私が小学生くらいの頃は、「りぼん」派と「なかよし」派に分かれるクラスメイトたちと、それぞれお気に入りの漫画について話したものだ。少ないお小遣いでは買える漫画に限りがあるので、互いに貸し借りもしたし、その後、「りぼん」や「なかよし」を卒業しても、学生時代、私のそばには少女漫画があった。
きっとこれは私だけの特別な経験ではないはずである。大人になって、たとえ漫画と距離ができたとしても、きっと多くの人の心に忘れられない、印象的な漫画があるだろう。
少女漫画の現状に一石を投じる人がいる。今年で漫画家デビュー35周年を迎え、『マーガレット』(集英社)などで数々の革新的な少女漫画を発表してきた楠本まきさんだ。現在、漫画月刊誌『ココハナ』(集英社)で連載中の「赤白つるばみ・裏」で、登場人物に「ジェンダーバイアス※のかかった漫画は滅びればいい」と語らせるなど、性別の呪縛や「女の子らしさ」に疑問を呈する表現を用いている。
また、2019年1月17日に「エンパワメント」と題した自身のnoteのなかでは「少女漫画は、もっと少女の考え方や生き方を自由にするものでなければ、それは少女に対する裏切りではないか」と綴って話題となった。
イギリスから一時帰国中の楠本さんにその真意を聞いた。
※編集部注
ジェンダーバイアス…性別によって社会的・文化的役割の固定概念を持つこと。社会における女性に対する評価や扱いが差別的であることや、「女性(男性)とはこうあるべき」となどの偏ったイメージ形成を指す。
漫画が読む人の意識に偏見を刷り込む役目をしてはいけない
――ブログの中で言及している、少女漫画のなかのジェンダーバイアスについて、もう少し詳しくお聞かせください。
今、私は少女漫画誌というより、もう少し年齢層の高い女性漫画誌で描いているんですけど、そうすると、婚活とか、女子力がテーマみたいな作品がものすごく多いんですよね。で、どうしてこうなるのかなと考えたときに、作家自身がジェンダーバイアスに囚われていると、まあ、作品もそうなってしまうよね、と。
――それは、女の子は女の子らしくすることが当たり前、好きな男の子に気に入られるために頑張り、我慢をすることが良しとされるというようなことでしょうか?
そこまではっきりとは流石にもう誰も描きませんが、端々に出てくるんですね。だからかえって、悪意すらもなく、性別に基づく偏見が、偏見と意識されずに少女漫画・女性漫画の中で垂れ流されている。初めからジェンダーの意識のある人は引っかかるけど、そこに引っかからない人は、そのまま読んで、そんなものだと、より強固に思っちゃうでしょう?だからどこかでこの流れを断ち切らないといけないなあ、どうすればできるのかな、と思ったのが、記事を書いたきっかけです。
――こういった考えは、前々からお持ちだったのでしょうか?
実は私自身はジェンダーを強く意識してきたわけではありません。ただ、(個々の価値観を最大限尊重する)個人主義、というのが私の作品全てに貫かれているという自負はあって、それにはジェンダーの平等も当然含まれているので、ことさら強調する必要を感じていませんでした。
「KISSxxxx」という作品がヒットしたことで、私は描きたいことを自由に描けるようになったのですが、その作品では、女の子が可愛いと思う女の子を描きたい、というのがまず第一にありました。その頃主流の少女漫画は学園モノで、特に取り柄もないしパッとしない主人公が、何かと男の子に尽くして、その優しさ(?)にほだされた彼の心を射止めてハッピーエンドというような話が多かったんです。私は、こういう主人公は嫌だなあと思っていて。「KISSxxxx」に出てくる“かめのちゃん”というキャラクターは、自分の容姿にうじうじ悩むこともないし、ややトロくても全く卑下しない。誰にも尽くさないし、男の子がいてもいなくても楽しくやっていけます。もちろん女子力アップも目指しません。それで、今も本当にたくさんの、当時少女だった読者の方たちが「私はかめのちゃんになりたかった」と言ってくれるんです。それがとてもうれしい。ちゃんと受け取ってもらえてよかったな、って。
私自身の話に戻ると、高校生で漫画家デビューしてからは大人からも「作家さん」として扱われてきましたし、入った大学が女子大のしかも哲学科だったこともあり、男性にお酌をしたり、サラダを取り分けたり(笑)する状況に陥ったことは一度もないです。性別による不平等を実際に強いられたと感じたことはほとんどありませんでした。でも、日本の社会自体が不平等な状態で、まさにその中で生きているのに、「自分はそういう経験をしていない」というふうに思うこと自体が、甘いというか、幼稚な考え方ですよね。システムに組み込まれているのに。
大学では倫理学専攻だったんですけど、江原由美子先生の社会学の授業を必修でとっていて。ふと最近思い出して30年前のテキストを読んだら、まさにそういうことが書いてあって、その時気づかずにいたことが恥ずかしい限りです。
――具体的に不平等を感じる経験がなくても、意識はあった?
