物語の作り方/感動させる技術

誰もが「物語」を求めている。スティーブ・ジョブズの魅力的なプレゼンには、「三幕構成」という作劇法が応用されていたという。iPhoneが一台あれば映画を作れる時代だ。今ほど「物語」が求められている時代はない。
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誰もが「物語」を求めている。

スティーブ・ジョブズの魅力的なプレゼンには、「三幕構成」という作劇法が応用されていたという。iPhoneが一台あれば映画を作れる時代だ。今ほど「物語」が求められている時代はない。にもかかわらず、物語を作る「技術」の重要性に気づいている人はまれだ。物語作りに必要なのはセンスだけ──と、素朴に信じている人は多い。

物語作りにも、技術がある。

なかでもシド・フィールドが体系化したハリウッド式の「三幕構成」は、汎用性と自由度の高さが魅力だ。脚本製作の現場だけでなく、商談につかうプレゼンや、WEBメディアの記事執筆(※ブログを含む!)、飲み会のときの「滑らない話」にいたるまで、およそ物語性を持つほとんどのものに応用できる。ジャンルを選ばず実用可能な、ほぼ唯一の技術といっていいだろう。

今回は「三幕構成」がどのようなものか、ざっくりと紹介したい。

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三幕構成を説明する前に、なぜ「物語」が重要なのか確認しておこう。

現代の大量生産・大量消費社会では、人々は財やサービスの使用価値を消費しているわけではない。私たちが消費しているのは記号的価値、すなわち「物語」だ。

たとえば、あなたがクレジットカード会社の宣伝担当者だとする。現金よりも支払いの手間がかからないことや、他社に比べてポイントが溜まりやすいことなど、商品の「使用価値」を消費者に訴求したくなるだろう。しかし、もはやそれだけではサービスを売ることができない。

テレビCMでは女性2人がハワイで遊び、食べ、買い物を楽しむシーンが映し出される。2人は気のおけない仲なのだ。カードは支払時のシーンにちらりと登場するだけで、砂浜から夕日の眺める2人の姿とともに「思い出はお金では買えない」というメッセージが投げかけられる。カードの使用価値ではなく、それを使うことで得られる「物語」を消費者に訴求している。

これはクレジットカードに限った話ではない。

酒を売るなら、酒蔵の由緒が物語られる。時計を売るなら時計メーカーの、オーケストラの興行なら楽団の、それぞれ経緯が物語られる。100円のコンビニのパンでさえ「こだわり」が物語られる時代だ。もはや純然たる使用価値のみを訴求している商品のほうが珍しい。

物語を作るのは、脚本家やマンガ家だけの仕事ではなくなった。

程度の差はあれ、私たちすべてが物語作りの機会に恵まれている。

冒頭に書いたとおりiPhoneが一台あれば映画を作れる。マンガを描いたり、小説を発表したりするハードルは著しく低くなった。商業的な要請だけでなく趣味の世界でも、物語作りがうまくなればきっともっと楽しいはずだ。

だからこそ、センス任せではもったいない。

きちんとした技術を用いれば、より効果的にセンスを発揮できる。これは物語作りに限らないだろう。イラストでも音楽でも、技術を持った作者のほうがより自由な創作を楽しめる。「センス」という言葉は、たいていの場合、技術も知識もない人間の言い訳として使われる。しかし、ほんとうのセンスは充分な技能を身につけた先にあるはずではないか。

問題は、どの技術を身につけるかだ。

書店に足を運べば、創作術の解説本がごまんとある。序破急、起承転結、ブレイク・スナイダーのビートシート、そしてシド・フィールドの三幕構成……。いったいどれが物語作りの基礎技術にふさわしいだろう。

そもそも物語は、「要素」と「配列」から成り立っている。

映画館を出たときに友人とどんな会話を交わすだろう。「あのセリフがよかった」「あのシーンが楽しかった」「あの役者の演技にしびれた」……それらは物語の「要素」だ。しかし、どんなにいいセリフも、タイミングを外せば寒いだけだ。どんな名シーンも、話の筋と無関係に提示されたら観客は混乱するだろう。「要素」を詰め込むだけでは物語は完成しない。それらを適切な「配列」に並べて初めて、観客を感動させられる。

