「アイドルの経験がタトゥーのように刻まれていた」元SDN48大木亜希子さんが等身大の自分を獲得するまで

AKB48グループを卒業した元アイドルたちの第2の人生を取材した『アイドル、やめました。』を上梓。元アイドルというコンプレックスとの葛藤と試行錯誤について語った。
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KOOMI KIM/金 玖美

「元アイドルであることが、誇りであると同時に大きなコンプレックスだった」

2010年から2012年までの2年半、AKB48グループの1つ「SDN48」として活動した元アイドル・大木亜希子さんは明かす。

14歳から女優として大手芸能事務所に所属するも芽が出ず、20歳を越えてオーディションからSDN48のメンバーに。NHK紅白歌合戦に出場し、コンサートで武道館や西武ドームの舞台にも立った。

2012年3月にSDN48が解散したあとは、タレントや地下アイドルとして芸能生活を続けるも、先行き不安と焦りからキャリアを大きく転換。WEBメディア「しらべぇ」の運営会社に就職し、記者や広告の営業担当として全く異なる道に進んだ。

フリーランスライターとして独立した約1年前、「アイドルブームの渦中に一緒にいた女の子たちは、今どうしてるの?」との疑問から、彼女たちのその後の人生を追った『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』の企画を自ら出版社に持ち込む。

インタビューのための情報収集も取材依頼も自らこなし、アパレル販売員、ラジオ局社員、広告代理店社員、保育士、バーテンダーなど多様なネクストキャリアを歩む元アイドル8人の決断に迫ったノンフィクションとして2019年5月に刊行。出版から3週間で重版が決定し、話題を呼んでいる。

取材と執筆を経て、大木さんは自身のコンプレックスとはどう決着をつけたのだろうか。元アイドルであることの葛藤、そこからの試行錯誤について聞いた。

過去に縛られたくないのに「元アイドル」の肩書をチラつかせてしまう

━━会社員という道を選ぶも、「アイドル時代の経験をどのように成仏させたらよいのかわからなかった」と『アイドル、やめました。』(宝島社)の序文で吐露されています。その心境を、もう少し詳しく教えてもらえますか。

新卒の人たちより少し遅れて、25歳で一般企業に入社します。名刺交換、電話応対も初めてで、WordやExcel、PowerPointの使い方も知らない私に、会社の人たちも、得意先の方々もとても親切にしてくださいました。

ただ、商談の席などで新規の得意先の方が「元アイドルなんですね!」と何気なく放ったことに、嬉しい反面、アイドルの自分を再び演じないといけないんだとか、アイドル然として明るくクライアントさんから広告を獲得しなきゃなどと、振る舞い一つ、表情一つ、過剰にかわいい子ぶった反応をしてしまってもいました。

「元アイドルの肩書を武器として使わない手はない」と狡い自分がいたんです。社内の打ち上げでは、誰からも頼まれていないのに、率先してAKB48グループの曲を歌い、妙なサービス精神を発揮していました。

過去に縛られず前を向いて進みたいのに、印籠のように「元アイドル」をちらつかせてしまう…。矛盾する自分がいました。「アイドルだった経験」がタトゥーのように刻まれていたんです。

━━SDN48での2年半が、大木さんにとってかなり濃い経験だったということでしょうか。

中学3年から女優として活動していたこともつながってはいます。千葉県の田舎でのびのびと育った娘が、スカウトから芸能界へ進みました。事務所に所属すれば月給がもらえたんです。ちょうど父が亡くなったタイミングで、家族の生活費や学費に充てられるという思いがありました。

大手事務所だったので、所属してさえいれば、いずれ女優として形になるのだろうと期待しながら過ごしていました。演技やダンスレッスン、ヨガレッスンを受け、各局のテレビドラマにバーターで出演させてもらうなど、やれるだけのマネジメントはしてもらいました。高校は芸能コースのあるところへ進学し、同級生にはテレビで活躍している友人も大勢いましたが、私はドラマや映画で時々良い役を射止めることがあっても、次の仕事につなげることがなかなかできずにいて…。

この頃から、「本当に自分は何をしたいのだろう」という思いや、劣等感は出始めていたのだと思います。芸能界について知らない周囲の友だちからは、「いいね、華やかだね」「出演していたドラマ見たよ!」などと言ってもらえます。でも実情は、「明日のことすら保証が一切ない身分」でしかありませんでしたから。

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KOOMI KIM/金 玖美

人が求めている自分に自分を合わせてしまう「アイドル精神」で心を壊す

レッスンを受けて、体重測定をして、NHK朝ドラのオーディションを毎クール受けて、高校のクラスメイトは放課後にはライバルになる━━。そんな特殊な10代を過ごしました。アイドルを経て一般社会に出てみたら、女優やアイドルという経験で何かが優遇されることはありません。

