スマートフォンを使えば誰でも瞬時に写真が撮れる時代。SNSには、マスコミよりも早く「一次情報」が駆け巡るようになった。そんな時代に、プロとして現場を撮影し報道するということはどういうことなのか?
ハフポスト日本版のネット番組「ハフトーク(NewsX)」に、報道番組『サンデーモーニング』のコメンテーターなどとしても知られるフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが出演。
写真を通して、世界で起きている様々な社会問題について発信を続ける安田さんとともに、伝えることの難しさと希望について話し合ってみた。
遠い場所で起きている問題が、「私」と「あなた」の問題になった日
安田さんが世界で起きている社会問題に興味を持つようになったのは、高校2年生の夏休み。NPO法人「国境なき子どもたち」が主催する海外派遣プログラムに参加したことがきっかけだ。
日本の11~16歳の子どもたちを対象とした“友情レポーター”と呼ばれるこのプログラムでは、アジアの国々に暮らす同世代の子どもたちを取材し、交流する。
「もともと海外で起きている問題に大きな興味があったわけではなかった」と話す安田さんだが、参加の背景には、身近な家族の死があった。
《中学校2年生の時、父が亡くなり、翌年には兄が亡くなりました。その出来事が自分の中ですごく大きくて、そこから“家族って何だろう”と考えるようになりました。
そんな時に海外派遣プログラムの存在を知ったんです。自分と全く違う環境で生きている同世代の人たちは、何を考えて生きているのか。家族というものをどう考えているのか。色々な人たちの価値観を知ることで、自分の中の家族に対するモヤモヤが晴れるのではないかと思って参加を決めました。》
安田さんが訪れたのは人身売買で被害に遭った経験を持つカンボジアの子どもたちだ。
貧困家庭に生まれて、半ば騙されるような形で労働者としてお金で売られ、虐待を受けながら働かされている自分と同世代の子どもたちーー。
《これまで何となく遠い国で起きていると思っていた問題が、目の前にいる“あなた”の問題になった。“あなた”と“私”の関係が芽生えた瞬間、世界で起きている問題との距離が一気に近くなりました。》
《でも、まだ高校生だったので、出会ったみんなにお腹いっぱい食べさせてあげるだけの資金力はありませし、怪我をしている人たちを治療する技術もありません。けれども、五感で感じてきたものを少しでも多くの人たちとシェアすることだったら、自分にもできるかもしれないと思ったんです。一人で悶々と抱え込んでいるよりは、「世界にはこういう問題があります。どう思いますか?」とたくさんの人に問いかけてみることで、良いアイデアが出るんじゃないかと。》
文章や映像ではなく、なぜ「写真」なのか
帰国後、自分が見聞きしたものを他の人に“伝える”ということに興味を持ち始めた安田さん。「師匠であり兄貴」と慕うフォトジャーナリスト・渋谷敦志さんとの出会いをきっかけに、写真の道を選ぶようになる。以来、シリアをはじめとする中東地域やアフリカ、東南アジアを中心に貧困問題や難民問題、紛争取材などを続け、現在に至る。
文章でもない、映像でもない、「写真」という手法について安田さんは「興味の“扉”のような存在」と語る。
《例えば本や映画などは、最初からある程度内容に興味があるから見ようと思いますよね。でも写真は、何気なく開いた雑誌の中で、街中の看板で、もっと何気なく出会うもの。ぱちっというまばたきひとつの瞬間に「あれ?これは何だろう?」と興味が生まれる。その興味の一番はじめの扉を開いてくれるのが写真だと考えています。それ以上の情報を知りたくなった時にはもっと情報量の多い、映像なりテキストなりが必要になってくるでしょう。でも、最初の興味を0から1にする。それが写真の強みであり役割ではないか、と私は常に意識しています。》
興味の“扉”———。
それを開いた人たちは、自分なりのアプローチで問題意識を深めていく。
《写真を見て問題意識を持ち、すぐに行動できることはもちろん素晴らしいです。でもすぐに行動に繋がらなくても写真は見た人の心の中に“種”として残ります。その“種”を育てるペースは、自分自身のペースで良いのではないでしょうか。“伝える”ということは、実はとてもロングスパンなことなのだと思います。》