評論家は、物語の「要素」に注目する場合が多い。「配列」に言及する場合はまれだ。「要素」と「配列」のどちらに興味を持つのか。これが物語を創作する人間と、それを消費するだけの人間との分水嶺になるのだろう。

ジョゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』は、多くの物語創作者に影響を与えた名著だ。ジョージ・ルーカスはこの本を土台に『スターウォーズ』の脚本を書いた。スティーヴン・キングは登場人物のキャラクターを設定するときにこの本を参考にしていたという。登場人物は物語の「要素」の1つだ。したがって、この本は「要素」を掘り下げて理解するのには役立つ。しかし「配列」についてヒントを与えてくれるものではない。

神話の登場人物を扱った書籍では、キャロル・S・ピアソン『英雄の旅』も外せない。が、この本も「登場人物」の行動を類型化するに留まっている。

『千の顔を持つ英雄』と『英雄の旅』はどちらもスゴ本で、一読する価値はある。しかし私たちが必要としているのは、単なる類型化に留まらない普遍的な技術だ。どんな「要素」を素材として提供されても、それを自由自在に「配列」して消費者を感動させる方法が知りたいのだ。

そういう普遍的な技術の有力候補が「三幕構成」だ。

シド・フィールドが体系化したハリウッド式の三幕構成は、応用範囲がきわめて広く、なおかつ柔軟な自由度を持っている。

この記事では「三幕構成」を紹介するにあたり、以下の作品群を具体例にする。思いっきりネタバレしているので注意してほしい。

【映画】『タイタニック』

【映画】『ショーシャンクの空に』

【映画】『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

【小説】『キャリー』

【小説】『呪われた町』

【小説】『シャイニング』

【小説】『オリバー・ツイスト』

【マンガ】『神のみぞ知るセカイ』第1話

【アニメ】『花咲くいろは』第1話

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ハリウッド式の三幕構成は、物語を四等分する考え方だ。

最初の1/4を「第1幕」、次の2/4を「第2幕」、最後の1/4を「第3幕」と呼ぶ。第1幕では物語の状況設定をし、第2幕では登場人物を葛藤させてドラマを描く。第3幕には物語のクライマックスを置き、結末に向かって物語を解決させる。幕の切り替わる時点には「プロットポイント」という重要な事件が起きる。また物語のちょうど中間地点にも「ミッドポイント」と呼ばれる重要な事件が起きる。

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まず具体例として、3つの映画──『タイタニック』『ショーシャンクの空に』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』──を三幕構成で分析してみよう。

映画『タイタニック』は、ジェームズ・キャメロン監督・脚本の大作だ。豪華客船を舞台に、ジャックとローズの階級を超えた恋が描かれる。タイタニック号の沈没により二人が死別する悲恋物語だ。

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『タイタニック』の第1幕では、ジャックが豪華客船に乗ることになったいきさつなど、物語の前提状況が設定されていく。「船から身を投げようとするローズをジャックが止める」のがプロットポイントⅠだ。この事件をきっかけに二人は仲を深めていく。

映画のちょうど半分が終わったところで、タイタニック号は氷山と衝突する。これがミッドポイントだ。沈没する船から生き延びるというサバイバル・ストーリーになる。

一度は救命ボートに乗ったローズだが、ジャックを助けるためにタイタニック号に戻る。これがプロットポイントⅡで、ここから物語はクライマックスに入り、結末へと突き進んでいく。

『ショーシャンクの空に』はフランク・ダラボン監督・脚本の刑務所映画だ。無実の罪で投獄された主人公アンディが、刑務所の過酷な暮らしでも正義の心を失わず、ついに脱獄する物語だ。刑務所を知り尽くした男レッドが「語り手」になり、アンディの活躍を描き出す。

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第1幕では、アンディが無実の罪で投獄されるいきさつを描き、また刑務所の受刑者たちが彼をどのように受け入れたのかを描いていく。語り手のレッドは最初アンディと距離をとっていた。しかし、ある日アンディがレッドに話しかけたことで二人の人間関係が始まる。ここがプロットポイントⅠだ。

アンディは刑務所内に味方と呼べる仲間を増やしていき、信用を勝ち取っていく。図書室の書籍管理を任されるようになり、新しい本が欲しいと議会に申請。送られてきたダンボール箱を開けると「フィガロの結婚」のレコードが入っていた。

