「You Know?」でごまかしていたら、海外では勝てない。4万人の社員を率いるサントリー社長が「教養」を重視する理由

教養に裏打ちされた知恵を持つ者は“Do Not(やらないこと)”を決めて、結果を出す「戦略」を立てることができる。
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新浪剛史さん

哲学の家庭教師を雇って、勉強したローソン社長時代。

教養を修めたい、とは幾つになっても思います。

仕事をしていく上で、生きていく上で、人は自分自身の価値やビジョンを形作っていかなくてはなりません。その前提になるのが「教養」だと考えています。

特に、人の「上」に立たなくてはならない経営者にとっては不可欠な素養だと思っていて、ローソン社長を務めていた頃には、哲学の家庭教師にもついてもらっていました。月に二回、先生がオフィスまでやってきて、ギリシャ哲学から始まってニーチェ、中国の哲学、日本の禅まで色々幅広く教えてくれました。禅は宗教じゃなくて「生き方」なんだ、ということもその時に知りましたね。

30代の頃はひたすらビジネス書を読み漁っていたんですが、やっぱり本じゃあ身につかないな、と思い始めたのがこの頃だったんです。40代、50代と、年齢やキャリアを重ねるうちにどんどんビジネス書的ノウハウは不要になってきて、ものの見方や思考力が大事だと思うようになってきた気がします。

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新浪剛史さん

“You Know?”でごまかしていたら、グローバルでは勝てない。

経営者には特に教養が必要、と書きましたが、この思いは年々強まってきています。

サントリーホールディングスには今、4万人弱の社員がいて、日本だけじゃない様々な国籍、文化を持った者が集まっています。多種多様な社員をまとめ上げ、利益を生み出し、ビジネス全体をうまく回していく上で「教養」がないと、判断ができないんですよね。

教養が身についている人は、”Do Not(やらないこと)”を決められるようになる。

ビジネスでよく「戦略」という言葉が使われますが、これは”Do Not”を決めるプロセスのことだと私は考えています。いかに戦いを省くか。戦わずして結果を勝ち取るか。その戦略を立てるには、教養に裏打ちされた知恵が不可欠だと私は思いますね。

それでもあえて極端なことをいうと、日本市場だけで戦う分には“Do Not(やらないこと)”をバンバン決めていく必要はない、とも言えます。日本は「甘え」の文化、“YouKnow?”の世界。“No”を言うのがすごく苦手で、忖度しあう。実際、それで仕事は回るんですよね。幹部がトップシークレットを握って、隠すことで価値が保たれる。

でも、我々はグローバル企業になりたいんですよ。そのためには”You Know?”じゃダメ。これはアメリカ・ビーム社との統合の中でひしひしと感じてきたことです。

“No”というのが忍びなくて何となく曖昧にしていたことが原因で、ビームのメンバーのモチベーションを一気に下げてしまい、挽回するのに1年以上かかったこともありました。

アメリカは“Clarity(明快さ・明確さ)”がとにかく大事。我々日本人の“ambiguity(曖昧さ)”とは合わないんですよね。グローバル統合をするには、曖昧さゆえ成り立ってきた価値や美意識を、言葉でクリアに伝えることが必要だと感じ、試行錯誤を続けています。

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イメージ写真
10'000 Hours via Getty Images

 「やってみなはれ」は“Go For It!”なの?それとも…。

我々が作っているお酒というプロダクトは情緒的な商品ですし、価値観のすり合わせが特に難しい。だから、日本特有の文化や技術を伝えながらも、最後は「やってみなはれ」と明確なトップダウンです。

まさにサントリーの企業精神「やってみなはれ」の通り。

そういえば、「やってみなはれ」という言葉をビーム側に伝える時にもすったもんだがあったんですよ。当初、“go for it!”と訳していたんですが、”go for it”だと「何でもいいからとにかくやれ!」って感じに響いてしまって、「やってみなはれ」に含まれている「何が何でも最後までやりきる」というニュアンスが出ない。何せ「やってみなはれ」で、ビールを作り続けて45年もかけてやっと黒字にした会社です。この胆力は”go for it”では伝わりきらないよね、と。

最終的には「やってみなはれ」は、もう訳せないってことで、“Yatteminahare”になりました。

実はこの時、日本の社員にも「やってみなはれ」の精神をちゃんと根本理解していない者がいるとわかりました。一回英訳を経由することで、日本のメンバーにも理念が定着するいう不思議な現象でした。

ちなみに会社のキャッチコピー「水と生きる」も英語にするのに相当な苦労がありました。日本にはアニミズムの文化がありますから、「水」は恵みであり、神秘的な存在。でも英語で”Water”と言うと、「機能」的な存在なんですね。

このニュアンスの違いはすごく大きい。「水と生きる」は“Living with water”にはなりえない。一度はアメリカの広告会社と一緒に議論し、“Follow your nature”としたのですが、やっぱりしっくしこなくて…。やってみなはれ同様、“Mizu To Ikiru”になりました。

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新浪剛史さん

文化を伝えるために、最後ははっきり言う。決める。アメリカとのインテグレーションにおいては常に、曖昧さをクリアにし、丁寧にコンセンサスをとるよう心がけています。

ちなみに、彼らの「曖昧さを許容しない」具合は徹底していて、本当に「忖度」というものが一切ない。仕事をしていても感じますが、カラオケに行っても僕にマイクが回ってこないんですよ……。日本の社員はなんだかんだと気を遣って僕に一番にマイクを回してくれますが、彼らにそうした忖度は一切ない。マイクは自力で取りに来いと。ちょっと寂しさもあるけど、自分で手を挙げています(笑)。

さて、ちょっと「教養」から話がずれてしまったように見えてしまうかもしれないのですが、グローバルなやりとりの中で落とし所を見つけるプロセスには、多くの知恵と意思決定権者の教養が必要であることは言うまでありません。

「悠々として急げ」。その行ったり来たりの中に「教養」は宿る。

長くなってしまいましたが、「教養とは何か」という問いについて、最後に一つの言葉を置き土産にしたいと思います。

小説家であり、サントリーのOBである開高健さんの「悠々として急げ」という言葉です。

ローマ帝国の皇帝だったアウグストゥスが言ったとされる「フェスティナ・レンテ」という言葉がオリジナルなんですが、こちらは「急ぐ、ゆっくりと」なんです。あくまで僕の解釈ですが、開高さんは元の言葉の順序を逆転させてるんですね。これが素晴らしい。

まず「悠々として」、そして「急ぐ」。

これぞ経営者の極意だなぁと思いますし、ここに全てが詰まっている感じがする。悠々としていないといけないし、スパッと動かないといけない。そのバランスをとる。行ったり来たりする。

自分は果たしてできているのか? と自問してみると、できているような、やっぱりできていないような。「できる!」と思った途端全てができなくなる感覚に襲われる、と言った方が近いかもしれません。

できない自分があって、その行ったり来たりを積み重ねて行くことに「教養」が宿るのかなぁと思います。何とも奥が深いです、経営も、教養も。

(文:新浪剛史/ 構成・編集:南 麻理江 @scmariesc