子どもの自殺がもっとも多くなる9月1日。すでに新学期を迎えている学校も多いが、あらためて不登校当事者・経験者から「明日の学校」について悩む人へ伝えたいことを掲載する。
逃げてばかりの自分はイヤで仕方なかったけど
お盆が終わるころ「あぁ、もう夏休み終わっちゃうんだ」という複雑な気持ちに襲われました。中学3年生の夏のことです。
学校が始まると、また「目立つ人たち」の目を気にしながら生活する日々が始まる。矛盾だらけの部活の顧問にも会いたくない。だけど進路のためには行かなくちゃいけない。
学校へ行きながらも、さんざん体調も崩してきて、早退をして、親にも迷惑をかけてきた。私はなにをしているんだろうって思ってました。
そもそもどうしてこんな気持ちで自分は生きているのか。ささいなことで悩んでばかりの人生なら死んでやり直したい。そんなことを悩んでいたら、あっというまに夏休みが終わりました。
重い足取りで学校へ向かう途中、キラキラとした笑顔で友だちとの再会を喜ぶ同級生たちを見るのは、すごくつらかったです。
自分の存在価値がわからなくなりました。ずーっと逃げてばかりの自分がイヤでしかたなかったです。人生で一番苦しかったのがこのときです。
もし当時の私に伝えることができるならば、死にたい気持ちも、どうすればいいかわからない感情も、嬉しい気持ちも、楽しい気持ちも、そのまま受け止めてくれる人がかならずいるよ、ということです。
自分に素直でいい、思いっきり感情を吐きだして泣いていいよって伝えたいです。自分が壊れてしまうぐらいなら避難してから見えてくることもたくさんあります。
悩んでもがいていたことはムダじゃないって思える日はきっと来ます。それを当時の私に心の底から伝えたいと思っています。(さゆり・18歳)
私には何も言えません
明日こそ学校へ行かなきゃと思い、死にたいぐらいの気持ちを抱く人へ伝えたい言葉はありません。
私は中学校にあがってから、ずっと無理をして学校へ通っていました。命を削りながらすごしていました。
夏休みが終わる日、もう死にたいと親に言いました。その後も学校へ通い続けましたが、冬休みがあける直前に学校へはもう行かないことを決断しました。
それからずっと不登校です。私には自分が生きている理由がわかりません。遊べる友だちもいないし、ゲームをしていても、アニメを見ていても、おもしろくありません。死んじゃったほうが楽なんじゃないかって思っています。
だから私は、いろんな人の、その人にとっての「生きる意味」を知りたいと思っています。が、今の私には死にたい人へのアドバイスが思いつきません。(アオイ・14歳)
自分を守ってあげください
夏休みに入るといじめから逃れられるので気持ちがすこし楽でした。でも9月1日に近づくにつれ、また夏休み前のいじめが始まると思うとしんどかったです。学校へ行きたくないけど、いじめられていることも言えませんでした。
中学のときは何度も死にたいと思っていました。高校にはいってからも、いじめに耐えられず何度か退学した時期もありました。
もしも過去の自分と出会って、話すことができるなら「つらいなら行かなくていいよ、どこかに逃げよう」と言いたいです。
いじめがあって、つらくて、勇気がいるかもしれないけど先生に相談してみるのはどうでしょうか。
もしもそれがだめだったら、9月からは無理して学校へ行かないでください。自分自身が大切だから。自分のこと守ってあげてください。(加藤郁美・24歳)
あなた自身が幸せに
自分の不登校時代は80年代後半でしたので、まだ登校拒否と呼ばれてました。
そのときの自分は「登校拒否」イコール「非行、不良」という偏見に反発して書店で徹底的に人権関係の本を読みまくり論理武装を始めました。「日本という国は戦前とまったく変わらない。世直ししかない」とさまざまな左翼系の会合やデモに参加しました。
しかし、元来メンタルがとても弱いのであっという間にノイローゼになり最終的には精神科へ行くことになりました。
そんな当時の自分に今の自分が言いたいことは「自暴自棄になると絶対に損をする。なぜなら人間社会は10年20年もたてば世間的な倫理観は変わるからだ。そのときまでなんとかいろんな手を使って生き延びろ!」です。
「自分探しの旅」を否定する意見もありますが、そんなのは無視すればいいんです。
「銀河鉄道999」の歌詞を借りるなら「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの 希望の星に巡り合うまで歩き続けるだろう」。
まわりで否定的な意見に従うより、本当の自分の幸せの為に心の旅を続けてください。「世間や周囲ではなく、あなた自身が幸せになる」ようにならなければ意味はないのですから。(ねぎ・40代)
8月31日は最も悩んだ日
中学1年生のとき、それまでの人生で一番、悩んだのが8月31日でした。明日からまた学校が始まってしまうと思ったら「あした、目が覚めずに急死してたらいいのに、そうすれば全部終わる」。
そんなことを思いながらすごしていたら、あっというまに夜になり、寝つけるわけもなく、9月1日に学校へ行きました。
その後、私は不登校になりました。不登校になってから最初の夏休みは中学2年生のとき。
夏休みに入ったころは「みんなも休んでいる」と思い、私も休んでてよいんだと気持ちは楽になりました。それでも8月31日には悩みました。
不登校の私にとっては夏休みに入ったばかりの日も、夏休みが終わる8月31日も変わらないはずです。
でも、明日から同級生たちはまた学校へ通い始め「私はどんどん同級生たちと差が出てしまう、できないことが増えていっちゃう」と思うと、やはり8月31日は悩む一日となりました。
いまふり返って思うのは、不登校が終わったあとも「あのとき、死んでおけば楽だったのかな」と思うくらいつらい試練はあります。
けれど、こんな自分のことを好きになって認めてくれる人も現れました。ときどき楽しいところへ行って、おいしいものを食べて、私はもう少し生きてみようと思えました。だからあなたにも、もう少しいてほしいと思っています。(ひな・24歳・作業療法士)
少しでも自殺を考えてしまったり、周りに悩んでいる人がいる人たちなどに向けて、以下のような相談窓口があります。
(この記事は2019年08月23日の不登校新聞掲載記事「『学校へ行かなかった私から学校に行きたくないあなたへ【9月1日メッセージ】』」より転載しました)