アンディは独房送りを覚悟のうえで、「フィガロの結婚」を刑務所内に放送する。これがミッドポイントだ。

このミッドポイントで、アンディが「自由」を忘れていないことがわかる。自分はたしかに悪い夫だったかもしれないが、殺人は犯していない。アンディは希望を捨てていないし、いつか冤罪が晴れて釈放されることを諦めていないのだ。

だからこそ「自分は二度と釈放されない状況におかれている」と気づいたときに脱獄を実行に移す。これがプロットポイントⅡだ。

個人的には『ショーシャンクの空に』は90年代のベスト映画だと思っている。ゼロ年代のベスト映画は『ダークナイト』もしくは『グラントリノ』だろう。

では、80年代のベスト映画は?

もちろん『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だ。

物語のテーマ、映像の魔術、コメディの楽しさ、役者の魅力、シナリオの奥深さ、そして音楽──。すべてにおいてここまで完璧な映画はない。いまだに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を超える映画に私は出会っていない。異論は認める。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を一言でいえば、タイムスリップして両親の恋を成就させるお話だ。

主人公マーティはいまいちパッとしない中流家庭の高校生だ。町一番の変人エメット・ブラウン博士(通称ドク)とは友人で、彼の発明したタイムマシンで30年前にタイムスリップしてしまう。そして、あろうことか若き日の母親に惚れられる。このままでは両親は恋に落ちず、したがって自分も生まれないことになってしまう。なんとかして将来の母を将来の父に惚れさせようとマーティは奮闘する。

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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の第1幕ではマーティの周辺事情が描かれる。冴えない中流家庭の息子だということ。ギターが趣味の高校生で、彼女がいること等々だ。ドクと友人であることは冒頭で明かされるが、ドク本人が登場するのはかなり後になってから。深夜のショッピングモールの駐車場で変人しかりとした姿で現れる。

タイムマシンの燃料はプルトニウムで、ドクがテロリストから騙し取ったものだった。2人がタイムマシンの実験を始めたところに、テロリストが奪い返しにくる。ドクは凶弾に倒れ、マーティは逃げようとしてタイムスリップしてしまう。ここがプロットポイントⅠだ。

第2幕の前半、マーティは30年前の町に驚きながらも、タイムスリップしたという事実を受け入れていく。若き日の母親に出会い、また30年前のドクに相談して現代に帰る方法──雷の電力を利用すること──を見つける。しかし、事態は深刻化していた。ほんとうなら父親と恋に落ちるはずの母が、代わりにマーティに惚れてしまったのだ。

マーティは若き日の父親に接触し、母親をデートに誘うように持ちかける。近いうちに学校で行われる「魅惑の深海パーティー」で二人は恋に落ちなければならないと説得する。これがミッドポイントだ。

第2幕後半では紆余曲折を経て、両親を恋に落とす作戦の準備を進めていく。

そしてついに「魅惑の深海パーティー」の当日がくる。これがプロットポイントⅡで、ここから物語はクライマックスに向かっていく。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は小ネタの多さも楽しい作品だ。たとえばタイムスリップ前は「TWIN PINES MALL(二本松商店街)」だった場所が、過去でマーティが松の木を折ったために、現代に戻ってくると「LONE PINE MALL(一本松商店街)」に名前が変わっていたりする。何度見ても飽きないエンタメ映画の大傑作だ。

大衆向け娯楽映画のほぼすべてに、三幕構成が見つかる。

プロットポイントⅠは、いわば「ほんとうの物語が始まる点」だ。最初の1/4は状況設定に費やされ、プロットポイントⅠからほんとうの冒険が始まる。ジャックとローズの恋が動きはじめ、アンディとレッドの交流が始まり、30年前にタイムスリップする。

またプロットポイントⅡも分かりやすい。クライマックスのきっかけになるできごと、それがプロットポインⅡだ。

ではミッドポイントの役割は何だろう。映画を見比べれば分かるが、必ず物語の中間地点に重要な事件が起きる。この事件に作劇上の共通点があるとしたら、どんなことだろう。

ミッドポイントには諸説あるのだが、私は「あとに引けなくなる点(Point of No Return)」だと思っている。

ミッドポイントで起きた事件によって、物語の結末が避けがたいものになる。

もしもタイタニック号が氷山と衝突しなければ、ジャックとローズは死別しなかっただろう。もしもアンディが希望を捨てて自由を諦めていたら、脱獄を決意することも無かっただろう。そしてマーティが父親を説得しなければ、両親が恋に落ちることもなく、マーティは消えていたはずだ。

