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外見や性格、趣味嗜好、家族構成、持っている病気──。大なり小なり誰もが「違い」を持っていて、この世に1人として同じ人はいません。多様な個性を持つ全員がいきいきと働く組織は、どのようにつくられるのでしょうか。
サイボウズの代表取締役社長・青野は、「100人100通りの働き方」 を実現する組織づくりに取り組んでいます。その問いを深めるために今回会いに行ったのは、東京大学准教授の熊谷晋一郎さん。
熊谷さんは、障害や病気などの「困りごと」を抱える当事者が、仲間と助け合ってそのメカニズムや対処法を探っていく「当事者研究」の研究者であり、ご自身も脳性麻痺の当事者です。 障害や病気の有無にかかわらず、多様な個人、誰にとっても働きやすい組織を実現するために必要な文化とは──?
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「障害者」ではなく「万能ではない人のうちの1人」でいられるチームがあった
青野: 今日は、熊谷先生と「多様な個性を生かす組織をつくるために大切なこと」をテーマにお話できたらと思っています。
熊谷: よろしくお願いします。まず、脳性麻痺の当事者である私自身の経験を、ご紹介したいと思います。
青野: ぜひ、聞かせてください。
熊谷: 私はこれまで十数年、小児科医として病院に勤務していました。そして研修医時代に配属された1年目と2年目の職場では、「働きやすさ」に大きな違いがあったんです。
青野: どんな違いがあったんでしょう?
熊谷: 未熟な小児科研修医にとっての最初の壁のひとつは、赤ちゃんの採血です。親御さんからのプレッシャーがあるなかで、暴れる赤ちゃんの細い血管に注射針を刺さなければなりません。
はじめは誰もが失敗をするものですが、車椅子に乗っている私の「失敗のインパクト」は他の研修医よりも大きい。当然、親御さんからの申し出で、担当を外されることもありました。
同期たちが失敗を糧に技術を磨いて一人前になっていくなかで、私は焦りと失敗の悪循環に陥ってしまったんです。
青野: その状態は、つらいですね。
熊谷: 私が失敗すると、次第に「熊谷にやらせてはいけない」という空気になっていきます。
私のように障害がある者が、医療現場でチャレンジすること自体が利己的すぎるのではないか。1年目の職場では、私自身も自分を説得できずにいました。
青野: 2年目の職場では、変化があったんですか?
熊谷: はい。2年目の配属先はたいへん忙しい病院でした。ここでも自分は使い物にならないだろうと、小児科医をあきらめることも考えていたんですが、実際に働き始めると、予想外の展開が起きたんです。
青野: ほう。
熊谷: 上司も同僚もとにかく忙しいので、現場を回せる人を1人でも増やすために、「熊谷を早く一人前にしたい」と思ってくれていたんでしょうね。
採血ができない私に「1000本ノックだ!」と苦手を克服する環境を与えてくれ、1ヶ月後には当直も任せられるようになりました。
青野: 素晴らしいチームですね。
熊谷: その病院では、みんな「正しいやり方」にこだわりすぎず、おたがいの癖や弱点を知ってそれらを即興的に補い合う、柔らかなチームワークを築いていたんです。
たとえば、私は口で注射器をくわえるので、看護師さんたちは独自のフォーメーションを組んでくれます。
熊谷: 目に見える障害のある私に限らず、誰にも得意なこと、苦手なことがあり、万能な人はいない。私はそのチームのなかで、「障害者」ではなく、「万能ではない人のうちの1人」に自然となっていたんです。
「失敗を減らしたければ、失敗を許容しなければならない」
熊谷: 1年目と2年目の職場では、一体何が違ったんだろうか? 学問の世界に身を置くようになって振り返ったときに、気づきがありました。
それは、「失敗に対する考え方」の違いです。
青野: くわしく教えてください。
熊谷: 私は障害のある人の就労を考えるときに、「高信頼性組織研究」という分野の知見を参考にしています。それは、たとえば病院や原子力発電所など「失敗が許されない組織」で、いかに失敗をゼロにできるかという研究です。
この学問でわかっていることは、「失敗を減らしたければ、失敗を許容しなければならない」ということでして。
青野: 逆説的ですね。
