでも通院が必要だったにもかかわらず、夫婦は医療機関への受診を拒んでいた。
2月20日、結愛ちゃんが進学するはずだった小学校の入学説明会が開かれた。
だが、顔にあざがあり、結愛ちゃんを出席させなかった。この日を境に、雄大被告の結愛ちゃんへの虐待がエスカレートしていったのかもしれない、と弁護人は振り返る。
この時期には雄大被告の暴力を見ておらず、優里被告は雄大被告を制止できないほど心理的に支配されていたという。
「決して雄大さんに同調していたわけではない。制止できないほど心理的に追い込まれていた」と説明する。
2月25日ごろ、雄大被告から結愛ちゃんが「食べたくないと言っている」と聞かされた優里被告。
ところが、雄大被告はやせ細った結愛ちゃんを目にしているにも関わらず「ダイエットになって良いんじゃないか」と笑いながら言うところを目にする。
優里被告はその常軌を逸した一言に絶望し、無力感にさいなまれたという。
2月27日、結愛ちゃんが食べ物を吐いてしまったと雄大被告から優里被告へ伝えられる。
優里被告は「病院に連れて行かなくて大丈夫か」と心配したが、雄大被告が「大丈夫だ。あざが引いたら連れていく」と診察を拒否。
これ以上強く雄大被告へ話ができず、かといって勝手に病院に連れていくこともできないままでいた。
3月1日、結愛ちゃんが亡くなる前日、優里被告は久しぶりに結愛ちゃんをお風呂に入れた。
結愛ちゃんの身体はあばら骨が浮き上がり、びっくりするほど痩せていた。優里被告は「見てはいけないものを見た」と怖くなり、タオルを結愛ちゃんの身体にすぐに巻いたという。
3月2日、弱っていく結愛ちゃんの横で、優里被告は添い寝をした。
思い出話を語りながら、励ましたが、衰弱した結愛ちゃんは心肺停止し、搬送先の病院で亡くなった。
弁護人は冒頭陳述「結愛さんが雄大被告から虐待を受け、亡くなったことは事実。その行為を制止できなかった。その責任は取らなければならない。だがなぜ自分の子を救えなかったのか。皆さんに判断していただきたいのはその要因」と語り、心理的支配下に置かれていたことへの考慮を求めた。
「結愛さんの死は、重く受け止めなければなりません。ただ、その過程で優里さんがDVを受けていた。それを忘れてはなりません。このことを念頭に、これからの審理をしていただきたいと思います」
5歳児を追い込んだ虐待の背景は。公判で語られた事件の内容を詳報します
2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」
5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。
行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。
この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。
この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。
子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。
もしこうした苦しみや違和感を覚えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。
DVや虐待の相談窓口一覧はこちら。