直接自分に向かって言われたりされたりしたことはなくても、大きなコンテクストでの不平等はもちろん、常に経験していたわけですよね。たまたま私の家庭環境はそうではなかったけれど、世間では「女の子なんだからそんなに勉強できなくていい」とか、「女なんだから家事をして当たり前だ」とか、溢れかえっているじゃないですか。何十年も前から変わらず。それは常におかしいと思っていました。
最近になって、医学部の不正入試問題などあまりにひどい出来事が続いているので、やっぱり黙っているのは、何かを放棄していることになるなと思って、思っていることをきちんと書いておこうと思いました。
――楠本さんのスタンスに対して、読者から何か反応はありましたか?
「赤白つるばみ・裏」を連載している『ココハナ』は、まあ、どちらかというと保守的な考え方の掲載作品の多い漫画雑誌です。そういう雑誌でやることに意味があると思って描いていますが、やはりその中では「異端なのは私」ということになってしまう。だから、伝わらないところも多く、限界があるなと正直、感じています。もちろん、Twitterなどで「すごくよくわかる」と言ってくれる人もいて、それは本当に励まされるし、うれしいです。でも私の漫画を好きな人は読んでくれるけれど、好きじゃない人は全く読まない可能性が高いので。なかなか広がっていかないですね。
ジェンダーバイアス禁止のガイドラインを
――最近は、日本でも性別によって生じる不平等に声を上げる人が増えてきました。お話を聞いていると、社会が少しずつ変わっていっているのに、少女漫画の中の世界はあまり変わっていないように感じます。
それは、一般的に少女漫画を描いている作家さんたちがとても若くしてデビューしていることが影響しているのかもしれません。私もそうですけど、深く考えたり、十分にものごとを経験したりしないままで、それまでのわずかな人生経験の中で無意識に刷り込まれた頭で作ったものを、作品として発表するという構造になっているところがあるのだと思います。
描き手が従来通りの価値観を踏襲して、特に疑いもなくジェンダーステレオタイプをそこかしこに散りばめた作品を産み出す。それが読者の意識に刷り込まれて、読み手の中から新たに描き手になった人が、またステレオタイプな作品を作る。負の再生産ですよね。その人が本当に信念を持ってそう思っているのであれば、私は嫌ですが、仕方がないなと思うしかありません。でも多分、意識していないと思うんですよ。
私、一度だけ、エプロン姿にオタマを手に持った「お母さん」を描いたことがあるんですね。それは、そのお母さんがどういう人物であるかの設定を怠けて、ただ記号としての「お母さん」を使ったわけです。だからわかるんですけど、ステレオタイプを描いちゃうのは、キャラクターの設定を詰めきれていないということでもあるんですよ。十分なところまでキャラクターが練られていなくて、でもこんなものかなと描いてしまった結果だと思う。だいたいオタマって持って歩かないですよね。しずくが滴るから。
だから、その負の循環そろそろ断ち切ってもいい頃じゃないですか?と提案したい。でも、既にバイアスがかかっている状態の漫画家さん自身が気づくのは、やっぱり難しいんじゃないかと思います。そういう意味では、どちらかというと編集の人たちに気づいてもらいたいんです。
――編集者に具体的にどのようなことを求めますか?
出版社によってだと思いますが、私が少女漫画誌で描いていたころの集英社は、少年・少女漫画誌でタバコを吸っているところを描いてはいけないというルールがあったんです。とくに未成年者の喫煙は絶対ダメだし、大人でも格好いい人が吸っているのはダメ。タバコを吸うことが格好いいというイメージを与えるような描き方はよくないと言う考えに基づいていたのだと思います。その当時は、「なぜだ、この場面でこの人は絶対にタバコを吸っているはずだ、描かせろ」と、編集部と戦ったものです。負けましたが。ただ、ものすごく頑張ったせいか、雑誌ではダメだけど、単行本はある程度作家のものだから単行本の中でだけならタバコを描いてもOKという約束をしてもらいました。だから私には、連載時はタバコを吸っているポーズだけ描いておいて、単行本にする時にそこにタバコを描き足していたという過去があります(笑)。
だったら同じように、ジェンダーバイアスにも何らかのルールを作ればいいと思うんですよ。バイアスのかかった表現については「なぜこれを描かなくてはいけないのか」と作家に説明を求めて、(編集部が)納得させられたら載せるし、納得できないものは載せない。そういうガイドラインを、他の差別的な表現に対してと同様にジェンダーに関しても作ればいい。最初はめんどくさいと思いますけど、一度作ってしまえば、わりと簡単なことのように思います。むしろそうやって話し合ったり考えたりすることで、作家も編集部も成長していくんじゃないでしょうか。
――実際、そういう意識を持っている編集者はどれくらいいるのでしょう?
