自民党の有志議連が提唱する「男性育休義務化」が話題になっています。
私の住むフランスでは、子どもの誕生時に11日間取得できる「父親休暇」を、サラリーマン男性の7割が取得しています。私の夫も二人の子どもの誕生時にその休暇を取得し、大変な時期を夫婦揃って乗り越えるため、とても大きな恩恵を受けました。
その経験とフランスでの実例から見て、今回の育休義務化について考えるところをまとめたいと思います。
義務化「議論」は政治主導で
まず私は、男性育休義務化を「議論すること」に賛成です。
「義務化」という強い言葉での議論喚起は、男性の育児参加が日本社会の重要議題であると世間に広く知らせる効果があります。
議連の方々の狙いも、男性育休義務化を実現することに加え、この「男性の育児参加の必要性を知らしめること」にあるようです。
現代の日本社会は、女性の労働力を前提とした経済システムが確立し、出産適齢年齢の世帯の多くが共働きとなっています。『お父さんは外で仕事・お母さんは内で家事育児』という昭和的な性別分業のあり方は、社会一般モデルとして通用しなくなっています。
その一方、保育園など家庭外保育手段は不足し続け、実家を頼れない孤立した子育てが常態化しています。祖父祖母も現役でフルタイム勤務をしていたり、互いに遠くに住んでいたりで、年に数回しか会わない、というケースも多いです。
この状況で子どもを育み守る大人の数を確保するために、父親が育児に関わることは、もはや必要不可欠の流れです。
それなのに、労働現場ではいまだに性別分業社会の固定観念が強く残っています。
長時間労働の悪弊はなかなか改善されず、育休取得を望む男性を「使えない男だ」と批判する声も聞こえ続けます。
とても残念な現実です。
男性が自主的に育児に関わっていくための、時間も環境も社会的認識も、全く足りていないのです。
その時間・環境・社会的認識を迅速に作って行くために、政治主導でできることの一つが、この男性育休義務化の政策論議だと思います。
義務化すべきは「育休」か、それとも「産休」か?
男性育休を義務化することそのものに関しては、「誰に」「何を」「どう」義務化するか、によって実現可能性が変わるので、私の賛成・反対もその内容に寄ります。
そしてその内容は、「なんのために男性を休業させ家庭に返すのか」の目的によって変わります。
義務化を論じる際には、この「なんのために」の共通認識を社会全体で固めることが大切で、制度の詳細はその後、目的への最短距離として考えていくべきものでしょう。
議連の活動に関する報道を見ると、その目的は「企業や社会の男性の育児参加に対する意識改革を行なっていくこと」(6月5日ハフポスト記事より)とあります。
これは言い換えると、「男性にもっと育児に参画して欲しい」「企業や社会はそれを後押しして欲しい」ということで良いかと思います。
参考までに男性の育児参画が日本より盛んな国の制度を見ると、父親用の休業として、「産休」と「育休」の二種類を提示しています。
この二つの違いはなんでしょうか?
「産休」は母親産休に時期を合わせたもので、子の誕生直後の育児のスタートアップを父母同時に行うとともに、男性が「家庭運営のできる成人」として家にいることで、出産でダメージを受けた母親をサポートする狙いがあります。
「育休」は、就業親が保育園など家庭外保育手段ではなく、自宅保育を望む・選ぶ場合の、保育者として子と共に過ごすめの長期休業です。
並べて見ると「産休」と「育休」は、目的の違う休業であると分かります。
勤労女性には産む性である身体的必要上と、性別分業社会で育児担当者とみなされてきた経緯から、この二つの休業制度が整えられてきました。
一方、自ら出産せず、性別分業社会で育児担当者とみなされてこなかった男性には、長年「親の義務を果たすために仕事を休むこと」が想定されませんでした。
父親として仕事を休む必要性が認められた際も、産む性ではないことから「産休」は当然スルーされ、母親に代わる保育者としての「育休」のみが整えられた、という経緯です。
しかし実際には産休は、産後の身体の回復の時間だけでなく、乳幼児との新生活を整備していく「育児のスタートアップの時間」という側面があります。そしてこれは親であれば、男女の性別問わず必要な時間です。
この観点で考えると、今の日本で父親たちに義務化すべきはどちらでしょう?
「産休」でしょうか、「育休」でしょうか、その両方でしょうか?
