性犯罪の法廷は、どれほど被害者を傷つけるのか 無罪判決の医師わいせつ事件を振り返る

被害を訴えた女性は「法廷を舞台とした『公開処刑』だと思った」と意見陳述した。
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事件現場となった足立区の柳原病院
同病院を運営する医療法人のホームページより

執刀後に病室で女性患者の胸を舐めたなどとして、準強制わいせつの罪で起訴された乳腺外科医の男性(43)が2月20日、東京地裁で無罪判決を言い渡された。

地裁判決後、無罪となった男性医師の主任弁護人である高野隆弁護士は「疑問の余地のない無罪判決だ」と記者会見で語った。

一方で、無罪の理由がつづられた判決文では「いささか決定打には欠けるが、『疑わしきは被告人の利益に』の観点から」などとまとめられていた。

3月5日には、検察が地裁判決を不服として控訴。その後、女性を支援するために12人の弁護団が結成された。

また公判では、医師側が事件に全く関係ない女性のブログや職業を引き合いに出し「性的に過激」などと決めつける場面もあり、法廷での性暴力被害者に対する無配慮なやりとりが許されていた。

今後は東京高裁で争われることになるこの事件について、改めて振り返る。

職業やピルの服用など引き合いに女性を「性的に過激」と指摘する弁護手法も

この裁判では、女性の訴えが、麻酔などの影響による「術後せん妄」に伴う性的な幻覚か否かについて論争になった。

判決では、せん妄状態であった可能性があると指摘されたが、その心証を与えるために女性を辱めるような弁護手法も行われた。

弁護側は芸能活動をしている女性に対して「性的に過激な表現の多い作品に出ている女優」などと主張。

女性のブログの内容について、事件とは全く無関係なことを無理やり性的なことと結びつけて質問をしようとしたところ、検察側の異議申し立てで差し止められた場面もあった。また、女性のピルの服用歴などについても言及された。

女性は弁護側の主張を否定し「せん妄にしたいがために、私の職業を性的にいやらしいものにしてしまおうという魂胆でしょうか。あまりに低俗な発想で心から軽蔑する」と意見陳述した。

また、判決後には「病気療養のために服用していたピルが、なぜこの裁判に関係あるのでしょうか」と疑問を呈した。

一方で弁護側はハフポスト日本版の取材に対し「我々は性的な撮影をしたこと自体が、多分に性的なせん妄を引き起こす恐れがあると考えている。より正確に女性の状態を表すためには、裁判所に証拠として採用してほしかった。ブログについては、当日の本人の様子を示す目的だった」と答えた。

ピルについては「作用の仕方は詳しく覚えていないが、ピルが術後せん妄に影響する要因だという。そのために服用しているかを聞く必要があり、それ以外の理由は無い」と話している。

性暴力撲滅に向けた啓発活動をするNPO「しあわせなみだ」の中野宏美さんは「ピルを使っている女性に対する『ふしだらな関係を好む』といった誤解と偏見に基づく、勝手なイメージを悪用した例だ」と強く非難している。

傍聴人が見るモニターに女性の裸の写真を示そうとする

弁護側の証拠提示の際には、法廷で傍聴者に見える大きなモニターに、「顔はマスキングしてある」として女性の上半身裸の手術前写真を映し出そうとすることもあった。

女性はこの場面についても「法廷を舞台とした『公開処刑』だと思った」と陳述していた。

そもそも手術前の写真撮影については、通常はあごから下の部分を衣服を脱いだ状態で3枚ほど撮影する。

しかし女性の場合は、自分で衣服をまくらされ、顔と胸があらわになったかたちで撮影されていた。 

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手術前の写真撮影の様子。赤い点線の内部が撮影された部位で、✖印は患部を示している。女性の証言や裁判資料を基に作成。
Huffpost Japan/Shino Tanaka

検察側は、こうした撮影手法は通常のものではないとし、また他の患者の写真はカメラの記録媒体に残っていたものの、15枚あった女性の写真のみを削除していたことについても追及した。

弁護側の証人として出廷した埼玉医科大学総合医療センターブレストケア科の矢形寛教授は「撮影枚数・撮影体位・撮影部分等は適切である」としつつも、顔の撮影については自身では撮影しないことを踏まえ「できたら撮らないほうがいい」と指摘していた。

判決では、これらの証言などから「医学的に必要な行為としても説明がつかないわけではない」と問題視しなかった。

被害者の情報の秘匿はなぜ守られなかったのか

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女性の個人的な情報はなぜか裁判外で語られていた。
Lin Shao-hua via Getty Images

