6月23日は、沖縄で組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」です。6月7日に行われた県議選では、辺野古基地建設反対派が過半数を占めるも、工事は再開。戦後75年となる今も揺れ続けています。
今回は、沖縄の透き通る海の前で、政治やコロナ対策、人種差別まで幅広い社会問題をコンパクトな動画にまとめ、関西弁で物申していくことで話題の「せやろがいおじさん」こと、榎森耕助さんに、沖縄が直面する問題をどう見つめているのか、発信する上でどんなことを心がけているのか伺いました。
「戦後は目から血が出るぐらい働いた」と語るおばあたち
―緊急事態宣言が解除となりましたが、県外からの観光客は戻ってきているのでしょうか?
県境をこえての移動自粛要請が緩和されていくのは6月19日以降ということなので、正直県外の観光客の皆様とか、国外の観光客の皆さんがワッて戻ってきたなっていう感覚はないですね。県内の皆さんはもう経済活動を始めているので、ちょっと前のようなゴーストダウン状態ではなくなったなって感じですね。
―県外からの観光客の人たちが多く訪れていたお店やホテルは厳しいですね。
周りにいる飲食店の皆さんはすごくきつそうですね。沖縄って人口当たりの飲食店の数が日本一なんですよ。そもそも競争が激しい中、お客さん減って、ずっとぎりぎりでやっていたのに「もう今回でダメだ」というところはいっぱいありますね。先日もヒューマンステージという、オレンジレンジさんとかモンゴル800さんが活躍された、沖縄のレジェンドみたいな老舗ライブハウスが閉店を発表しました。まだこれからちょっと、倒産とか閉店の話が増えてくるのかな、と思いますね。
―もともと奈良のご出身で、沖縄国際大学に進学されたことで大学時代から沖縄で生活をしていらっしゃいますよね。それまでの認識と、実際に住み始めて実感したことの間で、当時感じられたギャップはありましたか?
そうですね。僕本当にお恥ずかしながら、沖縄の基地問題とか政治とか、社会問題みたいなものへ興味を持ったのが、もうアラサーになってからで、学生時代とかは本当に何も興味を持ってこなかった人間でした。慰霊の日も知らなくて、逆に沖縄県民の人に「やっぱり内地(※沖縄から見た他府県をそう呼ぶことがある)の人は知らないんだね」って思わせた側でしたね。ただ、僕が入学する二年ぐらい前に米軍のヘリが沖縄国際大学に落ちたということで、校舎に黒煙が上がった跡とか、焼けた木の跡とかが残っていたのはすごく強烈に印象に残っています。
―大学生時代に平和通りでアルバイトをされていたそうですが、そこでは戦争体験をした世代の方々の言葉に触れる機会もあったのではないでしょうか。
僕が働いていたところは市場の中でも、沖縄の紅型とか生地を販売しているところで、90歳とか100歳、それ以上の“おばあ”が働いているようなところだったんですね。そのおばあたちがみんな、「戦後は目から血が出るぐらい働いたよ」って言ってたんです。それぐらい苛烈な働き方をされていたんだな、そういう人たちがいて焼け野原になった沖縄が復興してきたんだな、とすごく感謝の気持ちやリスペクトの気持ちがありましたが、今の沖縄をこの人たちはどう見てるのかな、とも思ったんです。
ただ、沖縄に住んでいるおじい、おばあの中でも、自分の戦争体験の向き合い方ってそれぞれ違っていて、積極的に自分の体験を伝えたいという方って、僕の感覚ではそれほど多くないように思うんです。僕が出会ってきた方の中では、できればもう思い出したくないっていう方のほうが多かったんですよ。身内とか孫が、平和学習のためにおじい、おばあに聞いておいでって言われて、やっと話す、という感じで。孫に聞かれても話したくないという人がいる中、血も繋がっていない僕がその話を聞いて嫌な記憶を思い出させていいものかっていう躊躇がありました。
―そういった沖縄が抱えている問題を、強く意識するようになったきっかけは何だったのでしょうか?
荻上チキさんがパーソナリティーを務めているTBSラジオ「荻上チキ Session-22」を聴くようになったことですね。番組を通して沖縄の現状を知るにつれて、僕、「雰囲気」で沖縄のことを認識しているところがあったなと思ったんです。例えば「基地経済」、今の米軍基地が貢献しているのって、沖縄経済の中の割合としては本当に少なくなっている(約5%)のに、「沖縄経済は基地に依存しているぞ」って言われているのはおかしくない?って。そういう「ムード」だけ感じ取って話すんじゃなくて、ちゃんと知っとかんといかんなと思ったんです。
基地問題を語る難しさと、分断を乗り越える糸口
―沖縄の出身ではない者が発信することの難しさを感じることはありますか?
