歴史的な偉人の多くはLGBTだった。あなたに知ってほしい。

あなたは遡れば人類の歴史の始まりから代々続く、大きな家族の一員です。
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(GERMANY OUT) Garbo, Greta *18.09.1905-15.04.1990+(eigentlich Greta Lovisa Gustafsson)Schauspielerin, Schweden- als 'Madame Grusinskaya' in dem Film 'Menschen im Hotel' ('Grand Hotel'); Regie: Edmund Goulding, USA - 1932 (Photo by A. Schorr/ullstein bild via Getty Images)

親愛なるクィア(セクシュアル・マイノリティ)のあなたへ

あなたは多分、私たちクィアの祖先に、聖者や、王族、魔術師にもいたことなど知らないでしょう。でも、実際にそうだったのです。あなたは遡れば人類の歴史の始まりから代々続く、大きな家族の一員です。

あなたが生まれるずっと前から、私たちの先祖は、素晴らしいものを発明してきました。コンピューターの発明家アラン・チューリングや、航空技術のパイオニア、アルベルト・サントス・デュモンなどの優れた才能は、あなたの中にも生きています。

(今も健在するトランスジェンダーの女性)リン・コンウェイや、マーティン・ロスブラットのような大胆で輝かしい人たちが、現代のテクノロジーに与えた影響は計り知れません。今日の技術者たちは、彼女たちの残した知識を手がかりに、ロボットやマイクロプロセッサの開発を行っています。

もっと最近のことを例に挙げると、Facebookの共同設立者の1人は、Appleの現CEOと同様、自らのアイデンティティは男性で、ゲイだとカミングアウトしています。

何世紀も前、神や女神たちの中にも、私たちはいました。ギリシャ神話に登場する(青年神ヘルメースを父、女神アプロディーテを母に持つ)両性具有の神ヘルマプロディートスや、同性の愛人がいた女神アテーナー、美少年ガニュメーデースをさらったゼウスなどがそうです。

日本書紀に登場する、日本で初めての男性同士のカップルは、和歌山県小竹八幡神社の小竹祝と天野祝だといわれています。

インドの神々の間では、性別を変える能力を備えていたり、両性のアイデンティティを持っていたりすることはよく見られます。

アフリカ西海岸のダホメ王国(18世紀から19世紀頃、現在ベナンとして知られる地域にあった王国)を創ったとされる神は、双子の兄姉(太陽と月)が結びついて1つの神となり、現在では「インターセックス」と分類される性別の神となったと伝えられています。

同じように、オーストラリアのアボリジニの神虹蛇ウングッドと勇敢な青年アンガマンギが持っている様々な特徴は、今日のトランスジェンダーのアイデンティティの定義と重なります。

男性と女性というふたつの性別の境界線を行き来したり、男女ふたつの性別の概念を超えたりできる私たちクィアの能力は、恵まれた、特別のものと考えられていたのです。

私たちクィアは、世界中の様々なところで、時にはシャーマンや治療師、指導者などの特別な社会的役割を与えられてきました。

アメリカのサンタバーバラに住む先住民たちは、私たちセクシュアル・マイノリティのことを「宝石」と呼びました。ヨーロッパ人が記した、「トゥー・スピリッツ」とされる人々との出会いについての記録の中で、同性間の性的行為や、男女ふたつの性別の概念を超えたアイデンティティは、先住民の文化の一部であったとしています。

この文化が見られるのは、北アメリカ大陸先住民88部族に上り、アパッチ族、アステカ族、シャイアン族、クロウ族、マヤ人、ナバホ族などがその例です。その他の部族については記録がないのでわかっていませんが、私たちクィアは、アメリカ大陸全土でとは言わずとも、ほとんどの部族の中に認められた一員だったのです。

私たちの祖先は、王族にもいました。スウェーデンのクリスティーナ女王は、男性との結婚を拒否した(つまり王位を放棄した)だけでなく、男性の名前を名乗り、馬に乗ってヨーロッパを一人で巡る旅に出ました。女王の家庭教師は、女王は「全く女性らしくありません」と口にしたこともあります。

