香港デモ:中国が「介入できる根拠」と「介入したくない理由」

中国にとって香港介入は最後の最後まで切りたくないオプション。だが、そのXデーへのカウントダウンはすでに始まっている。
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催涙弾を発射する香港警察
時事通信社

容疑者を香港から中国へ送ることを可能とする逃亡犯条例の改正に反対する抗議デモが鳴り止まないなか、「鎮圧」への支援を前提に、万単位とみられる中国の人民武装警察部隊が香港に隣接する深圳へ移動し、訓練を積む映像も流されている。ドナルド・トランプ米大統領が1989年の天安門事件と絡めて中国の介入を懸念する発言を行うなど、世界は「いつ中国が香港に介入するのか」を真剣に注視し始めている。

では、実際に介入は起きるのか。

 

「一国二制度」下の香港においても、法的には、中国は条件さえ整えば介入できる。一方で、介入の可能性は現時点ではまだ高くはない。リスクとリターンの関係で言えば、あまりにもリターンが少なく、リスクが高いからだ。

しかし、中国がここにきて警告のレベルを段階的に引き上げ、「いつでも動けるぞ」という脅しをかけてきているのは確かだ。そして、中国共産党は、武力を用いた介入というオプションは、いかなるリスクがあったとしても、必要と判断すればあえて選択することを辞さない政治体制であるという本質を持つ。それは、ちょうど30年前に起きた天安門事件を通して証明済みだ。

「一国二制度」のボトムライン

まずは、中国の「警告」をいくつか見てみたい。

7月29日には、国務院香港マカオ事務弁公室が「最近の香港で起きた事態の変化において、特に少数の過激分子が行う暴力行動があり、著しく一国二制度のボトムラインに触れるもので、絶対に容認できない」と述べた。

ここでのポイントは「一国二制度のボトムライン」だ。これは、中国の主権を否定するような、出先機関(中央政府駐香港連絡弁公室)などへのデモ隊の落書きは「一国」を象徴する国家主権への挑戦だと示しているのだろう。

8月12日には、同様に国務院香港マカオ事務弁公室が、香港のデモ隊は「すでに深刻な暴力的犯罪を構成しており、テロリズムの兆候が現れ始めている」と述べた。

ここで注目すべきは「テロリズム」という言葉である。ただ、前段でもボトムラインを「超えた」とは述べていないように、こちらも「兆候」としており、中国的言語としてはまだ状況観察の余地を残した言い方だ。しかし、テロリズムと認定すれば介入の大義名分が立つことになり、そのカードをちらりと見せた形である。

「中央政府は手を拱いてはいない」 

8月15日の『人民日報』は、1面の評論「暴力から我々に見えたもの」のなかで、逃亡犯条例への反対は単なる名目と口実であり、香港のデモ隊の背後には「黒手(黒幕)」がおり、本当の目的は「反中乱港」で「カラー革命」を企んでいるのだ、と批判した。

カラー革命とは、2000年代に東欧などで起きた社会主義政権の相次ぐ崩壊のことで、米国が裏で転覆工作を支援していたとされ、今回も名指しこそしないが「黒手」は米国であり、米中対立のなかで陰謀として香港が利用されていると主張するものだ。

「ボトムライン」「テロリズム」「カラー革命」などのキーワードを出してきたところで、中国の駐英大使である劉暁明は15日、記者会見を開いて、「香港情勢がさらに悪化すれば、中央政府は手を拱いてはいない」と述べた。

なぜ駐英大使が会見をするのか不思議に思われるかもしれない。これには2つの事情が関係している。

1つは英国が香港のかつての宗主国であり、香港社会になお英国時代を懐かしむ心情があるうえ、今回の逃亡犯条例改正問題に絡んで、英国政府が積極的に懸念を表明しているからだ。

もう1つは、この劉大使は習近平国家主席の英国訪問をうまく取り仕切ったことで習主席の信任が各国大使のなかでもっとも篤い人物と見られており、ホットラインで話ができると言われている。劉大使が、中国指導部が明確にしたい国際社会向けのメッセージの発信者として選ばれたとしても不思議ではない。

ここで劉大使はこう述べている。

「香港は1997年の主権移行以来、最も厳しい状況を迎えている。中国は香港が秩序をもって現状の混乱を収束させることを期待しているが、同時に中国は最悪の事態に備えて十分な準備を行っている」

最悪の事態が何であるのか明示はされていないが、「十分な準備」は、中国の介入による事態の収拾、つまり、深圳に集結させた武装警察か解放軍の投入による鎮圧を意味している。

「5000人」の人民解放軍が駐留

武装警察は警察を名乗ってはいるが、一般の警察業務を執り行う公安とは別系統の組織であり、人民解放軍の指揮を受けながら主に中国国内の治安維持にあたっている。この武装警察が深圳に集結し、トレーニングする高画質の映像が積極的にメディアやSNSで流されている。このような画像を一般市民が撮影できるとは考えにくい。警告の意図をもって制作され、人々の目に触れるように流されたとしか思えない。

