「親の愛情」を感じることなく育った僕は、いい父親になれるのだろうか

ずっとそう思っていたが、映画づくりで「命」と「家族」に向き合い、答えを出すことができた。
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映画『うまれる』

「家族なんて、いらない」

「父親になんて、なりたくない」

…ずっと、そう思っていた。

初めて監督を務めたドキュメンタリー映画『うまれる』(2010年)の公開から10日後、僕は娘を授かった。

タイトル通り、出産をテーマにした作品である『うまれる』では10回ほど実際の出産に立ち会って撮影をさせていただき、一度も涙を流さなかった薄情な僕だが(「撮らなきゃ!」という思いの方が強かった!)、 我が子の誕生では、思いっきり涙した。

くーーー!

この子を幸せにするぞぉーーー!!!

…しかし、人生最大の悩みはすぐにやってきた。

どうやって、父親をやっていけばいいのか…。

子どもを幸せにするにはどうしたらいいのか…。

う~ん、わからん…。

生物学的に、社会的に、そして戸籍上、父親にはなったものの、親としてのTo Doが分からず、メガトン級の不安を抱え込むことになった。

その理由を分析すると、だいぶ時をさかのぼる。

それは、僕の生育歴だ。

僕は元々、あまり両親と良い関係を築いてきたとは言えない。

4歳年下の弟が、非常に身体が弱い状態で産まれてきたことで、小さい頃から親の関心は弟ばかり。手のかからない僕は放っておかれた(ように感じていた)。

「親の愛情」というものを感じずに育った僕は、無意識のうちに親に対して、そして「家族」というものに対して、ネガティブな感情が芽生えるようになっていた。

端的に言うと、「家族の良さ」というものをまるで分からなかったのだ。

30歳を過ぎても親孝行をしたいとも思わず、逆に親への失望や怒りに似た感覚が心の中で「ガス漏れ」を起こし、常にイライラして、よくキレていた。そんな奴は当然、周りから疎まれる。

親子関係や子育てに関して様々な取材やリサーチを重ねた今であれば、そこに明確なメカニズムがあると分かるのだけれど、当時の僕は、言いようのない生きづらさをずっと感じて毎日を過ごしていた。

そんな時、「赤ちゃんは雲の上で自分の親を選んで産まれてくる」という馬鹿げた話を聞いた。

でも、ちょっとした衝撃を受けた。

それまで、「子どもは親を選べない」と半ば信仰し、それによって自身を守ってきていた(ように感じる)僕だが、なぜだか真逆の考え方を、意外にもスッと受け入れることが出来た。

それは、心のどこかで「俺はホントは幸せになりたい! でも、親との関係を改善しないと本当の意味での幸せは訪れないんじゃねーの???」というような、沸々とした直感が、当時あったからかもしれない。

その思いは、一生を共にすると決めた前妻との離婚で、ますます強くなっていった。

そして、「自分が親を選んだのかもしれないとすると、自分の幸せには自分にも責任があるってことだ」と思えるようになり、親に対する否定的な感情が、緩やかに和らいでいくのを感じた。

それまで、上手くいかないことの多くを親のせい、人のせい、社会のせい、国のせい、にしてきた僕だが、「自分が選んだ」と考えてみたことで、初めて本当の意味で「生きることに対する自己責任」のようなもの感じたからかもしれない。

この新鮮な感覚を、そのまま映画に出来ないか…と思った。 

いのちについて、

親について、

生きていくことについて、

真正面から向き合うような作品を作ってみたい!

そうした思いが、心の底から湧き出てきた。

「自分が親を選んだのかもしれない」…? もちろん“胎内記憶”については、虐待を受けた子や障がいを持って生まれた人たちはどう解釈すればいいのか…と、すぐに思った。

当然、科学的な根拠などありようがない。

でも、僕にとっては、“胎内記憶”が「真実」なのかどうかは、それほど重要ではなかった。

それよりもその考え方に向き合ったことによって生まれてきた、自分の感情を大切にしたかった。

科学や世間がどうこうではなく。

命が誕生する現場で約2年、カメラを回し続けた結果…

映画『うまれる』は“胎内記憶”という考え方を紹介しつつ、虐待を受けて育った女性が母親になる話をメインに据え、出産予定日にお腹の子を亡くされた夫婦や子どもを望むものの授からなかった夫婦、そして、いつ命が終わるとも分からない障がいを持った子を育てる夫婦を捉えながら、命や家族に向き合った作品だ。

そんな本作の撮影を通して、僕はそれまで「未知の領域」だった妊娠・出産の世界をたぶんに知るようになる。 

命が誕生する現場に約2年、カメラと共に立ち会わせていただくたびに、その奥深さと神秘に、僕は圧倒され続けた。

産まれてくること、そして生きることは、まさに奇跡の連続‼︎ すごい!! 

そんな思いを胸に秘めながら、僕はカメラを回し続けた。

いや、でもね、命が尊いだなんてことは、もちろん知ってたんだよ。

親が産んでくれたとか、家族は大切だなんてさ。聞いたことあったよ。

でも思った。こんな大切なこと、きちんと心から感じ入ったことはあっただろうか???

頭で理解しようとすることと、心で感じることの偉大なる差異を僕は作品作りを通して体感したことで、親に対する無条件の感謝の気持ちが湧き出るようになった。

俺もこうやって産んでもらったのかな…。

こんな感じで育ててもらったのかもしれないな…。

愛情表現が苦手な親だけれど、彼らは彼らなりに一生懸命やってきてくれたんだろうな…。

僕は撮影中に迎えた誕生日に、生まれて初めて「うんでくれてありがとう」と親に伝えることができた。

親にはソッコーで「どこの宗教に入ったんだ!?」と言われたが、僕らの関係は完全に雪解けを迎えた。

僕のように親子関係で苦しむ人に寄り添うような作品を

おかげさまで映画『うまれる』は、知る人ぞ知る、大ヒット映画になった。

公開から9年たった今でも、自主上映会などで上映され続け、累計80万人もの人たちに観ていただいている。

映画が完成する頃には、親との関係も、安産のように、するりと克服することができた。

そして、親になった。

「家族なんて、いらない」

「父親になんて、なりたくない」

そう思っていたのは過去の話。

その後、家族をテーマにした『ずっと、いっしょ。』(2014年)という映画を撮って、僕は生まれ変わった。

そして、さらに幸せになった。

現在、新作ドキュメンタリー映画『ママをやめてもいいですか!?』の編集が佳境に入っている(来年初頭に公開予定)。

こちらは子育ての明暗を面白おかしく描いた娯楽作品でありながら、子育てと親子関係にも鋭くメスを入れている。

これからも僕は、「命と家族」をテーマにした作品を定期的に、継続的に製作するつもりだ。親との関係を乗り越えた身として、かつての僕のように親子関係で苦しんでいる人にも寄り添っていくような作品を作っていきたいと願っている。

ジャンルは問わず、様々な切り口で。目標はとりあえず、『うまれる』公開30周年に当たる、2040年まで。

その頃には、今よりも命や家族の大切さを語られている世の中になっているだろうか?

子育てをする人たちが十分な支えを受けられる社会になっているだろうか?

そして、娘は幸せに過ごしているだろうか?

その使命の重さを感じながら、僕は今日もカメラを構える。

僕の作品を必要としてくれる人がいると信じて。

映画『うまれる』シリーズ 公式サイト

小説「オネエ産婦人科」 公式サイト

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