第1幕、第2幕の前半を通して、物語に必要な伏線がほぼすべて出揃う。そしてミッドポイントのできごとをきっかけに、それらの伏線が1つの結末に向かって回収されていく。これが映画によくある「三幕構成」の構造だ。

ここで1つ疑問が浮かぶ。

三幕構成は「様式」なのか、それとも「技術」なのかだ。

美術にせよ音楽にせよ、あらゆる創作物は様式化が進むと衰退が近づく。たとえば19世紀末から20世紀初頭の西洋絵画の世界では、美術アカデミーによって様式化された絵だけが評価されていたという。パブロ・ピカソを始めとしたモンマルトルの画家たちは、アカデミーの様式美を打ち破ることで才能を開花させた。

重要なのは、パブロ・ピカソが高度なデッサンの技術を持っていたことだ。

また、マンガの神様・手塚治虫はデフォルメされた魅力的なキャラクターたちを生み出した。しかし彼は、精緻な昆虫のスケッチを多数残している。

たいていのマンガ家はデッサンの大切さを説くし、たいていの作曲者は楽典と和声に精通している。もちろんデッサンが苦手でも、いいマンガは描けるだろう。音楽理論なんて知らなくても、いい曲を作れるだろう。けれど、知っていればもっと自由に作品を作れる。

創作物のルールのうち、クリエイターを縛って創造性を奪うものを「様式」、逆に便利な道具として創造性を開花させるものを「技術」と呼びたい。

ハリウッド映画の多くに三幕構成の構造が見つかることは分かった。

とくに大衆に支持されたヒット作は、ほぼ必ず三幕構成を取っている。では、三幕構成はハリウッド映画の「様式」なのだろうか。それとも物語を作るための「技術」なのだろうか。

もしも三幕構成がハリウッド映画にしか当てはまらないとしたら、これは「様式」である可能性が高い。マニュアル化されたお手軽で薄っぺらな作劇法だと見なせるだろう。一方、もしも三幕構成がハリウッド映画以外の世界にも広く当てはまるとしたら、これは「技術」である可能性が高い。デッサンや音楽理論のような、物語作りの基本といえるだろう。

では、三幕構成が他のジャンルのものにも当てはまるかどうか検証してみよう。

      ◆

スティーヴン・キングは、現代のエンタメ作品を語るうえで欠かすことができない存在だ。ベストセラーを量産しているだけでなく、他のクリエイターに与えた影響も計り知れないからだ。

日本では小説家の宮部みゆき、小野不由美などが強い影響を受けているし、マンガ家では荒木飛呂彦や藤田和日郎、広江礼威などが影響を受けたと語っているらしい。たとえばTwitterで『ジョジョの奇妙な冒険』の名セリフをぶやくとき、私たちは知らず知らずのうちにキングの血を受けついでいるのだ。

スティーヴン・キングの作品から初期長編の3作──『キャリー』『呪われた町』『シャイニング』──を三幕構成で分析してみよう。

『キャリー』は、超能力を持った少女が怒りを爆発させて1つの町を崩壊させる物語だ。主人公キャリーは母子家庭の一人っ子で、狂信的なキリスト教信者の母に虐待ともいえる禁欲的な生活を強いられている。学校でのイジメに耐え忍んでいた彼女が、どのようにして怒りを爆発させるに至ったのか、キングの臨場感豊かな筆致で紡がれた傑作だ。

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最初の1/4ではキャリーの周辺人物や町の様子が紹介されてく。いわば状況設定で、これは三幕構成の第1幕に相当する。1/4が過ぎるあたりでキャリーは自分の超能力を自覚し、クローゼットの蝶つがいを「こわす気になればこわせる」と胸中でつぶやく。この「超能力の自覚」によって状況設定がほぼ完了するので、これをプロットポイントⅠだと見なせるだろう。

次の1/4では、高校最後の舞踏会(プロムナイト)の準備が進んでいく。のちにこの舞踏会でキャリーは怒りを爆発させるのだが、その伏線が張られていく。舞踏会に参加するかどうか、キャリーは激しく葛藤する。これは三幕構成の第2幕前半に相当する。

