アメリカに暮らす写真家の兼子裕代(かねこ・ひろよ)さんが、写真集『APPEARANCE(出現)』を発表した。
歌っている人を、撮る。そんな写真集だ。
街で、家の庭で、海で……世代や性別、人種の異なるさまざまな人が、思い思いの場所で、自分の歌いたい歌を歌っている。
「私は、彼らがそこに存在し、歌を歌い、世界と共鳴する瞬間を写真に留めたい一心でシャッターを押す」
兼子さんは、写真集の冒頭でそう綴る。
なぜ歌う人たちと、写真と撮ることで向き合おうと思ったのか。
40歳を前にアメリカに渡ったひとりの日本人が、世代や人種や性別を超えて、「歌声」に耳を傾け、言葉はなくても、レンズ越しにつながろうとする行為は、いま私たちが大切にしたい姿勢が詰まっていた。
40歳を前に、アメリカに渡った理由
――兼子さんは会社員も経験されて、日本で写真家として活動されてから、アメリカの大学院に進学されたんですね。
日本で学生をしていたときは映画ばっかり観て、仲間と8ミリ映画を撮ったりもしていました。会社員になってからも続けていたんですけど、だんだん集まるのが難しくなってきて、1人でやれる写真をやろうと。たまたま会社にも写真サークルがあったんです。
28歳の頃に会社を辞めて、イギリスに1年半ほどいて小さなアートスクールで写真を勉強して。日本に戻ってきて、アシスタントをしながら、写真家としての活動を始めました。
30代後半には、東京で作品を発表する機会が増えてきて、はたと「もっとちゃんと写真の勉強をしたい」と思ったんですね。
日本の写真学校や美大を卒業せずに写真界に入ってみると、なんとなく居心地の悪さを感じることも多くて、勉強をしたい気持ちと、逃げたい気持ちと、両方あったと思います。
それで、アメリカの大学院に行ったのが2002年。38、39才の頃でした。
それからずっと現地に住んでいます。最初は学生ビザで、それからアーティストビザを取って。2014年にグリーンカードが取れてからは就職活動をして、いまは写真を教えています。
なぜ私がアメリカで写真を撮るのか
――写真集『APPEARANCE』には、2010年まで「なかなかこの地で写真が撮れなかった」と書かれていました。移住したアメリカで作品を撮れなかったのはなぜでしょうか。
もちろん大学院では批評のクラスがあって、とにかく写真を撮って見せないといけないので、風景とかを撮ってはいたんですけどね。
でも作品のかたちで、外国人の私が、サンフランシスコやアメリカをどう撮っていいのか、よくわからなかった。どうアプローチしていいのかが明確になかったんです。
「何で、私がこれを撮るのか」がはっきりしていないと、作品にはなりにくい。
アメリカに渡ったばかりの頃、クラスでアメリカ人の学生が、アジアの国に行って撮った写真を見せていたんですね。それに違和感を感じたんですよ。
アジアの国に行って、何となくイメージをつくっているけど、それに何の意味があるのか、と私自身がすごく思うところがあったんです。
それは、もちろん自分にも返ってきますよね。考え過ぎていたのかもしれないけど、まず自分はどこから来たのかを、真面目に考えましたね。
――焦りのような気持ちもありましたか。
焦りもありましたね。これ、という作品を撮れないので、意識を切り替えて、しばらく日本で撮っていたんですよ。
アメリカに住みながら、日本に行ったときに家族がお風呂に入っているシーンを撮っていたんですけど、やっぱりアメリカで撮ったものと、(相手の)反応が全然違ったんです。
原因不明の病、「歌う子ども」との出会い
――「歌っている人」をテーマに撮りはじめたきっかけは?
アメリカに行く前、2000〜2002年ごろに長崎で撮っていた作品が、念願が叶って、2009年の終戦記念日前後に長崎市立図書館での展覧会が決まったんですが、直前にちょっと倒れてしまったんです。
原因不明の脳炎で入院しました。人の助けを得ながら、なんとか展覧会は開催できて、幸い回復したんですけど、半年ぐらいはめまいが残りました。
体調不良の心もとない日々のなかで、子どもに目が行くようになりました。
子どもってエネルギーもすごいけど、脆弱さがあって危なっかしい感じがして。それを写真に撮れないか、と思っていたんです。
その頃、歌手の友人から「子どもに歌を教えている」と聞いて、すごくいいんじゃないか、と。アメリカに戻ってからも、そのアイデアが頭から離れなくて、知り合いを辿って子どもを撮るようになりました。
――それから、大人も撮るようになったのはなぜでしょう?
