子どもに「成功体験」を積ませることよりも、親の「しくじった話」が子どもの自己肯定感を育むってどういうこと?

親はつねに『子どもの規範であろう』とする必要はない
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本記事は2019年3月20日に刊行された平岩国泰・著『子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す! 「自己肯定感」育成入門』より内容を一部抜粋・編集してお届けしています。

「やったことがないからやりたくない」の衝撃

私は、放課後の小学校施設を活用し、地域社会とともに子どもを育てる「アフタースクール」(放課後NPOアフタースクール公式サイト)という、子どもの創造的な空間づくりを目指すNPOを運営しています。

私はこのNPOの代表理事として、15年間で累計5万人以上の子どもたちと向き合ってきました。

そんな私が、深い衝撃を受けた出来事があります。

それは、アフタースクールの活動を始めて、まだ間もない頃のこと。

ある新しいプログラムを「みんなでやろう」と呼びかけたとき、ある男の子がこんな一言を口にしたのです。

「やったことがないから、やりたくない」。

子どもは、何にでも好奇心を示し「やりたい! やりたい!」とすぐ飛びつくもの。

そう思い込んでいた私は、彼の言葉に驚きを覚えました。

なぜ、そんなことを言うんだろう? という疑問が、そのあともずっと心の奥底に残りました。

しかし、活動を通して出会った親御さんたちに話を聞くうちに(子どもが)「チャレンジしない」といった悩みをお持ちのご家庭が少なくない、ということがわかってきました。 

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 「挑戦」したがらない子どもの背景には何があるのか

「挑戦しない子どもが多い(増えている)」という私の仮説が本当だったとして、なぜ子どもは、挑戦しなくなったのでしょうか。

私はこの変化について、周囲の教育関係者や保護者たちと、何度も話し合いました。

あれこれ考えていたときに、「子どもは社会の鏡」という基本的な言葉を思い出しました。そして、ふとこんな考えが浮かびました。

「変わったのは、私たち大人の方なのではないか」と。

大人の失敗経験が減り、寛容力が下がった結果として、子どもが挑戦しなくなっているということなのではないか。

どこに行くにしても、何をするにしても、その場で効率の良い方法や他の人の評価を調べる、ということができるようになり、いわゆる「外れる」ことが極端に減りました。

私が学生の頃にあったような「誰かをレストランに誘って、おいしいらしい、などと盛り上がって行ってみたら休みで恥をかいた」という経験をする若い人は、きっと大幅に減っているでしょう。

人は失敗をしなくなり、ちょっとした失敗が「ありえない」などと言われるようになりました。

「不寛容社会」と言われる状態も、そのような時代の産物でしょう。

私自身、子どもが生まれて、これまでになく「恥ずかしいこと」「思うようにいかないこと」を経験しました。

上の娘を育てているときに、抱っこしていた娘が乗客の多い電車の中で泣き出したことがありました。何とかあやしてしのごうとしましたが、まったくダメでした。

そのときの、周囲の冷ややかな視線は忘れることができません。

飛行機で旅をした際にも、着陸までの20分くらい娘が泣き続けたときがありました。

その時の周囲の反応は温かいものでしたが、シートベルトをして動けないまま生きた心地がしませんでした。逆に言えば、それまでの大人としての自分の生活ではそこまで「失敗して恥ずかしい」「周囲に迷惑をかける」という経験がほとんどなかったのです。

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 親が「恥をかきたくない」「面倒を増やしたくない」と思い過ぎていないか

そこでまた、気づきました。

子どもに失敗させると、親が恥をかく、面倒ごとが増える。そのため、親である大人が「子どもが失敗しないように」手を打つ。

なぜなら大人が「恥をかきたくない」「面倒を増やしたくない」からです。その時代において、「子どもが挑戦をしない」のです。

子どもたちが失敗したがらなくなったのは、そもそも大人たちが失敗を恐れているからだというのが、私のたどりついた結論です。

ですから、親がまず、失敗を悪いものと思い過ぎない、ということが大事なのではないかと感じます。

子育ての本質は何か? と聞かれれば、私は「がまん」だと思うようになりました。

これは子どものために何かを「がまんして行いましょう」、という意味での「がまん」ではありません。

むしろ「手を出し過ぎない」ということ。「大人が子どもに失敗をさせない」よう気を配り過ぎないということが重要なのです。

では、すでに、挑戦に対して尻込みするようになってしまった子どもを、「失敗はよくないことだ」というなんとなくの不安、思い込みから解放するには、どうすればいいか。

それは、まわりの大人が失敗を笑い飛ばす、あるいは「失敗から学んだ」経験を話す、ということです。

ドラマティックでなくていい。懸命に○○したのに、全然ダメだった話。いい年の大人なのに○○してしまった話。こうした失敗エピソードをときには親がすすんで話してあげてください。