熊谷: 「失敗の原因を個人に帰属し、犯人探しをして罪を償わせる」という発想だと、人は失敗を隠すようになってしまいます。すると個人も組織も、せっかくの学習の機会を奪われ、結果、失敗を繰り返すようになる。失敗は唯一の学習資源ですから。
大事なのは、失敗が起きたときに、個人に原因を押しつけるのではなく、「組織全体に帰属し、何が悪かったのか」をみんなで研究すること。
そのように、失敗を許容して学習を最大化する文化を「ジャストカルチャー」と呼んでいます。
青野: 2年目の職場には、ジャストカルチャーがあったんですね。
マニュアルに沿うのではなく、その瞬間に集中することが大事
青野: くわえてもうひとつ、1年目と2年目の職場では、目的と手段の優先順位が違うんじゃないかと感じました。
熊谷: ああ、まさに。
青野: 2年目の職場は、忙しいからこそ「熊谷先生に独り立ちしてもらう」という目的が大事だった。一方で、1年目の職場では、「正しい手段」を求められていたのではないでしょうか。
熊谷: おっしゃるとおりです。明確な目的の共有と、柔軟な手段の組み合わせは、障害者支援でもっとも大事なことのひとつだと思います。
私が1年目に何度も読んだ採血マニュアルには、「正しい手段」しか書かれていません。ことごとく私の身体ではできないことばかりで、本当に困りました。
青野: ええ、ええ。
熊谷: でも2年目、採血という動作は「要するにどのような目的を達成するべきものか」を考えなおし、「安全かつ短時間で採血できれば、手段は多様であっていい」と思えたことで、注射器を口でくわえるという独自のスタイルに行き着いたわけです。
平均値でつくられているマニュアルではできないことも、目的を重視すれば、手段を柔軟に変えることができる。すると、障害者にも居場所ができるんです。
青野: 目的よりも手段を重んじる組織では、マニュアルから逸れて問題が起きたときに、ブレイクスルーできないですよね。
経営も同じで、平均値のマニュアルで語られることは必ずしも「正解」ではありません。ビジネスの現場でも、マニュアルに沿うのではなく、その瞬間に集中することが大事だと思います。
熊谷: 高信頼性組織のもうひとつ重要なキーワードは「マインドフルネス」です。思い込みのバイアスを消して、今起きていることに五感を研ぎ澄ます。マニュアルは、目的によっては捨てることもできるんですね。
青野: これは、どんなチームにも欠かせない視点ですね。
「見えやすい障害」と「見えにくい障害」があり、後者を研究する必要がある
熊谷: 個人の多様性を考えたときに、障害には「見えやすい障害」と「見えにくい障害」があります。
誰もが生きやすい社会にするには、「見えにくい障害」をいかに研究するかが大事なのではないかと思っています。
青野: 見えにくい障害、ですか。
熊谷: たとえば私の場合は、車椅子に乗っているので「見えやすい」障害です。誰もが、規格外であることがわかる。
見えやすい障害のある人は、満員電車で舌打ちされたり、排除されやすかったり、大変さがある一方で、表現コストを節約できる。
社会のなかでどんな困りごとを抱えていて、どんな手立てが必要なのか、言葉で伝えなくても察してもらうことができるんです。
青野: たしかに、お会いした瞬間に障害をお持ちであることがわかります。
熊谷: 一方、精神障害などの「見えにくい障害」は、一見していわゆる「普通」とどう違うのかがわからない。周りだけでなく、本人にも見えにくいんです。
ほかの人との「違い」に気づいても、理由がわからないから解決策が見つからず、苦しい状態に置かれ続けてしまいます。そして障害が見えないから、「努力が足りない」「意思が弱い」といったように人格を否定してやり過ごすしかない。
青野: それは、大変な状態ですね。
熊谷: 混沌と混乱ですね。生きづらさを表現する言葉が世の中に流布していない、ゆえにどうすれば生きやすくなるのかもわからない。
だから、モノを投げたり、叫んだり、「問題行動」と言われるような何らかの症状を発することでしか、他者とコミュニケーションを取ることができない状況まで追い込まれたとしても不思議ではないんです。
青野: なるほど。
熊谷: 「見えにくい障害」の当事者の人たちは、自分のニーズを主張する前に、自分が何者なのかを解明していく必要がありました。
そこで生まれたのが、自分自身を研究対象に、仲間たちと困りごとを解きほぐしていく「当事者研究」という取り組みです。
研究者として、問題と自身を切り分けて、観察する
青野: 見えにくい障害や、自分を知る「当事者研究」はどのような手法で行われるのですか?