子どもは断続的に3年くらい撮っていました。かわいいし、驚きもあって、楽しかったけど、何か物足りないような気持ちがして、行き詰まりを感じるようになりました。
そんなときに、知り合いのアーティストの展示会で、ある男性がパフォーマンスとして、何の伴奏もなく、そこにあるベンチに座って歌を歌ったんですよ。
若い青年だったんですが、厳かな感じがして、別に宗教的でもなくて、普通なんだけど尊い。そこで「ああ、大人も撮っていいんだな」という気持ちになれたんです。
同じ人間で、子どもは大人になるし、大人は子どもだったわけだから、分ける必要はないんだ、と思えましたね。
人が歌う瞬間、何が立ち現れるのか
――歌ってくれる被写体を、どうやって見つけたのでしょうか。
こういう人と特定せずに、声をかけて「歌ってもらえますか」と聞いて、「いいよ」と言ってくれる人だったら、誰でもウェルカムでしたね。
本当にフィーリングとしか言いようがない。その時そういうふうに聞けた人という感じでした。雰囲気やタイミングで聞ける人に聞き、「うん」と言ってくれた人に歌ってもらった感じです。
知り合いの知り合い、の知り合い。そうすると、完全に赤の他人だけど、何かしらの共通点はあったんだと思います。
――写真では、歌う場所もその人らしさを伝えていますね。
基本的には、被写体が場所を選んでいます。その人の家やお庭、家の周りが多いですけど、特にその人が「ここに行きたい」という場所があれば、一緒に行って撮りました。
例えば、私は2016〜2018年まで、非営利の農業団体で働いていたんですけど、彼女はそこに来ていた人で、ここはそこの畑の横の道です。
彼は、額縁屋さんで工房の前で撮りました。
――人前で歌うのは緊張しそうですが、撮影はいかがでしたか。
緊張する人もいましたね。最初はちょっと緊張というか恥ずかしいというか、照れがあったりします。でも、何回か歌っているとだんだん慣れてくるんです。
私がフィルムで撮っているので、途中でロールを替えるんですけど、4〜5本ぐらい撮って、4〜5曲ぐらい歌ってもらいますね。
――東京の立川で撮った作品もありました。
サンフランシスコの友だちなんですけど、妻が日本人で、毎年夏に日本に長期滞在していて、ここは彼らが滞在していた立川のAirbnbの家のすぐ近くにあった神社です。
神社の端っこですけど、ちょうど夕日が刺さっていた。
本当に説明しすぎず、でも情報は残ってくる。その距離感と行為の不思議さがかけ算になっている一枚ですね。
「歌う人を、撮る」意味
――「歌う人を、撮る」というのは、どんな時間でしたか。「歌う」というアクションを「撮る」というリアクション。コミュニケーションのかたちです。
いま本を見て思ったんですけど、「歌う」というのは、のんびりした行為で平和な時間が流れています。なおかつ、人にもよりますが“感情の発露”の瞬間みたいなものが撮れます。
その意味では、写真には感情そのものは写らないけど、いろんな表情で、感情がどういうふうに顔に表れているのかを写真で撮ることができる。そういったプロセスがとてもスリリングでした。
私は英語がネイティブじゃないので、日々コミュニケーションの困難さを感じています。でも歌はわからなくてもーーたとえば、スペイン語やロシア語で歌っている人もいたんですが、歌詞はわからなくても、メロディや表情を見て、感情を共有することはできました。
歌う、撮るというお互いのアクションを共有して、垣根を超えていく、ということはあったと思います。
――紹介してもらった人を撮る行為は、兼子さんが人とつながっていくプロセスも可視化しますね。
偶然どこかで何かしらの出会いがあって、写真を撮った。でも、写真撮らなかったとしても知り合うことはあったと思うし、気が合えば友達にもなったかもしれない。
そうやってみんな生きているんじゃないかな。
――いまの日本では、つながりがなく社会的に孤立する人も増えています。
人間関係が希薄になっているのは、世界的な傾向としてあるのかもしれません。私も、子どもの頃から親の仕事の関係で引っ越しが多かったですし、アメリカでは外国人だから、自分は“よそ者”であるという意識が常にどこかにあるんですね。