性犯罪では、被害者の特定につながる情報は公判の場で明らかにしないことになっている。 

ただこの事件では、裁判所に提出する弁護側の主張が整理された内容について、公判が始まる前から、医師を支援する団体のシンポジウムなどで披露されていた。

その中には女性の特徴や仕事に触れたものや、事件の経緯なども入っている。

女性は、地裁判決後にハフポスト日本版の取材に対し「被害者の秘匿はどこへ行ったのか。なぜ嫌がらせを受けた方がこのようになってしまうのか」と声を震わせた。

匿名で裁判に出ていたものの「事件の内容を含むプライベートな情報がすぐにインターネットなどでさらされた。『せん妄の頭のおかしい女性』呼ばわりされ、レイプのようにひどかった」と語った。

判決については「これで無罪だったら、どうやって立証すればいいのか。何のために頑張ったんだろう。私はただ、手術を受けに行っただけなのに」と話した。

この事件では、手術に関わった同僚の医師らが「外科医師を守る会」とした組織をつくり、「公正かつ慎重な審理を求める署名」を集め、医師の無罪を訴えるために、定期的に集会を開いている。

証言の信用性、地裁はどう見たか

大川隆男裁判長は、女性の証言に対しても、男性医師の弁護側の説明についても「いずれも信用できる」とした。

一方で、女性は通常より多い量の麻酔などの影響により「幻覚を体験していた可能性も相応にある」と判断している。

公判で争われた事件の流れは次のようなものだった。

 

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ハフポスト日本版
HuffPost Japan

科捜研の検査、裁判所の認定は「誠実さに疑念」もねつ造までは否定

科捜研が、医師のDNA型を検出したことについて大川裁判長は「科学的証拠としての許容性はある」とし、「被告人のDNAが(女性の)左乳首付近に付着していたことも認められる」と判断した。

しかし、定量検査の過程を記したワークシートは、鉛筆で書き込みをしており、修正点は消しゴムで消して書き直していた。

科学実験では、ワークシートを見た第三者が追跡できるものでなければならず、原則として流れを記録するためにボールペンなどで記入し、修正点もあとで分かるように線を引く程度で留める。

まれに、有機溶媒を使う実験では、インクがにじまないように鉛筆を使うことはあるが、修正点を消しゴムで消すことは考えにくい。 

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写真はイメージ画像です
Flavio Coelho via Getty Images

大川裁判長はこのほか、研究員が体液をふき取ったガーゼのうち、鑑定に使用した分の抽出液を捨てたことなどと照らし合わせ「誠実さに疑念がある」と言及。

だが、検査に使わなかった半分はいまも科捜研に保存されており、検察側は再現可能性があると主張している。

大川裁判長は、消しゴムで修正した部分には結論に直結するものが含まれておらず「結果をねつ造したことまでもをうかがわせるものは見当たらない」として「信用できないとも断じがたい」と結論付けた。

被告側も再鑑定を依頼しなかった点について、弁護側はハフポスト日本版の取材に対し「ガーゼが半分残っていても、均一にしみ込んでいるかは分からない。標準試料の増幅曲線なども保存されていないので、再現することはできない」と話した。

女性の胸から出た医師のDNA型「疑わしきは被告人の利益に」

DNA型などについては、舐めて付いた以外の可能性についても争われた。

医師の代理人弁護士らは、専門家とともこの量について独自に実証実験をした。

DNA量については、医師が3本の指で濡らしたガーゼを揉み、付着物を採る手法で調べた。

このほか、実際に数人の女性の協力のもと、乳首を医師が舐める実験や、胸の触診を再現した検証が行われた。

また、弁護側の主張では、医師は「ニキビを潰したり、ひげを触ったりする癖がある」として「手を洗わずに触診すればDNAが検出されることはある」としている。

その上で医師が事件当日、触診があるにもかかわらず「手術の直前まで一度も手洗いをしなかった」と供述。

また、DNA型が検出された左胸の触診をしたかどうかについては、医師側と女性側で食い違いがあった。

大川裁判長はこれに対し「医療従事者としてはにわかには信じがたい内容の供述」と言及。

判決文には左胸の触診の有無についても争いがあり「舐めたことによるとの仮説は有力」と書かれている。

その上で「いささか決定打に欠けるが、『疑わしきは被告人の利益に』の観点から」として、つばが飛んだり触診によって付着した可能性も捨てきれないと結論付けた。