国家戦略だったフランス版「男性産休」
私の在住するフランスでは、男性に11日間与えられる「父親休暇」がある、と冒頭で書きました。これはまさに、女性の「産休」に相当するものとされています。
目的は前述の通り、父親としての育児のスタートアップと、出産でダメージを受けた母親のサポートです。
休業中の父親の収入補填も女性の産休と同じく、医療保険から支給されます。
なぜフランスでこの制度がスタートしたかというと、それは現在の日本とまさに同じく、「父親が育児をする」ための時間・環境・社会認識が整っていなかったから。
男女ともに取得できる育休制度があっても、その取得は日本同様母親に偏り、父親の方は全く伸びない状態が続きました。
それを変え、父親の育児参画を可及的速やかに促進するために考えられたのが、父親にも「産休」相当の時間を与える策でした。「育児のスタートアップ時間を父親に与えよう」と、国家戦略として導入されたのです。
その際の制度設計は、取得可能性を最優先して考えられたそうです。
例えば取得期間は、職場が一時欠員を許容できる長さ(11日間)で設定。企業への負担を可能な限り減らすよう、休業中の給与補填は国が支払い、企業側負担はありません。
また産休中の父親が実際に育児実務をこなせるよう、母親の産後入院中、助産師から父親・母親揃って育児指導をする仕組みも整えられました。
この「男の産休」制度は2002年の施行直後から好調なスタートを切り、休業した男性の育児実績がデータで確認されていると、高評価を得ています。17年後の現在では、期間を3〜4週間に延長する議論が進められています。
「父親研修」とセットの「産休」義務化
フランスのこの例を見るにつけ、日本で男性育休を義務化するなら、私はまず「産休」に相当する数週間の休業とするのが良いと思います。
最もハードな新生活立ち上げの時期に父母が揃って家庭にいられて、かつ労働現場での欠員の影響も長期育休ほど大きくない。
加えて、現状の「育休」を取得したい人にはその権利を保障する、二階建ての制度が望ましいと考えます。
その際には、この男性産休が女性の産休と同じくらい必要不可欠なものと銘打ち、福利厚生の一環として、企業側に従業員の取得を義務とさせることが必要でしょう。
女性が産休を取ることに意を唱えることがナンセンスなように、男性の産休も考えてもらう。
またこの休業期間中、男性が育児当事者としての自覚とスキルを養えるような対策も欠かせません。
保健所などの公的機関で父親研修を開催し、育休手当の給付にはその研修に参
加することを必須とする、手当申請そのものを父親研修で行うようにする、といった関連付けも考えられます。
意識の低い男性に育休は無意味? → 育児意識を高めるために義務化が意味を持つ
男性育休義務化の話では必ず、「育児意識の低い男性に育休を与えても意味がない」との指摘が上がります。
私はこれは逆だな、と思います。
育児意識の低い男性にこそ、それを醸成するための時間と手段を与える必要がある。育児意識の高い男性は、義務化されなくとも自主的に育休を取得するでしょう。
低い育児参画意識をより高くするために、義務化は意味があるのです。
現在育休取得者は有権利者の約6%、育休でない短期有給休暇制度でこの誕生時
に休業する父親たちは4割強と言われています。父親の半数以上は、子の誕生という人生の一大事にも通常通りに仕事を続け、休業してもほんの短期間という人がまだまだ多い。
義務化が働きかけるのは、この「子が生まれても育児時間を取らない父親たち」。そうして「育児する父親」の絶対数が増えれば、もともと育児意識の高い父親たちには、より育児のしやすい社会になっていきます。
人手不足が常態化する社会で、企業側の反対は当然のことと思います。
ですが、この人手不足は、過去30年、未来の労働力となる子どもが生まれやすい・育ちやすい社会を整えてこれなかった官民の行動の結果です。
育児しにくい労働環境を維持しながら、「自己責任で産めよ増やせよ」と、労働者側にばかり負担を求めてはこなかったでしょうか。
明日の日本をより良い形で継続するには、官も民もそれぞれに荷を背負い、全員一致で「子どもが生まれやすい・育ちやすい」社会を作っていく必要があります。
そしてそれは、可及的迅速に向き合うべき課題です。
男性育休義務化は、その認識を日本全体で共有するための、大きなきっかけになる。そしてそれは、子を持たない人も含め「休むことが許されない」日本の働き方を問い直す機会になるはずです。
大いに盛り上がり、賛成反対入り混じっての侃々諤々の議論となることを願っています。