深圳から香港への距離はわずか十数キロ。ゴーサインさえ出れば、数時間のうちに装甲車を含めて香港中心部への駐留が可能になるだろう。

ただ、香港には、中国から応援を仰がずとも、人民解放軍の駐港部隊5000人が、香港返還の1997年以来、駐留している。本部こそ香港の中心地の香港島にあるが、部隊はいずれも市民生活からは離れた場所にあり、市民との交流も少なく、制服姿で街を歩くことはない。

それは彼らの任務とも関係しているためで、「中華人民共和国香港特別行政区駐軍法」によれば、香港にいる解放軍は香港の地方事務には関与しないと規定されている。

しかし、2つの方法によって、香港デモの鎮圧に対する解放軍投入は可能となる。

「解放軍より武装警察」が合理的

1つ目は、香港政府が中国政府に対して協力を求めることだ。香港基本法第14条には「香港特別行政区政府が必要なとき、中央人民政府に対して、社会治安の維持や災害救助に駐軍(駐港人民解放軍)が協力することを要望できる」と書かれている。前述の「駐軍法」によれば、香港政府の要請があれば、香港駐留解放軍は中央政府の許可および中央軍事委員会の命令に基づき、香港での任務の遂行が可能になる。

2つ目の方法は、中央の直接の指示による動員である。「駐軍法」第6条によると、「全国人民代表大会」が「戦争状態」を宣言するか、国家の統一や安全への危害が及ぶような状況が生じ、香港政府によってコントロールすることが不能な状態に陥ったと判断したとき、中央政府の決定によって香港駐留人民解放軍が「全国性法律に規定された職務の遂行を行う」とされている。

全国性法律というのは、一国二制度によって形式上分けられている中国と香港の法体系において、香港が一国の一部だという前提での任務遂行になり、一国二制度の前提が消滅することを意味する。

解放軍ではなく、武装警察が用いられるとすれば、合理的な考え方であろう。香港のデモ隊に対して、人民解放軍が銃を向けるとなればイメージが非常に悪い。それよりは、「警察」の名を持っている武装警察を使おうということであろう。さらに、街頭で広範囲に広がったデモに対応する人的資源や治安維持的な装備を、海に面した狭い土地に駐留する解放軍だけで提供できるとは考えにくい。

中国介入の3つのリスク

しかし中国の介入については、香港だけでなく、中国内部の関係者の誰もが「リスクが高すぎるので、当面は考えにくい」との見方をとる。では、そのリスクとは何であろうか。

第1は経済的なリスクである。金融・貿易都市としての香港の重要性は、米中貿易摩擦で中国が米ドルなどの外貨不足に陥った場合などに備えて、過去に比べて高まっていると言える。

現状でも、中国への海外からの直接投資は半分以上が香港経由だとされる。香港に拠点をおく海外企業は膨大な数で、多くが直接・間接に中国とのビジネスを行っている。彼らが香港から一気に逃げ出せば、香港の経済的な価値が一気に失われる。膨大な資産価値をたくわえている香港の不動産・証券市場もクラッシュし、その影響は中国経済にも確実に波及する。

第2は、中国の国家統一にかかわる香港、台湾問題において、政策の抜本的な見直しが求められることになるからだ。中国の介入があった場合、香港で行われてきた「一国二制度」が名実ともに失敗と認定されることになる。その代価は、香港のみならず、中国が国家統一の悲願として目標に掲げる台湾問題で払うことになる。

すでに台湾の蔡英文総統は、香港情勢の悪化とともに、日々香港問題に同情的になる台湾世論の後押しをうけて、リードされていた国民党の韓国瑜候補を追い抜きつつある。香港情勢が沈静化しなければ、台湾では当面、中国が嫌っている民進党に有利な状況が続くことになるだろう。一国二制度による台湾の統一を掲げてきた中国は、台湾問題の平和的解決に向けた具体的な提案を失い、根本的に台湾政策を練り直さなくてはならなくなる。

第3に、武力で民衆のデモ鎮圧に介入したということが世界でどれだけネガティブに報じられるかは想像に難くない。香港は北京ではないので、天安門事件のように情報の封鎖はできない。そして、解放軍が介入した場合、無組織的にゲリラ的な運動を続ける香港の若者たちは一旦鳴りを潜めてしまい、街頭で取り締まる対象さえ見つからない可能性もある。

香港の街頭は静まり返り、強面の中国兵だけが立つ姿が思い浮かぶ。大国として地位を築きつつある中国の国際的な名声は一気に地に落ちることになる。それは、「一帯一路」を国策として世界展開する中国の大戦略に深いダメージを及ぼすものになる。

そうして考えてみれば、香港介入は、中国にとっても最後の最後まで切りたくないオプションであることは間違いない。

ただ、そのXデーへのカウントダウンはすでに始まったと見ておいたほうがいい。なぜなら、「警告」と「準備」はすでに済ましたと中国は香港市民と世界に表明しており、あとは彼らがそうすべきだと判断したとき、行動に移せばいいだけであるからだ。


野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

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(2019年8月23日フォーサイトより転載)