「日本人なのに、『NARUTO』も『BLEACH』も読んでないの!?」
ロンドンに駐在していたころ、旅行でパリに向かうユーロスターで隣り合ったパリジェンヌと雑談していたら、軽い非難まじりでこんなことを言われたことがある。パリ北駅に着くと、20代と思しきその女性を出迎えた髭面の友人は、『ドラゴンボール』の「亀」印入りの道着を着ていた……。
海外で高まるMANGAの存在感
大英博物館で開催中の「The Citi exhibition Manga」が話題になり、海外で日本のMANGAの存在感の大きさが再認識されている。私は現地の書店をのぞくことを海外旅行の楽しみの1つにしている。欧州各国では、少し大きな書店には、たいてい日本の漫画のコーナーがあった。何人か、MANGAを「原書」で読むために日本語を勉強してるという若者に会ったこともある。冒頭のパリジェンヌも、「原書」が読める特権があるのに傑作を放置するとは信じられない、というニュアンスであきれ顔だった。
今回は、この「原書」にアクセスできる強みを生かして、あえて英語版を読んで翻訳との差を味わうという、ややトリッキーな楽しみ方を紹介したい。私がたまに拾い読みして楽しんでいるのは、あずまきよひこの『よつばと!』(メディアワークス、KADOKAWA)の英語版『YOTSUBA&!』だ。我が家にはオリジナルの既刊14冊全巻と、Yen Pressによる英語版1~3巻がある。
先に簡単に『よつばと!』の概要を紹介しておこう。
物語は5歳の少女・小岩井よつばと、「とーちゃん」こと小岩井葉介の2人が、三姉妹がいる綾瀬家の隣家に引っ越してくるところから始まる。とーちゃんが「俺が外国でひろってしまってなんだかわからないうちに育てることになった」と説明するように、よつばと葉介の間に血縁関係はない。他のキャラクターと違って、よつばは髪も瞳も緑色で、ルーツなどははっきりしない。
この謎の少女・よつばは、活発なのに臆病なところもあり、それでいて「やりたい」と思ったことにはどんどんと手を出す。日常の変化やイベントがもたらすちょっとした「センス・オブ・ワンダー」が、よつばというちょっと変わった少女の視点から丁寧に描かれ、周囲の人々とのほのぼのとした交流が共感や笑いを誘う。設定こそ「ファミリーもの」の枠からややはみ出しているものの、「子育てマンガ」の王道を行く傑作だ。手塚治虫文化賞など漫画賞を総なめし、累計1370万部超、13カ国語に翻訳されている。
味を生かした絶妙な翻訳
『よつばと!』の大きな魅力の1つは、登場人物たちの会話だ。子どもっぽいのに妙にボキャブラリーが豊富なところがあるよつばと、周囲の人々とのやり取りが、何ともおかしい。言葉選びのセンスや会話、セリフ回しのテンポの良さは、『あずまんが大王』(メディアワークス)でも発揮されたあずまきよひこの強みでもある。確かに、こうしたマンガを母語で味わえるのは、ちょっとした幸運とも思える。
ところが、である。英語版の翻訳も、ナチュラルで味があり、実に素晴らしいのだ。「子どもが手に取ってくれれば英語教育の足しになるかも」という下心半分で買ったのだが、すっかり私がハマってしまった。
例を引いたほうがわかりやすいだろう。
単行本第2巻に、綾瀬家の長女・あさぎが沖縄旅行から帰り、母と次女・風香、三女・恵那の妹2人が土産話を聞くシーンがある。ここでのオリジナルのセリフは以下の通りだ。
恵那 ね―― 沖縄って何があるの?
あさぎ ん――… なんにもないねー
恵那 え―― 何にもないの?
風香 恵那! 恵那!
「何もない」が あるのよ
恵那 ほ――
風香 いいこと言った!? わたしいいこと言った!?
続いて英語版。
Ena WAHT KIND OF STUFF IS IN OKINAWA?
Asagi HMMM... NOTHING REALLY.
Ena WHAT? NOTHING AT ALL?
Fuka ENA! ENA! THE “THING” THEY HAVE......IS “NOTHING”!
Ena OHHHH!
Fuka GET IT? ISN’T THAT CLEVER AND WITTY!?
