"個人を保護しようとしない"個人情報保護法改正案

ベネッセコーポレーションから約760万件もの顧客情報が流出した問題を受けて、菅官房長官は「個人情報に関する規制強化を、法改正によって検討する考え」(朝日新聞・7月12日)を示したという。
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首相官邸

■個人情報で儲けようと試みる日本政府

ベネッセコーポレーションから約760万件もの顧客情報が流出した問題を受けて、菅官房長官は「個人情報に関する規制強化を、法改正によって検討する考え」(朝日新聞・7月12日)を示したという。この見解、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がある。なぜならば、政府は前々から2015年に個人情報保護法改正を目論んでおり、菅官房長官の見解は従来の政府の意向をなぞったにすぎず、今回の事件によって「検討し始める」わけではない。

わざわざこうして意地悪に書いておきたくなるのも、この個人情報保護法の改正が、個人やメディアには一層厳しい改正となり、経済・ビジネスの活性化に個人情報を使う企業にはとってはすっかり緩くなる改正となりそうだからだ。国民に対しては、今回のベネッセのような事件は起きないようにしなければならないと引き締めていくアピールをし、ビッグデータビジネスを興す・使う側には、データの取り扱いを緩くしますので、と擦り寄っていく。要するに、「個人の権利より経済発展」でお馴染み安倍政権の成長戦略にいよいよ個人情報が使われようとしているわけだ。

■「データを加工して自由に使わせてもらいます」という改正案

改正案では、現在の個人情報保護法で保護対象とされている住所・氏名・生年月日に加えて、顔や指紋の認識データについても保護の対象に入れるという。以前こちらこちらの記事でも触れたように、個人情報の取り扱いについては、基準を曖昧にすることで大きなマーケティングと結びついていく。先日も、オムロンがJR東日本の乗降者映像を無断で流用していたことが明らかになったばかりだが、この手の事象は枚挙に暇がない。

政府の改正案はこれらの事象に厳しく対応してくるかと思いきや、むしろ逆。改正案ではデータの取り扱いを緩和しようとしているのだ。本人の特定が出来ないようにデータを匿名化すれば、本人の同意が無くとも企業間同士でデータを提供できるようにする。ではどのように匿名化を定義付けるのかを確認すると、驚くべきことに具体的には定まっておらず、「第三者機関が自主ルールで加工の適切さを認定する」(朝日新聞・6月10日)、「業界団体などが作る自主的なルールに基づき、情報を活用する」(読売新聞・6月19日)というのだから、たちまちいかがわしさが立ちこめる。皆さんを守るために個人情報の枠組みを広げますが、加工して分からない感じにした上ではコレまで以上に自由に使わせてもらいますので、ということ。

今回のベネッセのような顧客情報データの流出と、匿名化したデータの自由な運用は差別化されるべきだが、ベネッセは「黒」で、政府がこれからやろうしているのは「白」、とは区分けできない。政府の方針は「白」ではなく明らかに「グレー」だ。ビッグデータビジネスは総務省の試算によれば年間7兆円超の経済効果を見込んでいる。

「第11回パーソナルデータに関する検討会」の冒頭挨拶で山本一太IT政策担当大臣は、安倍総理からの伝言として「ビッグデータの利活用は、成長戦略の重要な要素である」と伝えた。それを受けて山本氏は「パーソナルデータの保護をしっかりと図りつつ、しかし、ビッグデータの利活用によってこの日本経済の競争力の強化に結びつける。こういう形で、何とかこの方向性を取りまとめられればと思っている」と発言している。安倍政権の次なるステップとして、ビッグデータビジネスは至上命題なのだ。

■「社会の公器」ではなく「企業の私腹」

この挨拶に続く議論がこちら(PDFが開きます)で公開されているが、ビッグデータの管理について、ガチガチではなく柔軟な状態にしておこうよ、じゃないと経済成長できないじゃんか、とする考え方が顔をのぞかせている。2つほど並べてみよう(【 】は著者による強調)。

吉田代理(椋田委員)「第三者機関への事前相談や、事後の修正といったことを併用することで、【ビジネスの実態に合わせた対応を可能にする柔軟な制度設計にしていただく】ことができないか」

伊藤委員「私ども経済同友会は1946年に創設され、それ以降ずっと【企業は社会の公器】であり、企業は社会に育てられて、社会のために貢献しながら、社会にいい製品とサービスを提供して、倫理観を持って社会とともに歩むというのが私たちの原則である。【私たちは企業性善説に立っている】わけであり、ぜひとも【パーソナルデータの利活用を事業者が進めていけるような形で大綱をまとめていただきたい】と思う」

この二つの意見をつなぎ合わせると、こうなる。

「ビッグデータはビジネスの実態に準じて柔軟に使われるべきだし、これらのデータを取り扱う事業者はこれまでもこれからも押し並べて善なる働きかけをするのだから安心してもらいたい」と。

その後に発覚したベネッセの事例は言うまでもなく「企業は社会の公器」ではないことを教えてくれた。企業は、データを引っ張り出した個人や得意先を特定することで企業体として受けるバッシングを薄め、悪玉は駆除したのでもう安心、と繰り返すに違いないが、でもその保ち方って「社会の公器」ではなく「企業の私腹」でしかない。

■再び成長戦略とやらに個々人の権利が踏んづけられる

今回も繰り返されている「第三者機関を設けますので」という言付けは、もはやあらゆる法整備の言い訳にしか聞こえない昨今である。この検討会でも事務局の発言として、このような本音が飛び出ている。

「やはり第三者機関をつくることがまず大事であろう。その【第三者機関をつくった上で、具体的な取り扱いについて決めていく】。そういうふうなプロセスの方が、むしろ世の中の納得を得られることもあるのではないか。ただ、いずれにしてもこの先、【冬までに法案化しないといけない】し、その間にさらに検討の余地は十分あるので、現時点においてそういう識別子的なもの(引用者注・この議論ではクレジットカード番号を指す)の【取り扱いについては態度未定というふうな感じにさせておきたいというのが正直なところ】である」

要するに、第三者機関を作ると明言しておいて、あとで中身を決めて、今は態度未定ですとしておけば世論もついてくるっしょ、と目論んでいるのだ。ベネッセの一件で多くの親御さんが「どこでどのように使われているのか」と不信感を覚えているが、困ったことに、国家レベルで情報の流布のルール作りを後回しにして、ひとまず第三者機関を作って後で決めよう、と怠けたことを言っているわけだ。

個人情報保護法の施行後、報道機関では多くの自主規制が生じ、取材先は総じて萎縮し、行政機関はこの法律を情報隠蔽の言い訳に使い回してきた。ビッグデータビジネスが加速する中での個人情報保護法の見直しが必要になってくるのは確かだが、このまま改正が行なわれては、「不利になる個人」と「有利になる企業」が生まれ、成長戦略とやらに個々人の権利が再び踏んづけられてしまう結果になりかねない。