クィアのあなたが受け継ぐ特長は、アフリカのンドンゴ王国とマタンバ王国(現在のアンゴラ)を支配した女王ンジンガにもみられます。女王ンジンガは、生物学的には女性だったと考えられますが、男性の服を着用し、伝統的な女性の衣装を着させた若い男性たちを侍らせて、「王」と呼ばれていました。

私たちクィアの系統には、皇帝もいました。ローマ帝国第23代皇帝エラガバルスは、男性とも女性とも結婚したことがあり、濃い化粧をして男性を誘うことで知られていました。

7世紀から10世紀にかけてイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル)に栄えた、後ウマイヤ朝のヒシャーム2世やアブド・アッラフマーン3世、ハカム2世は、男女の取り巻きを引き連れていたことで知られています。取り巻きは、男性のみ、女性のみの時もあれば、男女両方の時もあったとされています

中国の前漢時代の皇帝である哀帝は、男色を意味する「断袖の交」という故事成語を残した人物です。寵愛していた美男子董賢と一緒に眠っていた哀帝は、目を覚ましてその場を離れようとした際、愛する彼を起こさないように、着ていた服の袖を切り落としました。ここからこの故事成語ができたと言われています。

私たちクィアは、芸術で偉大な功績を残した人々の血も引いています。大きな影響力を持った創作家には、チャイコフスキーなどの作曲家や、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの画家、グレタ・ガルボなどの俳優がいます。クィアの祖先は、システィーナ礼拝堂を描き、初めてのブルース・ソングをレコーディングし、数え切れないほどのオスカーを受賞しました。詩人やダンサー、写真家もいます。私たちクィアは、芸術に大きく貢献しています。ニューヨーク近代美術館ではクィアのアーティストだけを特集した完全ガイドツアーがあるほどです。

クィアのあなたは、偉大な戦士の血も引いています。ギリシャ神話に出てくる、女性だけで暮らす戦闘部族アマゾネスは、力強く勇敢に戦う部族で、男性に対しては興味も時間もなかったと考えられています。

私たちクィアの心臓は、紀元前4世紀ごろの古代ギリシャの都市国家テーバイの神聖隊と同じくらい力強く脈打っています。神聖隊は150組ほどの男性同士のカップルからなり、カップルがふたりずつペアで出陣していました。とても強い戦隊だったことで知られていました。そこまで強靭でいることができたのは、すべての男性が、自分の愛する(実際に恋人だった)人の命をかけて戦っていたからです。

私たちクィアは、ベイヤード・ラスティンのような平和主義者の心も継いでいます。ベイヤードは非暴力を掲げるゲイで、アメリカの黒人公民権運動の企画者でした。

私たちは、ベア(毛深く体格のいいゲイ)、ブッチ(レズビアン男役)、オッター(華奢で毛深いゲイ)、クイーン(おネエ系の男性)、フェム(レズビアンの女役)などの単語を再定義し、ドラァグクイーン(女装する男性)や、トゥインク(若くスリムで毛浅い男性)、ジェンダークィア(既存の性別の枠組みに当てはまらない人)などの新しい用語を作りました。

でも、ホモセクシャル(同性愛者)やバイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー、インターセックス(性分化疾患)、アセクシャル(無性愛者)などの名前が近年作られたからといって、以前から私たちが存在しなかったわけではありません。

新しい名前を使い始めるずっと前から、私たちは、北アメリカではオグララ族のウィンクテやチペワ族のアゴクウェ、ズニ族のコスラマとして、南アメリカではマプーチェ族のマチ、アフリカではマンガベイ族のツェキャッツやアンボ族のオマセンゲ、アラスカではコニャガ族のアクナチックとして、あらゆる大陸に存在していました。新しい名前の意味とは完全に一致していませんが、これらの名前のすべてが、同性愛や同性間の性的指向、性別を越えたアイデンティティを意味しています