物語の半分が過ぎたあたりで、キャリーは母親の反対を押し切り、舞踏会に参加する決意を固める。この決意によって結末が不可避なものになる。Point of No Returnだ。これがミッドポイントだと見なせる。

次の1/4は第2幕後半に相当する部分で、舞踏会に参加したキャリーがプロムクイーンの栄誉に輝く様子が描かれる。いじめられっ子だった過去からは考えられない人生の絶頂をキャリーは味わう。が、彼女は安心できない。本当はすべてが「やらせ」で、同級生にかつがれているだけではないかと疑ってしまう。舞踏会の楽しさを素直に喜んでいいのかどうかキャリーは葛藤する。

そして、ついにいじめっ子の罠が発動する。キャリーはみんなの前で、頭からブタの血を浴びせられるのだ。これによりキャリーは精神的に追いつめられ、怒りを爆発させる。クライマックスのきっかけになるできごとなので、プロットポイントⅡだと見なせるだろう。

最後の1/4はキャリーがいかにして破壊の限りをつくし、そして死んでいくのかが描かれる。クライマックスと物語の解決であり、これは三幕構成の第3幕に当てはまる。

以上のように、『キャリー』には三幕構成が当てはまる。

『呪われた町』は、アメリカの田舎町が吸血鬼によって一夜にして崩壊する物語だ。舞台となるセーラムズ・ロットは架空の町だが、読者は自分がそこで生活しているような錯覚を覚えるはずだ。臨場感のあるキングの筆致(と、それを完璧以上に再現している翻訳)が遺憾なく発揮されている。

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物語の最初の1/4では、田舎町の日常が描かれる。事件といえば、見知らぬよそ者が引っ越してきたことや、子供が行方不明になることぐらい。吸血鬼という非現実的な存在はまだ登場しない。

ちょうど1/4が過ぎるあたりに、「何者かが墓地で儀式を行うシーン」が挿入されている。これがプロットポイントⅠだ。この儀式をきっかけに吸血鬼の親玉が復活し、セーラムズ・ロットは本格的に侵略されていく。

第2幕前半に当たる次の1/4では、主人公たちが町の異変に気づき、吸血鬼の存在を突き止める様子が描かれる。

物語のちょうど中間地点では、主人公の1人マットが、吸血鬼化した町の住人と初めて接触し、対決する。このできごとをきっかけに、物語は「町の異変を突き止めるストーリー」から「吸血鬼を倒すストーリー」へと切り替わる。ミッドポイントだ。

第2幕後半では、吸血鬼の親玉との直接対決に向けた準備が進んでいく。その間にも犠牲者は増え続ける。主人公の知人たちが次々に命を奪われ、吸血鬼になっていく。

全体の3/4が過ぎるあたりで、主人公たちはカトリック教会の司祭キャラハンを仲間にする。これがプロットポイントⅡだ。十字架と聖水を武器にできるキャラハンは、いわば吸血鬼狩りの最終兵器だ。このできごとをきっかけに、物語はついにクライマックス──吸血鬼の親玉との直接対決へと進む。

『キャリー』に比べると、『呪われた町』には粗が目立つ。伏線のいくつかは回収されずに残っているし、そいつ本当に登場させる意味あるのか?と感じる登場人物も出てくる。しかし主人公たちのキャラクターが立っており、コミカルな会話も楽しい。エンタメはかくあるべしと感じる快作だ。

『シャイニング』は、前2作に比べると地味な作品だ。

コロラドの山間にある高級ホテルを舞台に、冬季の管理人となった3人家族が狂気に取り憑かれていく物語。舞台設定も登場人物も、極端に限定されたストーリーだ。ゴシック・ホラーの「幽霊屋敷もの」を踏襲しつつ、現代的な小説に仕上げている。

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物語は、主人公のジャックが就職面接を受けるシーンから始まる。彼は売れない劇作家で、かんしゃく持ちの性格のために教師の仕事を失ったばかりなのだ。一家3人の内面や、ホテルの設備や関係者について、キングの執拗な筆致で紹介されていく。最初の1/4は状況設定に費やされており、これは三幕構成の第1幕に当たる。

最終営業日を終えて、いよいよ一家3人だけがホテルに取り残される。これがプロットポイントⅠに当たるできごとで、ここからようやく「冬山に残された一家」の物語が始まる。

