『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)や『スゴ母列伝~いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける~』(大和書房)などを執筆し注目を集めているライター・堀越英美さん。堀越さん自身の子育てや学校とのつき合いのなかで感じていることをうかがった。
* * *
――最初に新型コロナウイルスの影響からお聞きしたいのですが、生活にはどんな変化があったでしょうか?
学校が休校になったので、小学生と中学生の娘2人が自宅ですごすようになりました。
子どもがずっと家にいるというのは、それ自体でとてもエネルギーがいります。「不登校の子を持つお母さんは、すごくたいへんな思いをされていたんだな」とあらためて思いました。
近年の日本では、大きな自然災害が起こるたびに「絆」の大切さが叫ばれます。
ですが感染防止を考えると「みんなといっしょ」で盛り上がるわけにはいかないから、その点はこれまでとちがうところです。
考えてみると、学校には合唱や学芸会、卒業式の呼びかけといった狭い場所でみんなでひとつになって大声を出す「3密」の機会が多く、ウイルスが広まりやすい環境だったかもしれませんね。
コロナウイルスの影響で、そうした学校行事も見直しが迫られるかもしれません。
たとえば最近、小学校で増えつつある「音読集会」。全校児童が体育館に集まって詩などを暗唱する行事です。
とにかく大きな声を出さないと怒られるようで、みんなで叫ぶように練習していたせいか、その後に感染症が流行したということがありました。
長女が10歳のときには「二分の一成人式」がありました。狭い教室に子どもと親が集まり、子どもたちは先生が用意した「感謝の言葉」を暗唱して、親たちはお返しにJポップを歌うというもので……。
このあと、長女はインフルエンザにかかってしまい、今でも文句を言っています(笑)。これらのことを思うと、早めの休校はよい決定だったのではないかと思います。
今後、みんなでひとつになることを目的とした「密」な行事を見直していくことで、先生や子どもたちの負担が減り、あわせて「みんなといっしょ」が難しいさまざまな事情を抱えた子どもが生きやすくなるきっかけになるといいのですが。
保護者のPTA、個を消す装置?
――巨大組体操のように、事故が起きても中止にならないとり組みがあります。なぜ学校行事は批判があっても続いてしまうのだと思いますか。
みんなでひとつになるのがよいという価値観のもとでは「個」の反対意見がなかなか通りません。巨大組体操も、子どもが大けがをするリスクをとってまで、やる必要はないはずです。
それでも「地域ウケがいいし、みんなで『感動』できるんだから、このままでいいじゃないか」という声に反対意見がかき消されてしまう。それでなんとなく続いていってしまうんでしょうね。
組体操と同じで、PTAも「個」を消すための装置になっていると思います。PTAには理不尽な活動が少なくありません。
仕事を休んでベルマークを貼らされたり、公立の学校を広報する意義も知らされないまま広報誌をつくらされたり。
それもPTAの存在意義が「個」を消すための組織になってしまっていると考えれば理解できます。
「母親は学校や地域に尽くす存在だ」と教えこんでいるのではないかとさえ感じています。一体化して「感動」をつくり出すために、お母さんたちの「自己犠牲」が求められるからです。
――「母親は子どもに尽くすべきだ」というプレッシャーもあると思います。母親の自己犠牲的なイメージは、伝統的なものなのでしょうか?