確かに「ないちゃー(内地の人)が沖縄のことを語るな」、みたいに言う人はいるんですよ。でも 僕は基地問題を沖縄のものだけにしないでおこうっていう意見のほうが共感できるんです。僕は県外出身という立場から沖縄のことを言うって、逆にすごく必要なことだと思っています。
沖縄に基地負担が集中しているということは事実だと思うんですね。そこで日本の防衛のことをちゃんと考えようよってなった時に、基地問題っていうのは日本全国の問題だから、沖縄だけが考えずに全国で考えようよって僕は思うんですね。だから「沖縄だけに任せておけ」とか、「本土の人が沖縄のことに口出すな」っていう、本土と沖縄を分断するようなことは全く賛同できないし、そうならへんように、「だってこれ日本の問題やん」というスタンスでやりたいと思ってます。
でも同時に、沖縄の人の気持ちを100%理解したつもりにはならないでおこう、とも思っています。あと過度に「沖縄の人のためにやっている」と押しつけないようにと、その2点には気をつけています。あくまで僕のポジションからできるアプローチの方法でやっているって感じですかね。
【せやろがいおじさん】
軟弱地盤に緩い政府の辺野古基地移設計画に一言 [2020年6月19日公開]
(画像をクリックすると動画が再生されます。)
―基地問題に触れるということ自体が難しい、とも感じますか?
僕が所属しているお笑い事務所は結構特殊なところで、月から金まで毎日夜、稽古で集まったりするんですね。バイト終わって稽古場で皆とわちゃわちゃして飯食って、ほんま家族みたいな感じで十年以上一緒に過ごしてるんです。そんなメンバーでさえ、「お前基地問題どう思う?」とかはちょっと話しづらい…というか全く話さないんですよ。意見が別れた時に「関係性がおかしくなってしまうんちゃうかな」とか、相手と自分の考えが全然違っていたときに「めっちゃ拒絶されるんちゃうかな」っていうヒリヒリした感じがあります。だから基地を容認する人と反対する人の考えが交わらずに、反対派は反対派だけで集まって、容認派は容認派だけで集まる。その結果お互いの意見がどんどん尖っていくということはあると感じます。
―そうした分断状態から、どんなところに糸口を見出せると思いますか?
難しいんですけど、去年2月にあった、辺野古米軍基地建設のための埋立てのを問う県民投票の時に、宜野湾市役所前でハンガーストライキした元山仁士郎くんが、自分たちと考え方が違う人の話も聞きにいこうって、辺野古基地容認派の集まりに参加しに行ってるんですよね。「容認」という立場の嘉陽宗一郎くんっていう若い人が元山くんと対話したりしていて、若い子たちの感覚の中に、異論も取り入れて話していこうよ、っていう兆しがある気がするんですよね。「そっちの方がクールだよね」って。
その点において、辺野古の埋め立て海域に見つかった軟弱地盤の問題って、「容認派」も「反対派」も声を上げられるポイントだと思うんですよ。「容認派」の人は早く辺野古の基地ができたら普天間基地の危険性が除去できると思っているし、「反対派」の人は軟弱地盤で基地できるかできへんかわからへんのに、もう埋め立てして珊瑚死にまくってる現状は絶対あかんやろって思うわけですよね。「この軟弱地盤の問題どうなってるの?」って、問題意識を共有して一緒に声を上げられる点なんじゃないかと思います。
誰かを下げる笑いは“楽したいだけ”
―せやろがいおじさんの動画は、過激な言葉に頼らず問題提起をしてくれますが、大事にされていることはありますか?
できるだけ言葉が尖らないように、かつ難しい話の中にも箸休め的に笑いが入って、えぐみがないよう、雑な言葉を下ごしらえで抜く…みたいな、ひとつの食べやすい「定食」のような感覚でやってはいます。
ただ、困ってる人や今虐げられる人が「おい!」って怒りの声をあげることに対して、「いやそんな言葉で言ったらあかんよ」っていうのは多分言っちゃ駄目なこと。ここで必要なのは「トーン・ポリシング」(※発言の内容そのものではなく、口調や論調を非難すること)ではなく、「トーン・サジェスチョン」的なことだと思うんです。
例えば「安倍やめろ」っていうアプローチの方が、参加しやすくて自分の中のエモーションが高まるから、それで参加したいっていう人もいれば、違う言葉の方が乗っかりやすい人もいて。いろんな道があった方がいいっていうことですよね。同じ「鶏肉を食おうぜ!」ってなっても、たたきがいい人も、ほぼ生みたいな方が食べやすい人もいれば、蒸した方が美味しく食べれる人も、焼いた方がええ人も、煮た方がいい人もいるわけで。この話題をどう調理していこうかという中に、尖った、エモーションそのままぶつけるような言葉なのか、ちょっと丸くしてみるのか、その調理法が違うっていうことなのかもしれないですね。
―シビアな問題を語る上でも、必ずユーモアや笑いを入れるのはなぜなのでしょうか?