第2幕前半では、3人の周囲に少しずつ超常現象が起きはじめる。冬が深まるにつれて雪が降り始め、ついに外界と完全に隔絶されてしまう。そして物語のちょうど中間地点で、子供のダニーが本物の幽霊と遭遇する。これがミッドポイントだ。

第2幕後半では、超常現象が過激化していく。一家の父親ジャックは、徐々に狂気に取り憑かれていく。全体の3/4が過ぎるあたりで、ジャックは酒が無いはずのバーで泥酔するまで酒を飲む。一方、異変を感じた母子は、カギをかけた寝室で一夜を過ごす。この部分がプロットポイントⅡにあたる。

最後の1/4では、幽霊屋敷に取り憑かれて完全に正気を失ったジャックが、家族を殺そうとホテル内を追いかけ回す。クライマックスだ。

以上のように、スティーヴン・キングの初期3作は三幕構成が当てはまる。

スティーブン・キングが映画シナリオの様式を模倣しただけ、と考えるのは早計だ。ハリウッド式の三幕構成を体系的に整理したのはシド・フィールドだが、彼が『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』を著すのは1979年。一方、キングの長編デビューは1974年だ。

三幕構成が当てはまるのは、キングのような最近の娯楽小説だけではない。

古典と呼べる作品にも、同じ構成を持つものがある。

『オリバー・ツイスト』は19世紀の人々の心を掴み、チャールズ・ディケンズの出世作になった。孤児として生まれ救貧院で育った主人公オリバーは、脱走してロンドンへと流れ着く。悪人サイクスやフェイギンによって泥棒を働くようにそそのかされるが、最後まで正しい心を忘れない。やがて由緒ある血筋だと判明し、最後にはしあわせを手に入れる。

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第1幕にあたる最初の1/4では、オリバーの出自や、救貧院を脱走してロンドンに流れ着いたいきさつが語られる。ユダヤ人のフェイギンに拾われて、泥棒の片棒をかつがされそうになる。物語の前提条件が設定されていく。

悪の親玉ビル・サイクスは、全体のちょうど1/4が過ぎたあたりでようやく登場する。彼の登場により、「オリバーがいかにしてサイクスの手から逃れるのか」という物語の本筋が始まる。サイクスの登場をプロットポイントⅠと見なせるだろう。

第2幕前半で、オリバーは心優しい紳士ブラウンローに保護される。ところがサイクスの計略でふたたび捕まり、ある屋敷への泥棒を手伝うよう命じられる。しかしオリバーはしくじり、負傷して屋敷の人間に捕らえられてしまう。

「負傷して捕まる」というできごとは物語全体のちょうど半分が過ぎたあたりに配置されている。この屋敷に暮らすメイリー一家は、物語の結末にかかわる重要人物たちだ。したがって、これがミッドポイントだと見なせる。

第2幕後半で、オリバーはメイリー家の保護を受けて負傷から回復する。消息不明になっていたブラウンロー氏とも再会を果たす。

全体の3/4が過ぎたあたりで、今までの登場人物たちがロンドンに集結する。これがプロットポイントⅡに相当する。ここからが本作のクライマックスだ。サイクスやフェイギンなどの悪人たちにそれぞれふさわしい罰が下され、オリバーは自分の出自を知る。

19世紀の批評家たちは、ディケンズを三文文士と笑ったらしい。彼は作品を雑誌連載や分冊形式で発表していたため、読者の反応を見てストーリーを変えることもいとわなかった。ご都合主義な展開が多いのはそのためだ。

ディケンズは大衆からの圧倒的な人気によって名を残した、いわば19世紀のラノベ作家だ。ディケンズと同時代の作家に、これほど繰り返し読まれ、何度も映画化されている者はいない。「優れた物語」の条件は、学者や評論家を喜ばせることだろうか。それとも大衆の心を動かすことだろうか。

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三幕構成が当てはまるのは、映画や小説だけではない。

21世紀の日本のマンガやアニメでも、優れた物語は三幕構成を取っている場合が多い。ネット上で無料公開されている作品を実例として紹介したい。マンガでは『神のみぞ知るセカイ』第1話、そしてアニメでは『花咲くいろは』第1話だ。