先生も弱みを見せない傾向がありますが、先生もぜひ弱みや失敗を話してあげると子どもとの距離が一歩縮まるように思います。

失敗を笑いながら語れる大人も、また、自己肯定感の高い人であると思います。

「大人の失敗話」は、子どもにとっては、いわば価値の転換です。子どもにとっては「なーんだ、大人や先生も失敗することがあるんだ!」という驚きがあります。

同時に、そうした「気づき」をきっかけに、親や先生は必ずしも尊敬するだけの存在ではないこと、子どもが守られるだけの存在ではないことがわかる。

「大人にも、自分たちが普段見ている顔とは違う顔、違う面があるんだ」という多角的な捉え方を身につけることにつながると思います。

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ピーター・ヤロウさんのプログラム
「Don’t Laugh at Me」から学んだこと

そもそも、親というものは、小さな子どもにとっては100%「正しい」存在に思えるものです。

私自身、子どもの頃、自分の親は圧倒的に自分より立派で、完成された大人に見えていましたし、自分もそういう親にならねばいけないと思っていたときもありました。

しかし、あることをきっかけに「親はつねに『子どもの規範であろう』とする必要はない。むしろ人生の先輩として、スキを見せたほうがいい。悩んだり、迷ったりする姿を見せるべきだ」と思うようになりました。

アメリカの著名な歌手、ピーター・ヤロウさんという方がいます。

彼は「Don’t Laugh at Me(私を笑わないで)」という、多様性の理解やいじめ防止を目的とした、全米で5万人以上の教員が研修を受けて実施されている子ども向けのプログラムを広めた人物でもあります。

以前に、その活動をお手伝いする機会がありまして、その中のあるセッションに、私は非常に感銘を受けたのです。

それは、教員たちが「うまくいかなかった体験」を子どもたちに語るというものでした。まず、教壇に立つ先生が自分の弱みを語るということに驚きました。そして、子どもたちが熱心に聞いて、笑い飛ばすこともなく共感を持つということに新鮮な感動を覚えました。

間違いなく先生と生徒の心の距離は大幅に縮まっていました。大人が弱みを見せることは、決して悪いことではありません。

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外で遊ぶ子どもたちのイメージ写真

 大人が「弱み」を見せることで、
子どもの視野は広がり、器も大きくなる

「子どもに自分のダメなところをさらけ出すなんて」「大人としての威厳は一体どうなるんだ」と思う人もいるかもしれません。

しかし、それでなくても、守る側、守られる側という立場がある以上、先生と生徒、親と子というのは、どんなに仲が良くても、その背景には圧倒的な支配関係があります。

だからこそ、大人の失敗話には意味がある、と私は思います。支配する・されるという関係性を乗り越えた共感関係を作れる可能性があるのです。

さて、実際にやってみると、大人の「うまくいかなかった話」は、子どもに予想以上に"受け"ます。子どもにとっては「大人なのに失敗してる」こと自体が新鮮で、面白いことなんです。

それは普段縛られている「親子」という上下関係を離れて、親というひとりの人間と向き合うということでもあり、「お父さん」「お母さん」との関係をもっと豊かな視点で捉え直すということでもあるでしょう。

親が弱みを見せる、ということは、子どもが物事を「複眼」的に捉える訓練になるという意味でも、いい経験になるのではないかと思います。

人間味や弱さを、ときには明るくさらけ出して一緒に笑うことで、親と子どもとの距離がぐっと縮まり、本音も言いやすくなるでしょう。

その意味でも、「親や先生が明るく失敗話」をする、というのはとても効果があると思います。日本では親も先生も「完璧な大人」を演じ過ぎてはいないか、と思っています。

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プレタポルテby夜間飛行

この記事は2019年5月25日プレタポルテby夜間飛行掲載記事

より掲載しました。