このあと、調子に乗った風香にあさぎがチョップをお見舞いするわけだが、会話のテンポとニュアンスがうまく再現されているのに感心する。
このシーンに限らず、『YOTSUBA&!』の翻訳には、軽妙な会話や言葉遊びを、オリジナルのテイストをできるだけそのまま伝えようという強い熱意を感じる。「ここをそう訳すのか!」と感心し、ナチュラルな英語表現の勉強にもなる。
私自身がじっくり読みこんだ英語版はこの3冊だけだが、おそらく他のマンガでも、作品への愛情と敬意をエネルギーとした優れた翻訳が、海外でのMANGAの隆盛に一役も二役も買っていることだろう。
私のお気に入りは、単行本第1巻の最終話、雷鳴を聞きつけたよつばが表に飛び出て、土砂降りの雨に濡れて大喜びするエピソードの翻訳だ。「ズブ濡れだよ⁉」と呼びかける風香の心配をよそに、よつばはにわか雨に興奮してはしゃぎまわる。
それを見守るとーちゃんの「あいつは何でも楽しめるからな」という言葉に続くのが、『よつばと!』という作品全体に通じるテーマの宣言ともいえる名セリフだ。
曰く、
「よつばは 無敵だ」
あなたなら、これをどう訳しますか。本稿の最後に「正解」をご紹介する。
子育ての「おいしいところ」の缶詰
ここまで英語版の翻訳にスポットを当ててきたが、せっかくの機会なので「子育てマンガ」としての『よつばと!』にも触れておきたい。
このマンガを引っ張る最大のエネルギー源がよつばという少女のキャラクターの立ち具合なのは間違いないが、「いつまでも読んでいたい」と思わせる心地よい世界観を形作っているのは、とーちゃんをはじめ、よつばを見守る周囲の大人たちの愛情や包容力だ。
経緯は明らかにされないが、よつばは実の両親とは何らかの事情で離ればなれの状態にあり、転居を繰り返し、幼稚園にも通っていない。それでも、よつばの日常は、大人が郷愁をもって思い返すような子ども時代の幸福な日々、世界が発見と驚きに満ちていたころのワクワクした気持ちに満ち溢れている。
無論、これはマンガであり、悪意を持ったキャラクターは登場せず、綾瀬家との濃密なご近所付き合い、お店の人たちとの交流など、善意だけで構成されたある種のファンタジーであるのは否めない。
だが、それを割り引いても、『よつばと!』では、子育ての楽しさと喜び、子どもの成長がそれを見守る周囲の大人にも幸福をもたらすという、理想的な在り様がリアリティーをもって描かれている。まるで子育ての「おいしいところ」を集めた缶詰のようで、かなり中毒性があるのはそのためだろう。
「子どもで遊ぶ」
現実の日本は、保育園不足は言うに及ばず、子育てに優しい環境ではない。世界最低レベルの乳幼児死亡率など医療での手厚さと比べ、未就園児から小学校あたりまでの社会とコミュニティーの子育てに対する支援や理解は、残念ながら高い水準にあるとは言い難い。保育園・幼稚園の建設に「騒音」を理由に反対運動が起き、電車にベビーカーを押して乗れば煙たがられ、「泣くのが商売」の赤ん坊の泣き声への冷たい視線に親が肩身の狭い思いをする。
そんな冷たい現実があるからこそ、『よつばと!』の温かい世界が魅力的に映るという側面があるのだろう。
だが、一歩引いた視点でみれば、『よつばと!』に登場する大人たちは、何かを我慢したり、よつばのために犠牲を払ったりして、理想の世界を作り上げているわけではない。とーちゃんや綾瀬家の人々、とーちゃんの友人の「ジャンボ(竹田隆)」や「やんだ」こと安田は、大人として子どもに接するだけでなく、時には自分たちも童心に帰って本気で子どもと遊ぶ。とくに「やんだ」は5歳児や小学生と同レベルの友だちとして振る舞う。愛読者ならわかってもらえると思うが、「油性だ」と即答するシーンは爆笑必至。
『よつばと!』の世界が理想像でしかないのは承知だが、それでも、子育てにおいて「子どもと遊んでやる」のではなく、「子どもと遊ぶ」、何なら「子どもで遊ぶ」ぐらいの姿勢で大人自身が楽しむこと、その喜びが子どもに伝わることは、もっと意識されてよいと思う。そういう意味で、この作品の登場人物たちはある種のロールモデルになり得るのではないだろうか。ちなみに私は「やんだ」スタイルに近い(笑)。
未読の方には、ひとまず12巻までは鉄板でお勧めできる。13巻以降は刊行スピードが落ちた影響か、絵柄と読み味が少々変わった印象が強い。それでも十分に面白いが。
さて最後に、「よつばは 無敵だ」の翻訳をお示しして、締めくくりとしよう。
私は「うまい!」と膝を打ったが、いかがだろうか。
NOTHING CAN.....EVER GET YOTSUBA DOWN.
英語版は、全体を通じて語彙は中学英語レベルの平易なものなのに、学校の教科書とは違い、生き生きとした表現が溢れ、学習教材としてもレベルは高い。よつばのいわゆる「いいまつがい」も、うまくスペルミスなどで再現されているのも楽しい。機会があったらご一読を。
(高井浩章)
(2019年6月21日フォーサイトより転載)