『神のみぞ知るセカイ』は、主人公・桂木桂馬がギャルゲーの知識を武器に女の子を口説き落としてく物語だ。「現実(リアル)はクソゲーだ」が口ぐせの桂馬は、生身の女性が苦手。しかし地獄からやってきた悪魔エルシィの依頼で、現実の女の子を落とすことを強いられる。第1話は、高原歩美というヒロインを落とす物語だ。

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第1話を読むと、きれいな三幕構成になっているのが分かる。

まず最初の1/4で悪魔エルシィや桂木桂馬のキャラクターが設定されていく。物語の状況設定が完了したタイミングで、エルシィが桂馬の前に姿を現わす。第1幕とプロットポイントⅠだ。

第2幕前半で、桂馬は生身の女の子を口説くのは無理だと訴える。女の子を落とせなければ死ぬというルールに、桂馬は激しく葛藤する。しかしエルシィの熱心な説得により、高原歩美を落とすことを決意する。この決意がミッドポイントに相当する。

第2幕後半で、桂馬は高原歩美を落とそうと様々な手を試す。そしてクライマックスの直前、桂馬はキメ台詞を言う。「見えたぞ、エンディングが!!」

第3幕では、高原歩美を落とすシーンがクライマックスに配置されている。結末部分ではエルシィが転校生として桂馬の同級生になり、第2話以降へとバトンを渡している。

『神のみぞ知るセカイ』の第1話は、連載初回としてだけでなく、読み切りの一本のマンガとしても完璧と言っていい完成度だと思う。何度読んでも面白いし、結末を知っていても高原歩美が落ちるシーンにはカタルシスを感じる。

『花咲くいろは』は、温泉旅館「喜翠荘」を舞台に、女子高校生が「仕事とは何か」「働くとは何か」を見つけていく物語だ。主人公・松前緒花は、母親が恋人と夜逃げしたため、母の実家である石川県の温泉旅館で生活することになる。

「ママ。あたし、ママの子じゃないの」

『花咲くいろは』の第1話は、この衝撃的なセリフから始まる。このセリフから分かるのは、緒花の圧倒的な退屈だ。彼女は何かドラマチックなことが起きることを望んでいる。しかし、自分から行動を起こそうとはしない。缶入りコーンポタージュのコーン粒すら取ろうとしない。

第1話の緒花は都会的でクールな少女として描かれるが、彼女の内面の中心にあるのは「無感動」だ。無感動だから日常に退屈するのだし、親の夜逃げにも動じない。男友達から告白されてもちょっとたじろぐくらいで、ほほを赤らめることすらない。緒花が物事をポジティブに考えるのは、ネガティブな考え方に鈍感だから──つまり、無感動だからだ。

そんな緒花が、ラストシーンでは感情をむき出しにして涙を流す。『花咲くいろは』第1話は、1人の少女が無感動から脱却する物語になっている。

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テレビアニメの脚本は、24分間でお話をまとめる制約のため、映画に比べてかなり駆け足だ。冒頭のキャラクター紹介から、母親の夜逃げ、男友達の告白まで10分間そこそこで済ませている。ムダを削ぎ落とした濃密な脚本だ。

プロットポイントⅠは、母親が借金を作った恋人と一緒に夜逃げするところだ。このできごとをきっかけに、緒花は母から離れて喜翠荘に行くことになる。

第2幕前半では、緒花が喜翠荘行きをどのように受け止めているかが分かる。クールで無感動な緒花は、くよくよ悩んだりしない。ポジティブに環境の変化を受け入れる。

ところが喜翠荘につくと、祖母である女将から「今日からお前は従業員だ」と宣言される。第1話が始まって、ちょうど半分が過ぎたあたりのシーン。これがミッドポイントだ。

第2幕後半で、緒花は何となく歓迎されていない雰囲気に気づいていく。へとへとに疲れて眠り込み、目が覚めると同室の民子がいない。早朝から仕事している民子を目撃した緒花は、初めて「誰かのために何かをしてあげよう」と行動を起こす。クライマックスにつながるプロットポイントⅡだ。

緒花の親切は裏目に出て、女将に叱られる結果になる。緒花と民子が女将から叱られるシーンは第1話でいちばん感情的に高ぶる部分であり、クライマックスだ。どんなできごとにも無感動でクールに立ち回ってきた緒花が、結末では涙をこらえられなくなる。

