3月8日の国際女性デーは、1904年にニューヨークで女性たちが参政権を求めたデモをきっかけに制定された。
100年ほど前の女性には、政治に参加する権利がなかった。
日本で女性の参政権が実現したのは、1945年、第二次世界大戦が終わってからだ。
100年かけて、社会は少しずつ前に進んできた。もちろん、1歩進んだら何歩も後退することもあったかもしれない。
「女性が政治の話をするなんて」
「女性が仕事につくなんて」
「女性が化粧もせずに外出するなんて」
「女性が結婚するときに名字を変えないなんて」
「女性が3歳まで子どもと一緒に居ないなんて」
「女性が責任者をやるなんて」
「女性が上司になるなんて」
「女の子が泥だらけになって遊ぶなんて」
「女の子なのに料理ができないなんて」
それでもいままで言われてきた常識の枠は、少しずつ違和感を持って変わってきた。
過去にとらわれてきた枠の中に、未来の姿はない。いま自分がとらわれている枠の中には、この先の世界を変えるヒントがあるかもしれない。
「男性が家族を養うのが当然」
「男子台所に入るべからず」
「男性はデートでお金を多く出す」
「プロポーズは男性からするもの」
「男性が子育てのために会社を休むなんて」
「男性なのに力仕事ができないなんて」
「男の子が弱音を吐くなんて」
「男の子がケーキを作るなんて」
「男の子がかわいい小物を持つなんて」
男性はこう、女性はこうと決められたステレオタイプは、様々な性別のなかで生きるセクシュアル・マイノリティに対する偏見も助長してきた。
「女だから」と言われ悔しくて眠れなかった日、そんな自分が「男の子なんだからちゃんとしなさい」と弟を叱った日。こんな社会の苦しみは、平成とともになくしてしまえ。
国際女性デーのバナーを描いてほしいと依頼されたとき、常識の枠を疑うものはなんだろうと考えた。
そこでふと思い出したのは、自分が感じた職業への違和感だった。
あのとき、もう一人女性記者がいたら。国際女性デーのバナーを描きながら考えたこと
記者になり、いきなり飛びこんだ初任地で、総局には女性記者が自分1人だった。
古びた赤茶色のビルに、汚いトイレ。男女共用の泊まり部屋。数人の記者に1人のデスク、総局長。うるさいキャップ。
日々の仕事は刺激的で、特ダネを取って紙面に白抜きの見出しが躍れば飛び上がるほどうれしく、数少ない一面トップに署名が乗れば、満塁ホームランを打つよりも、一本勝ちで優勝するよりも達成感があった。
ただ、取材には人に言えない悩みもついて回った。
警察や自衛隊をまわり、幹部などの取材先に身体を触られても、口に出せない。悩みぬいた末に上司に相談するのに、半年かかる。
「なんでその場で言わなかったんだ」「こんな後に言われてもな」と叱られた。
先輩が発するセクハラまがいの言動を咎めれば「おー怖い、刺されるわ」と笑われるだけ。
「どうせほとんどの女性記者は、中面の主婦向け記事書くくらいしか需要がないからさあ」とベテラン記者に諭されたこともあった。
ありがた迷惑な説教を聞きながら、男性が書く硬派な記事が新聞の華だ、と言わんばかりの空気を感じた。
別の任地へと移動になってからは、マラソン好きの幹部を「落とす」ため、週3回の20kmランニングに付き合ったこともあった。
男性記者に負けたくないと肩ひじを張り、毎日リポビタンDを持って、家に帰ってくる幹部を待ち伏せては「お疲れ様でした!」と手渡した。事件があれば地図帳を片手に片っ端から情報を集めて回った。
でも、幹部と親しくなれば「スカートをはいて回るやつはなあ」と記者クラブで陰口を叩かれ、すべての努力は「女だから有利」で片づけられることも少なくない。
政治の女性参加を、と声高にうたいながら、硬派な記事を書く政治部のアイコンはスーツを着た男性。
女性の生きづらさを書く特集は、女性記者ばかりの署名が並ぶ。
他社にも、女性記者が1人だけというパターンはそれなりに見かけた。女も男も関係なく、スキルを教え込む尊敬できる記者がいる反面、「女は扱いにくいから」とろくに取材手法を教えてもらえない後輩の悩みも聞いた。
なんで記者なんかやっているんだろう。そう思った日もたくさんあった。
でも、こうしてまだパソコンに向かって文章を書く自分は、記者という仕事が好きだ。これから記者を目指す学生世代に、記者として成長したいと新聞社で働く人たちに、「女だから仕方ない」と思わせるような職場であってほしくない。
あの時、もう一人でいいから女性記者の先輩がいたら。そもそも、記者が男女同じくらいいれば、こんなことを考えないで済んだんだろうか。
それは記者だけじゃない。
パイロット、警察官、医師、大工……女性の割合が圧倒的に少ない職場で日々活躍したり、別段輝けなくたって日々奮闘して、どろどろになりながら踏ん張っている女性たちが世の中には必ずいる。
バナーデザインはあまり頭に浮かばなかったが、スケッチブックを開き、鉛筆を走らせながら、そうした背景が頭をよぎった。
女性比率が半数に届かない職種は、1990年に72.9%、2015年の時点で70.2%。
そんななかから、いくつかの職種を選び、自信を持って働く姿を想像して描き出していこうと思った。
働きに出る女性の数が増え、共働き家庭が急増したにも関わらず、女性の比率が低い職は旧態依然として多い状況が続いていることが数字から見てとれる。
事務職など多くいる職種に女性がさらに増える一方、男性社会とされる職場にはなかなか女性が仕事を続けられない背景が横たわっている。
圧倒的男性社会に生きる女性、逆に保育士や看護師、キャビンアテンダントなど圧倒的女性社会の中で働く男性もいる。
マイノリティとして職場で生きてきた人たちへ、そしてこれから「こんな職業に就きたい!」という夢を女性も男性も性別であきらめない世界であればと切に願う。