意識を持ってる人はいっぱいいると思うんですけど。だからこそ、そういう提案がとっくに出てきていないのが不思議で仕方ありません。私がデビューした頃は、少女漫画の編集部の編集者はほとんど男性でした。そういう時代に、ジェンダーステレオタイプの漫画ばかりになってしまうのはまだ多少はわかるんです。男性編集者が自分にはわからない少女の世界で、「こういう漫画がヒットするから」と担当している漫画家さんに描かせるというのはあると思います。でも、最近は女性編集者も半数くらいいるんですよ。なのに描かれているものは変わらない。ものすごく不思議です。ちなみに男性編集者も、私の担当になった人は、ちゃんと話の通じる人がほとんどでした。それなのになぜだろう?何かに遠慮しているんでしょうか。
――少女漫画だけではなく、少年漫画でも同じことが言えるのでは?
少年漫画は長らく読んでいませんが、でも同じような状況なのではないかと推察します。昔は、サンデーとか読んでたんですけど、少年漫画誌に出てくる女性のキャラクターには性格や意志がないというか、人格がないというか。もちろん、そうじゃない作品もあるんですが、少ないですよね。だから私は少年漫画をあまり読まなくなったんだと思います。読んでいてしんどいので。今は変わっているといいな、と思います。
――漫画は、多くの人が幼い頃から触れる機会があるものだからこそ、その影響力は大きいですし、対策は必要ですよね。
その通りですね。漫画に携わる者としては、漫画が幼い読者に性別に基づく偏見を無意識のうちに植え付ける役目を果たしてしまってはいけないと思います。ブログにも書きましたが、少女漫画はもっと少女の考え方や生き方を自由にするものであるべきで、そうでないならそれは少女に対する裏切りだと思います。
でも漫画だけではないですよね。姪っ子が小学校の4年生くらいの時に「女子力アップして、彼氏をゲット」みたいなライトノベルが流行っているんだと言って読んでいて、とても衝撃を受けたんです。これは本当になんとかしなきゃと思いましたね。
――女子力やモテることを求める人が一定層いるのは事実で、だから、選択肢があることは必要だという意見もありますが。
女子力やモテを女性が求める自由はもちろんあると思います。だから私は不作為なジェンダーバイアスを、まずなくしましょう、と言っています。そうすることでまず一つクリアになるんじゃないでしょうか。それは表現の自由を侵害することにはならないと思います。だいたいジェンダーに限らず、バイアスなんてない方がいいに決まってますから、そこはもう合意していいんじゃないかと思うんですよね。
――話は変わりますが、今年、漫画家デビュー35周年ですよね。
3月28日発売の『ココハナ』5月号から35周年記念のプロジェクトがはじまっています。新作前後編の『続・火星は錆びていて赤いのだ』が掲載されたり、記念企画で漫画家さんとの対談などもする予定です。新作は、ここで語っているようなことの延長みたいなものなので、ぜひ読んでください。それとこれはまだ、詳細は明らかにできないんですが、来年、原画展を開催します。今までの作品群の集大成みたいになると思うんですけど、関西での個展は初めてなので私自身とても楽しみにしています。
――35年間少女漫画に携わってきて、楠本さんは今後、少女漫画にどんな風になってほしいと思いますか?
今、少女漫画雑誌を読む人は減っていますよね。それは、そもそもの雑誌離れや、他に面白いことがいっぱいあったり、いろいろ理由があるとは思うんですけど、やっぱり、「女の子は自分を磨いて、結婚して、幸せになるんだ」ってもう100年前みたいな話には、夢も希望も感じられないからじゃないでしょうか。遅まきですけど、社会はようやく変わってきています。普通に考えても、読むと夢と希望が奪われる漫画にあえてお金を出して買う人はいないでしょう。それは少女漫画の自殺だな、って思います。
少女漫画が、ただ不作為にジェンダーバイアスを容認するのをやめて、それを覆すような、肯定感や勇気を与える場となれば、自ずと少女漫画を読む人もまた増えるんじゃないかと私は思うんですけど。私の希望的観測かもしれません。
それでも私は、私に出来ることからやりたい。この世には滅びればいいことはたくさんあるけれど、まずは一番身近なところにあるジェンダーバイアスあたりから、なくしていければな、と思っています。
楠本まきさん・プロフィール
1984年、『週刊マーガレット』でデビュー。代表作に「KISSxxxx」「Kの葬列」「致死量ドーリス」など。はみだす人々へのエールをこめた作品「赤白つるばみ・裏」を『ココハナ』で連載中(2019年6月号〜7月号はデビュー35周年特別企画で前後編「続・火星は錆でできていて赤いのだ」を掲載予定)。お茶の水女子大学哲学科中退。ロンドン在住。公式ツイッター: @makikusumoto