緒花の無感動は、彼女が自分の心を守るための手段だった。第1話でそれが壊されたことで、第2話以降で様々な出会いを経験して緒花は成長していける。テレビアニメの脚本はシリーズを通じて1つの物語を作る必要がある。全24話の冒頭として適切な第1話だと言えるだろう。

     ◆

三幕構成はハリウッド映画だけでなく、大衆小説、古典小説、マンガ、アニメにも当てはまる。これだけたくさんのものに当てはまるのならば、三幕構成は「様式」というよりも「技術」だと考えたほうがいいだろう。

技術であれば、他のものに応用できる。

たとえばブログ記事でさえ、三幕構成を利用して書くことが可能だ。

手前味噌だが、上記の記事は、はてなブックマークが700近く付いた。またハフィントンポストに転載した記事では、現時点で26,000以上のイイネ!を獲得している。上には上がいるのは知っているが、まずまず人気記事と呼んでいいだろう。そして、この記事にも三幕構成が当てはまる。

この記事は「魔法を使える先生がいた」という書き出しから始まるが、しばらくは魔法について説明しない。記事の最初の1/4では保育園の様子を説明し、また「きく先生」の行動として「子供に対してやってしまいがちなこと」を紹介している。魔法について説明するための前提が設定されていく。

プロットポイントⅠに相当するのは「まこ先生は違った。」という一言だ。ここから、まこ先生の魔法についての説明、つまりこの記事の「本当のお話」が始まる。

ミッドポイントは「先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。」という一言。大人になった筆者が、まこ先生から話を直接聞くシーンに切り替わる。

ミッドポイントを挟んで、第2幕の前半では「子供の目から見たまこ先生の魔法」が、そして第2幕の後半では「まこ先生自身から見た魔法」が説明されている。

プロットポイントⅡに相当するのは「子供の『考える力』には個人差がある。」という一言。ここから、まこ先生の「子育ての奥義」が語られる。この最後の1/4こそ、この記事がいちばん伝えたい部分──つまり記事のクライマックスだ。

ただ漫然と言葉を並べるだけでは、読者の心を掴むことはできない。

読んだ人を納得させるには、きちんと構成された文章でなければいけない。人気記事を作るには、情報をただ集めるだけでなく、それを効果的に配列する必要がある。ベストな配列を探すうえで、三幕構成が役に立つはずだ。

      ◆

三幕構成は、物語を四等分する考え方だ。

第1幕では状況設定を行い、プロットポイントⅠから本格的に物語が始まる。物語のちょうど中間地点に、ミッドポイントという「あとに引けなくなる点(Point of No Return)」がある。そしてプロットポイントⅡをきっかけにクライマックスが始まり、物語は解決に向かう。

今まで紹介してきたように、三幕構成は、様々な「物語性を持つもの」に当てはまる。映画はもちろん、小説やマンガ、アニメ、そしてブログの記事すらも、三幕構成を利用して作ることができる。

応用範囲の広さから言って、三幕構成は「様式」というより「技術」と言ったほうがいい。物語作りをマニュアル化するものではなく、イラストレーターにとってのデッサンのような基本技能だ。

音楽理論にどれほど精通していても、いい曲を作れるとは限らない。同様に、三幕構成をどれほど上手く使いこなしても、いい物語を作れるとは限らない。しかし少なくとも、作りやすくはなるはずだ。技術とはそういうものだ。

商品の紹介記事を書いたり、プレゼンをしたり……。私たちが何かを物語る機会は、決して珍しくない。なぜなら現代では、人々は財やサービスの使用価値を消費しているわけではなく、それらの記号的価値──つまり物語を消費しているからだ。

人は、どんなに理屈で説得されても行動を変えるとは限らない。人が行動を変えるのは、心が動いたときだ。

心を動かすには物語が必要で、物語を作るには技術が必要だ。

そして三幕構成は、さまざまな分野に応用可能なほぼ唯一の技術と言っていい。

もしもあなたが三幕構成に興味を持ったなら、次回のプレゼン資料はパワーポイントで4枚のスライドで作ってみるといいだろう。1枚目は第1幕。2枚目、3枚目を第2幕。4枚目を第3幕に当てはめてみるのだ。すぐには上手くいかないだろう。しかし数をこなして技術が向上すれば、相手の心を動かし、行動を変える「物語」を作れるようになるはずだ。

(2014年3月11日「デマこい!」より転載)