熊谷: たとえば、「放火する」という問題行動を頻繁に起こしてしまう人がいたとしましょう。このとき、自分を見つめ直す方法にはふたつのモードがあるんです。
ひとつは「反芻(はんすう)」モード。問題行動を起こした自分を、取り調べをするように責めていく方法です。「なんでやったんだ?」と追い込んでいく。
青野: これは、つらそうですね。
熊谷: 反芻モードで自分を振り返ると、落ち込んで具合が悪くなります。自分自身を責める行為ですから。
それに比べて対照的なのが「省察(しょうさつ)」モードです。自分の起こした問題行動を、まるで自然現象を観察するように振り返ります。
熊谷: 雨が降ったときに、誰かを責めることはないですよね。同じように人間社会で起きる問題も、きわめて複雑な相互作用のなかで起こる「現象」だと考えるのです。
放火を起こしてしまったのはなぜなのか。どんな困りごとがあったのか。周囲の状況、自分の感情を、客観的に分析していきます。
青野: なるほど。おもしろい!
熊谷: このように、問題行動をひとつの属人化できない現象として捉えることを、「問題の外在化」と呼んでいます。
そうすると、問題行動に対する解釈が変わってくるんです。問題行動や症状は、取りのぞくべき無意味な邪魔者ではない。何かほかのところに困りごとがあると知らせてくれる、意味のあるシグナルだと受け止められます。
青野: 研究者として、その症状がどんな意味を持つのか、解き明かしていくわけですね。
他責でも自責でもなく「無責」で考えると、自分やチームのことがわかってくる
青野: ビジネスの世界では、「他責ではなく、自責で考えよ」とも言われますが、僕は「無責」が好きなんです。
先ほど熊谷先生がおっしゃった「問題の外在化」は、無責にも近いのかな、と思いました。
熊谷: ああ、はい。そうですね。
青野: たとえば、顧客からのクレームが発生したとき、「開発のせいだ」「営業のせいだ」と自分や誰かのせいにするのは無意味だと思っています。複雑なさまざまな要因が絡み合っているから、犯人探しをしたらきりがありません。
起きるべくして起きたと「無責化」すれば、チームでおたがいを責め合わずにすみます。
熊谷: そうですよね。犯人を追い詰めて罪を償わせることよりも、無責化して分析することの方が大事なのではないかと。
無責化して、複雑に絡み合う問題を解きほぐし、誰かと共有することで、はじめて一人ひとりに心からの反省が湧き出てくることも多い。本当の反省をするためには、いったん無責化することが前提条件になるのではないでしょうか。
自分の困りごとを知る「健常者の当事者研究」が必要な時代
青野: 先ほど「放火」を例に挙げていただきましたが、最近は政治家が問題発言をしたり、SNSで誹謗中傷を繰り返す人がいたりと、健常者にも「問題行動」があるような気がします。
熊谷: 最近では、まさに「健常者の当事者研究」が始まりつつあります。
これまでの当事者研究の主な対象は、見えにくい障害を持つ「障害者」でしたが、社会が急速に変化するなかで、健常者も言葉にし難い困りごとを抱えるようになっています。
自分の困難を表現する言葉を持たず、原因もわからないと、苦しいですよね。
青野: ええ。
熊谷: 研究者は、中立的な立場で、事態をありのままに観察します。その研究者的な視点を自分の人生に当てはめて、「自分はいったい、何に困っているのか?」と、目を逸らしていた核心に迫っていくのが当事者研究です。
青野: 「当事者研究」で自分たちをより深く知ることが、自分の個性を発揮できる組織をつくる一歩なのかもしれませんね。
熊谷: 今後は企業にこの「当事者研究」を導入する試みも始めたいと思っていますので、またご相談させてください。
青野: ぜひぜひ! 今日はありがとうございました。
執筆・徳瑠里香/撮影・橋本美花/編集・明石悠佳/企画・大槻幸夫、山口雄大
本記事は、2019年5月27日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。