僕が作っている動画は3分くらいの短いものなんですけど、その中で主張をワーッていうだけでは、多分胸焼けしちゃうと思うんです。各センテンスの終わり終わりに、ちょっと「ふふっ」って笑ってもらえると、お口直しになるかなって。ぬか漬けとか、おしんことかと一緒みたいな感覚ではあるんですよね。
―一方で、思わぬ誤解を与えたり、配慮が欠けていたと後から気づくこともありますか?
芸歴5年目ぐらいまでの僕ってむちゃくちゃ芸人として、人としてやばかったと思うんですよ。それこそ過激なことを言ったり、差別発言とか女性蔑視とか、そういうのをガンガン使って笑いとりにいくみたいな。何かそういうのを気にせぇへんのが芸人としてセクシーやろ、ぐらいに思っていたところもあったんです。でもやっぱどこかでガツンとお叱り受けたりとかして、今があると思います。
―例えば、とんねるずの石橋貴明さんが「保毛尾田保毛男」を復活させて批判されたときなど、「そんなこと言ってたら、何も笑いを取れない」「お笑い自体が成立しなくなっちゃうよ」という声もありました。
誰かを下げて誰か上げたりとか、一定のくくりの人を見下ろすような高低差をつける笑いっていうのは“楽”なんですよ。例えば、「お前、ブス!」とか「デブ!」といじるだけで、ちょっと簡単に笑いとれちゃうみたいなところがあると思うんですね。でも結局、「これやらないとお笑いなんて成立しなくなるじゃん!」って言っている人は、“楽したいだけ”だと思いますね。
例えば直近のM-1で優勝したミルクボーイさんのネタなんか、全然そんな要素がなくて、史上最高得点取ってるわけですよね。むちゃくちゃおもろかったじゃないですか。今まで好き勝手やって、それで笑いとってて、でも陰で「うっ…」って傷ついてる人たちが大勢いたんですよね。「うっ…」とさせ続けるんかい?それは違うでしょうと、向き合わんといけないよね、お笑い界が。
ただ、「保毛尾田保毛男」のネタとかをやることに対して批判の声が上がったということは、着実に世間の認識とか、お笑い界の認識が更新されていっているという証拠でもあるのかな、とも思いますね。
20万人の犠牲者、一人ひとりに喜びと悲しみがあった
―6月23日は、沖縄で組織的戦闘が終わった「慰霊の日」とされています。この日をどう迎えようと考えていますか?
僕は親の誕生日も覚えられないくらい、数字を覚えるのが苦手なんです。でもこの日は改めて、この戦争によってどれぐらいの人が犠牲になったのかっていうことを思い出す、そんな日に僕はしています。
糸満市にある平和祈念公園に行くと、「平和の礎」の慰霊碑に亡くなった方の名前がびっしり書かれているんですよ。沖縄の綺麗な海を目的に観光に来た人も、ぜひご覧いただきたいです。犠牲になった人の人数を「20万人」という数字で聞くだけだと、実感に落とし込めてないかもしれないんですけれど、あそこには1人ひとりの名前が書かれていて、それがもう何十万人と書かれているのを見たら、この名前ひとつひとつに人生があって、喜びとか悲しみとかがあって、それが急に奪われた。それがこのおびただしい人数なんだと、身体的に落とし込まれる感覚があるんですよね。
「慰霊の日」をそもそも知らないっていう人もいると思うんですけど、6月23日というのはそういう日でもあって、せやろがいが勧めてたから、1回沖縄の平和祈念公園に行って、その石に刻まれている名前見てみようかな、と思ってくれたら嬉しいです。
(聞き手:安田菜津紀 2020年6月)
(書き起こし協力:岩瀬 司)
(2020年6月22日のDialogue for People掲載記事「僕たちは「誰かを見下ろす笑い」のままでいいのか 沖縄から社会問題を語る、せやろがいおじさんインタビュー」より転載。)