あなたは、普通です。あなたは現代社会の産物ではありません。あなたのアイデンティティは「トレンド」でもなければ「一時の流行」でもありません。ほとんど全ての国で、今日のバイセクシャルやホモセクシャル、トランスジェンダー、インターセクシャル、アセクシャルなどと呼ばれているものに近いアイデンティティや性質を持つ人々の歴史があります。

覚えていてください。人類がずっと、現代の欧米文化が創りあげたジェンダーやセクシャリティの概念を、同じように捉えてきたわけではありません。パプア・ニューギニアやペルーなどの多くの文化は、男性同士の性行為を、儀式や日常の行為として行っていました。男性が別の男性に精液を与えると、受けた男性はさらに強くなると信じた文化もありました。昔、同性に魅力を感じる人や、生物学的な性別や見ための性別が、男と女のふたつの性別の概念に当てはまらない人を意味する言葉は、それほど必要ありませんでした。現代社会で考えられるほど、変わったことではなかったからです。

私たちの個性とパワフルさは、時にまわりを怖がらせてしまいました。私たちは捕らえられ、拷問を受け、殺害されてきました。今でも、政府や個人によって処罰される社会があります。かつて私たちを、社会の中の大切で平等な一員として受け入れていたこの社会の中なのに。

「同性愛はアフリカ的ではない」とか「イランには同性愛者はいない」などと言われます。このような発言が正しくないのはわかっていますが、それでも深く傷つきます。だから、クィアやダイク(レズビアン)などの名前を付けられた時には抗議しました。私たちが子供をそそのかしていると言われた時には、「あなたを誘いに来ました!」と言いました。強制収容所で、制服にピンクと黒の逆三角形の印を付けられた時には、私たちはそれをプライドの象徴としたのです

今日の社会の中で、私たちクィアの堂々とした態度にイライラする人や、私たちの権利を奪おうとする人、私たちに暴力の矛先を向ける人は、私たちではなく、その人自身が、歴史的に普通ではない存在であることに気付いていません。

これまでの人類の歴史の中では、ジェンダーやセクシャリティが男女という概念に当てはまらない人を否定する発言をしようものなら、社会は耳さえ貸さず、冷ややかな目で見るだけでした。現代社会で私たちを苦しめようとする人は、自分たちが「伝統的な」価値観を守っていると主張することで、乱暴な意見を正当化しようとしています。

しかし、彼らが間違っていることを、あなたは知っています。世界で最初のコンピューターや、システィーナ礼拝堂の天井、クラシックの「アパラチアの春」から有名なYMCAまで、「ブルースの母」から「ラテンポップの王」まで、今までに聴いた多くの曲が存在しない世界を想像してみてください。私たちがいなければ、どれだけ色味のない世界になっていたでしょう。私たちが受け継いできたものを、次の世代につなぐあなたがいてくれて、とても嬉しく思います。

世界中のセクシュアル・マイノリティの歴史に出会うことができる「クイスト」というデータベースを見ながら、お祝いするもの素敵ですよ。LGBTの歴史について、数多くのオンライン資料が網羅されているので、自分自身の歴史について理解を深めるとてもいいきっかけとなると思います。

レスビアナメンテ,*

サラ・プラガー

*昔メキシコのレズビアン団体に宛てた手紙に署名する時に実際に使われた名前です。

この記事は、ジュディ・グラーンの「もう一つの母語」(1984年発行)に書かれた事実や想いに影響されています。ギルバート・H・ハート編「儀式化されたメラネシアのホモセクシュアリティ」(1993年発行)も参考にしています。参照された多くの事実が、その後多くの場所で引用されるようになり、今では常識となりました。クリスティアン・ガッドには、この記事に多大な貢献をしてくださいました。この記事は、過去にLGBTニュースサイト「ジ・アドヴォケイト」に掲載されたものです。

このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。