政府は4月9日、1万円・5千円・千円のそれぞれの肖像デザインと5百円硬貨を刷新する方針を明らかにした。麻生太郎財務大臣が記者会見で発表した。デザインの刷新は2024年度の上半期を見込んでおり、刷新されれば2004年以来となる。
1万円札は、現在使用されている福沢諭吉から実業家の渋沢栄一の肖像画に変更される。渋沢栄一とはどんな人物なのか?経歴とともに紹介する。
「日本資本主義の父」渋沢栄一の功績
『渋沢栄一伝記資料』によると、渋沢栄一は1840年2月13日、埼玉県深谷市に農家の息子として生まれた。幼い頃から父や従兄弟から学問を学び、のちに徳川家15代将軍・徳川慶喜に仕えた。
27歳の頃には、徳川慶喜の実弟・徳川昭武に同行する形でパリの万国博覧会や欧州各国を視察した。その間、日本では大政奉還となり、約260年続いた江戸時代が幕を閉じる。
帰国後、明治維新を迎えた日本で、渋沢は静岡に「商法会所」(銀行と商社の業務を行う合本組織)を設立し、養蚕業の普及や地域における農業の振興にも尽力した。
その後は明治政府に仕え、大蔵省(現・財務省)で新たな国づくりに奔走する。
1873年に大蔵省を辞め実業家に転じ、日本最初の商業銀行となる第一国立銀行を開業。自ら総監役を担い、2年後の1875年には頭取となった。渋沢はその後、第一国立銀行を拠点に株式会社の創設などに注力し、1931年11月11日に91歳でその生涯を閉じるまで、公共事業を含めると約600もの会社の設立や経営に携わった。
唱えたのは「道徳経済合一説」
日本経済や資本主義の発展に功績を残した渋沢栄一が唱え続けたのが、「道徳経済合一説」だ。
これは、「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」という考えであり、現在の「企業の社会的責任」にも広く通ずる考え方であった。
1916年(大正5年)には、に渋沢栄一の喜寿を記念して誠之堂が建てられ、2017年の秋には天皇・皇后両陛下も見学に訪ねられている。