なのに、「実はこんな経験があるんですよ~」と印籠のように使ってしまう自分がいる。そんな日々を繰り返すと、虚無感だけが残っていくんです。

そんななか、突然、心が病みました。約2年前の朝、得意先に向かう日比谷駅のホームで足が動かなくなったんです。比喩ではなく、本当に歩けなくなってしまって。心療内科に通い始めるも、朝も起きられなくなり、会社を辞めざるをえなくなりました。

人から見られる仕事を長くしてきたから、「キラキラした記者として結果を出さなきゃ!」と勝手にひとりで焦っていたんでしょうね。誰からも強制されていないのに…。プライベートも輝いた「ステキなキャリアウーマン」と思われたかった。誰もが羨むハイスペックな彼氏を見つけるべく、食事会に勤しんでいました。

「がんばっている姿を見せる」「見る人を笑顔にする」のがアイドル。会社員になっても、 そんな自分であらねばと自然と課していました。20歳でSDN48に入って28歳で心を壊すまで、無理していることに自覚はありませんでした。

━━無意識に「アイドル精神」を引き受けてしまっていたのですね。

そうですね。会社を辞めて、仕事もない、生活の保障もない、彼氏もいない、貯金もない…。「私の人生詰んだな」と絶望的になったけれど、楽になったところもありました。周囲から見られる自分に自分を合わせてなくていい。そこに行き着くことができたから。

アイドルの十字架を下ろせたことで、自分の経験を俯瞰して見られるようにもなりました。同じようにステージにいた女性たちに想いを馳せ、「ねぇ、みんな今どうしてる?」「あの時代は一体何だったのだろう?」と、この本の企画を考え始めて。同じ境遇にいた彼女たちから話を聞いて今の人生を知ることで、自分の人生の答え合わせをしようと思いました。

━━次に進むためには「答え合わせ」が必要で、『アイドル、やめました。』を書いたのは、そのためだった?

元アイドルでライターとなった私の、使命みたいな気持ちもありましたね。大きな力が働いて、私たちはアイドルというものになった。アイドルであるときは、お客さんが応援してくれますが、卒業したその先の人生には何の指針もサポートもない。「国民的アイドル」といわれるほどのブームが起きたのだから、卒業後のことも伝える必要があると思うんです。

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KOOMI KIM/金 玖美

「数値化&見える化される人気」を上げるために個々が自分の身を削る

━━大木さんがSDN48にいた2010~2012年とは、前田敦子さん、大島優子さんら「神7」と呼ばれたスターたちがいたブームの絶頂でしたよね。

ブームの渦中にいても、当時の盛り上がりは凄いものでした。出演する番組でのケータリングはものすごく豪華。サイン会でのバックヤードには臼と杵があってお餅をついているなど、華やかなムードでした。

巨大なAKB48グループならではの、総選挙、選抜システムによるメンバー間の争い、握手会での人気格付け、数百回立った専用劇場での公演。人気が数値化されて目にも見えるルールの中で、自分よりもまったく踊れない子や、歌もトークも未熟な子がどんどんいいポジションに配置されることが頻発します。

「どうすれば人気を獲得できるか」は誰も教えてくれない。著書にも書かせていただいていますが、元NMB48の赤澤萌乃さんが握手会の会場にきた“ほかのメンバーとの握手を終えて帰路に進むファン(=つまりほかのメンバーのファン)”に向かって、「私、赤澤萌乃って言います~!」と遠くからぶんぶん手を振って自分をアピールしたような試行錯誤を私自身もして、もがいていました。

苦しいなかで、メンバー間で励まし合います。けれどもああ、無情…。仲間が助けてくれた翌日に劇場の支配人が選抜メンバーを発表すると、その友人は名前を呼ばれて私は呼ばれないといったことはしょっちゅうありました。「また自分は選ばれなかった」と突きつけられても、その理由は分からない。心のバランスが取れなくなって、自尊心の崩壊が何度も起こるんです。

とはいえ、仲間に嫉妬しても仕方ない。「自分に足りないのは何だろう?」「どうすればファンが増えるだろう?」と自撮りする角度やSNSに投稿する文面を変えてみるなど、細かな努力をしました。傷つきながら、「もう一人の自分像」を作り上げていくようだったと思います。

━━元AKBグループに関わった8人に話を聞いて、いかがでしたか?