でも、そうはいっても、みんなそうなんですよ。
アメリカには、いろんな国の人が来ているし、東京だっていろんなところから人が来ている。誰だって最初は“よそ者”的な感じでコミュニティに入って、いろんな人とつながっていく。それは、すごく大変なこともあるけど、楽しいことでもある。
いろんな人と知り合って共同の活動や行為を通じて、作品をつくっていくことは、私にとってアメリカで生活することの意味を感じさせてくれています。
この作品では、日常のなかで自分が出会ったバラバラな人たちを撮影しましたが、それは「歌う」という行為によってつながっています。
――「言葉」に依らない、ゆるやかにつながるアプローチですね。
人間は一人ひとり違う。だけど案外違わないんだな、みたいなことも、アメリカに行ってから気がついたんです。
絶対一生行かないだろうなと思うような、遠い国から来ていている人たちとも、基本的な気持ちや感情とか、共通する部分がたくさんあります。
違いとともに、同じだなと思うところも一緒に出したかったんです。
この世界に溢れる大きな問題を逆手に
――兼子さんが住んでいるオークランドという町は、住んだことのない人からすると、治安の良くない街という印象もあるそうですね。不安を感じることはありますか?
(ニューヨークの)マンハッタンは家賃が高いからブルックリンに住むのと似たような感じで、サンフランシスコからオークランドに来るのはよくあることで、わりとアーティストのコミュニティがあるんですよ。
知り合いも多いし、家賃も安いので、事前に治安の悪そうな地域をリサーチしてから来たんですけど、住んでみると結構いいなと思うことがいくつかありました。
たとえば、サンフランシスコもオークランドも、いろんな人種の人たちが住んでいるけど、サンフランシスコのほうが、チャイニーズ、黒人、白人みたいな感じで、住環境が分かれているんです。
オークランドは人種の住み分けが比較的少なくて、私が住んでいるアパートには、白人も黒人もいる。日本人は私だけかもしれないけど、韓国系など他のアジア人や、ヒスパニック系の人など、多人種が混ざっていて、居心地がいい感じはありますね。
――日常で、差別を感じたりすることはありますか? 日本人だから、という理由で。
あると思いますけど、日常的にすごくあるかというと、そういうわけではない。
ただ、個人的というよりも構造的なかたちで、ヒエラルキーはあると思います。やっぱり白人男性がトップにいて、次に白人女性がいて、ヒスパニック系、アジア系といった有色人種の男性がいて、女性がいて、黒人……という区分は感じます。
奴隷制があったからだと思うんですけど、黒人の人たちは、アメリカでは(そのほかの有色系とは)また違う意味ですごく差別されていて、私には理解を超えた部分の差別があると思います。
そのなかで女性がより低い、不当な扱いを受けている。
さらにネイティブ・アメリカンやLGBTQの問題も加わってくる。
そういう現実を見たり聞いたりするときに、暗澹たる気持ちになる。手に負えないじゃないですか。あまりにも大きい問題すぎて圧倒されますよね。かといって自分の問題でもあるので無視することもできない。
そんななかで、私の場合は、どうしていいか分からない、だけど何かしら表明したい、という思いから、この作品が生まれてきたんだと思います。
――そうして、一人ひとりが“出現”する作品になったのですね。最後に、読者にメッセージを。
世界にはいっぱい問題が溢れていると思います。そういうなかで、なんとか問題を逆手に取って、平和というか、生きていく励みとか、喜びとか、希望とかに転換できるような何かを感じてもらえたら、すごくうれしいなと思います。
兼子さんの写真集『APPEARANCE』は青幻舎から発売中。
この空間は、最も広い意味の出現(アピアランス)の空間である。
それは、私が他人の眼に現れる(アピアー)、他人が私の眼に現れる空間であり、
人々が単に他の生物や無生物のように存在するのではなく、
その外形(アピアランス)をはっきりと示す空間である。
――ハンナ・アーレント『人間の条件』 (『APPEARANCE』STATEMENTより )