安田さんの元には、中高生時代に安田さんの講演を聞いた子たちが、大人になってから、「あの時に話を聞いたことがきっかけで…」と、それぞれの進路などを報告しに来るという。中高生時代にできた心の中の“種”を、それぞれのペースで育て、花を開かせているのだ。
「違う」部分でなく「同じ」部分を見せたい。
人の興味の最初の“扉”となる可能性を秘める写真表現において、安田さんが心がけているのが、違いではなく共通点に光をあてることだという。
《私が取材を続けてきたシリアやイラクなどは、特に悲惨な場面が切り取られがちです。もともと紛争地域に興味のある人にとっては、「もっと知らなきゃ」という気持ちになりますが、何も知らない人にとっては「怖い」という気持ちを与えてしまい、人を遠ざけてしまいます。
だから私は、なるべく日常感のある写真や内戦前の綺麗な町並みの写真を見せることで、見る人の共感を呼び起こしたい、と考えています。悲惨な地域に住む彼らは「私たちとは違う存在」と捉えられがち。でも、「何が私たちと同じなのか」に目を向けてほしい。共通点を伝えることで、自分の日常とシリアやイラクが繋がる瞬間がある。違いよりも、共感のピースを拾い集めることが大事だと思っています。》
希望を持てない側の人々に、伝え手は何ができるのか。
一方で、写真表現には、一瞬を切り取るダイナミズムゆえの難しさもある。
安田さんは、東日本大震災の被災地となった岩手県・陸前高田市で撮影した「奇跡の一本松」の写真を紹介しながら、フォトジャーナリズムの難しさを語る。
《震災当時、義理の両親が陸前高田に住んでいた関係で、震災後に何度も現地に訪れ写真を撮る機会を持ちました。そこで出会ったのがこの松です。元々7万本もの松が生えていた「高田松原」で、たった一本だけ、波に耐え抜いたこの松を見た時、私は「すごい…」と感じ、夢中でシャッターを切りました。》
しかし、安田さんが撮った写真を見た義父からは、思いもよらぬ言葉がかけられた。
「確かに、震災前の7万本と一緒に暮らしてこなかった人にとっては、希望の象徴に見えるかもしれない。けれど7万本と毎日毎日一緒に暮らしてきた自分にとっては、波の威力を象徴する以外のなにものでもない。自分にとっては辛いものだし、できれば見たくなかった」。
義父の言葉は被災地の人々の本音を「代表」するものではないが、と前置きし安田さんはこう続ける。
《(この松が「奇跡の一本松」と呼ばれたように)希望を謳う声がメディアを通じてどんどん大きくなっていく時があります。でもその裏で、希望を持てないから自分はダメなんだと感じてしまう人もいるかもしれない。
伝える仕事というのはもしかすると、元々大きな声をさらに大きくするのではなく、ともすれば置き去りになりそうな人たちの声に軸足を置くことなんじゃないか。この件をきっかけに、私はジャーナリストとしてどういう役割を果たしていくべきか、改めて考えました。これって誰のための希望? と常に考えなくてはいけませんよね。》
写真に限らず報道に携わる人たちは「思考停止に陥らず、取材を通して何を伝えたいかを考え続けなくてはならないのでは」と、安田さんは問題提起する。
《例えば過激派組織「イスラム国」について報じる時。もちろん非道な行為は容認できないとして、彼らを自分たちとは全く違う“異常な”集団として切り離して報じてしまうと、思考停止に陥ってしまいます。そうではなく、なぜ彼らはそうなったのか?なぜ食い止めることができなかったのか?自分たちが彼らにならなかった可能性は本当にゼロだろうか?常に考えることを止めないことが大事だと思うんです。
世界で起きていることは、0か100かでは語れない。その間のグラデーションを直視していくことが、報道する側には求められていると感じています。》
安田さんは、これまでに撮ってきた写真をまとめた本を出版している。『写真で伝える仕事ー世界の子どもたちと向き合ってー』では、フォトジャーナリストを志した理由や世界各国でどういう取材をしてきたのかをまとめた。『君とまた、あの場所へ:シリア難民の明日』は、隣国のヨルダンに逃れたシリア難民の人々の“悲しみ”に寄り添うルポルタージュだ。
誰でも写真が撮れて誰でも発信できる時代だからこそ、「何を撮るのか」ではなくその先の「何を伝えたいのか」を深く考えたい。目に見えない思いやメッセージ。より本質的なものが求められているのではないか。
【文:湯浅裕子 @hirokoyuasa/ 編集:南 麻理江 @scmariesc】