「元アイドル」という過去に対する受け取り方は、八者八様。グラデーションの濃淡がありました。

「元アイドル」が呪縛になっていた私とは違い、元SKE48の菅なな子さんはとても軽やか。進学した大学の4年間で恋をしたり、カラオケやボーリングなど学生ならではの遊びで〝普通の青春“を満喫したあと、志望した広告代理店へ内定を決めていました。アイドル業への未練はないかと問うと、「ないです。でも、やらなきゃよかったとも思ってません。やってなかったら、私の今の人生はなかったと思うので」と良い思い出にしていました。

AKB48の初期から約6年、そこからSKE48で約3年活動した佐藤すみれさんは、クリエイターとして自立していました。「メディアに自分の顔が一切出なくてもいいので、プロデュースする商品がヒットしてほしい」と本当に進みたかった道を自分の手で切り開いていてカッコ良かった。

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KOOMI KIM/金 玖美

アイドルへの捨てきれない執着を抱えつつも下を向かずに生きている

一方で、元AKBカフェっ娘の小栗絵里加さんは、日本一の女性バーテンダーという実績を得た今も、アイドルになる夢はずっと心のどこかにある、と正直におっしゃってくれました。「AKBに入りたかったなって気持ちもあるし、もしも入れていたら全然違った人生を歩んでいたと思う」と話してくれました。

「あの経験があるから今がある」と前向きにはなりきれないどうしようもなさを抱えながら、でも下を向いてはいなかった。人が生きるということを体現しているようでした。

ラジオ局社員として働く元NMB48の河野早紀さんには、会社員という点が自分の経験と重なりました。取材依頼のため直接職場に問い合わせたところ、河野さん本人にすぐつないでもらえて。電話口での「営業部の河野です」という対応が、すべてを受けているように感じました。職場での日常を垣間見れたことで、本当に今の自分の世界で生きているんだなぁとリアルな感触がありました。

━━取材を通して、大木さん自身の、「元アイドルというコンプレックス」は乗り越えられましたか?

「乗り越えたい」ために、執念でこの本を出したところがあります(笑)。すごく歌やダンスがうまくて性格も良くて勤勉にやっていたメンバーが、必ずメインのポジションに選ばれるわけではない。

そんな場面をたくさん見てきました。 そんな女性がセカンドキャリアで報われる仕事に就いていたら最高にハッピーじゃないですか。あのブームに対する、カウンターや逆襲でもあったりして。

だから、この本を多くの人に届けるまでが私の仕事と思っています。アイドルブームの渦中にいた10代、20代の女の子たちは、今こんな風におとしまえつけているんだよ! 自分の力で新しい自分を獲得しているんだよ! それをファンの方々にも知ってほしい。いや、見てもらわないとダメでしょう?

━━自分たちの10代、20代前半という時間を“消費されてきた” という怒りの感情もありますか?

「消費された」という言い方に反感を抱くファンの方はいるかもしれませんし、私自身も望んで入った世界なので、そうは思いません。ただ、華やかなステージに立ちながら、どこかで割り切れない悔しさを抱えていたのは事実です。それでも、取材した8人は誰かを恨むことなく、向上心を持ってあらゆる努力をしてきました。舞台に立っていた私たちは、こんなことを考えていたんだよ。“アイドルを終えた、その後”も責任もって見てほしいと思ってます。

元アイドルの第二の人生を1冊にまとめたことで、私自身は、腹をくくれた気がします。 アイドル人生を終えても自分で稼いで生きていかなければいけないと悟った彼女たちは、ぞれぞれのやり方で職業を選んだ。自分自身で生きていこうとする強さと覚悟がありました。

元アイドルに囚われ続けてきた私は、「他者から見られる自分」を気にしてしまうことはまだあります。でもかつてよりずっと、等身大の自分で生きられていますかね。

  *

元SDN48で振付師の三ツ井裕美さんは、「アイドルの経験がもたらしてくれたことは?」と投げた大木さんにこう答えている。「『なにがあっても立ち上がる力』、これを鍛えてもらった」と。

大木さん含めて『アイドル、やめました。』に登場する彼女たちは、たくさん傷ついてきた。それでも、自ら決断し自分の手で次の人生を獲得した。生きていくために━━。生命力に満ちた彼女たち不屈の姿に、コンプレックスを抱えたまま前を向くことの尊さを教えてもらえたようだった。

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大木亜希子(おおき・あきこ) 

1989年8月生まれ。千葉県出身。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演後、2010年に「ちょっと大人のお姉さん」をコンセプトに作られた秋元康氏プロデュースによるSDN48のメンバーとして活動開始。その後タレント活動と並行してライター業を始める。2015年に「NEWSY(しらべぇ編集部)」に入社。PR記事の企画・編集、広告営業を担当する。2018年、フリーランスライターとして独立。2019年5月に初の著書となる『アイドル、やめました。AKB48 のセカンドキャリア』(宝島社)を刊行した。

(文:平山ゆりの @hirayuri /編集:毛谷村真木 @sou0126

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

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