歴史は長くありません。平安時代の『今昔物語集』では、貞操を守るために子どもを見殺しにする母親が称えられているくらいです。
封建時代には主君のために母親がわが子の命を犠牲にする話が美談として扱われていました。
そもそも「家庭」という概念が現れたのは明治の中期以降のことです。「子どもに尽くす母親像」は、大正時代以降に広まり、戦争を経て、国民的な道徳になっていきました。
自己犠牲的なイメージは、お母さんたちをすごくたいへんにさせています。
――一方で、堀越さんの書かれた『スゴ母列伝』では、型にはまらない女性たちが紹介されていますね。
この本には、子育てのモデルになるようなお母さんは全然出てきません(笑)。破天荒な人たちばかりなんです。
たとえば随筆家の黒柳朝さん。黒柳徹子さんのお母さんで、『チョッちゃん』という朝ドラにもなっているので、ご存知の方も多いかと思います。
朝さんは、徹子さんが小学校1年で退学になったときも、「うちの子は何もまちがっていない」と信じて、子どもに合う学校を探しました。
その結果、娘の徹子さんは『窓際のトットちゃん』で書かれたような、自由な学校生活を満喫します。
朝さんは、世間の子育ての規範にまったく動じず、「子どもは自由に育てるべきだ」という信念を貫きました。
あるべき姿に縛られない母
作家の岡本かの子さんも型破りです。執筆活動に専念するために、小さな岡本太郎さんを「柱に縛りつけていた」なんて話もあります。今だったら虐待で大問題ですけど(笑)。
ただ、子どもの世話は苦手だったかの子さんですが、幼い息子を対等な人間として扱うことは一貫していました。
おかげで小学校に上がった岡本太郎さんは理不尽な先生に黙って服従することをよしとせず、1年生のときに3つの小学校を辞めています。
親子ともども破天荒ですが、「そんな育児でも大芸術家が育つなら、縛りつけたことのない自分の育児は大丈夫ではないか」と、奇妙な安心感を得ました(笑)。
今の社会は「お母さんは〇〇であるべき」という縛りがたくさんあります。だけど世の中は広いし、国や時代によって、決まりごとは全然ちがいます。
個性の強いお母さんたちのもとでも、子どもはちゃんと育ちました。「あるべき姿」に悩みすぎず、「自分は自分だ」と思って、気を楽にしてもいいのではないでしょうか。
現代だと、「ゲームやネットが有害だ」と言われていますよね。ですが私たちの世代では、「テレビや漫画が有害だ」と言われていましたし、明治時代には「小説が有害だ」と言われていました。
「子育ての敵」も、時代によって変わっていきます。
自然なら善でデジタルは悪?
――子どもにとって「小説が有害」だったんですか!
そうです。明治の初めのころは「小説を読むと死ぬ」なんてことをまじめに論じる思想家もいました。明治中期になっても、読書は麻薬と同じで「子どもがハマってしまうから悪だ」と言われることもありました。
「子どもがネットやゲームにハマりすぎるから、バーチャルリアリティーは悪だ」という主張にも、どこか同じものを感じます。
学校でオンラインの仕組みが整備されれば、自宅でも勉強ができるようになります。
不登校でも勉強したい子はいるはずですし、いじめで「教室へ行きたくない」という子でも、ネットで授業が受けられます。
コロナウイルスが広まって以降、多くの国では授業のオンライン化や、学童・生徒へのIPadの貸与・配布を行なっていますね。
日本でも似たような取り組みを進めている自治体もあります。ですが全体として見ると、日本では保守的なえらい人たちが「自然=善」「デジタル=悪」だと思っているようで、なかなか変化していきません。
地域によっては、教育委員会とPTAが共同で週に1度、もしくは月に1度、家庭でテレビやパソコンなどをつけない「ノーメディアデー」を実施しているところも少なくありません。
私は「それは無理だよ」と思うんですけど(笑)。わが子が小学校に上がって初めて公立の学校のローテクぶりに驚いて「おたよりや欠席連絡はIT化してほしい」と不満をもらすお母さんたちも多いです。
とはいえPTAに順応した先輩お母さんたちから「ネット環境がない家もある。何も知らないくせにわがままを言わないで」とあたかも不道徳な発言をしたかのようにたしなめられて口をつぐまざるをえず、オンライン化を働きかける大きな動きにはなりづらいのが現状です。
たしかに環境整備にお金はかかりますが、学業にかならずしも必要でない高額な制服やランドセル、書道セットなどはほぼ強制購入なのに、学業で必要なオンライン化にお金が使われないのはアンバランスだと感じます。
――デジタルメディアはこれからの時代に必要なことだと思うのですが、なぜ敵視されるのでしょうか?
「ネットがあると自分たちの言うことを聞かなくなる」と思っている大人が多いのではないでしょうか。
子どもが外側の世界にふれると、学校や地域以外の価値観を知ることになります。そうなると、自分たちの共同体のなかに縛りつけておけなくなります。
学校の外側では人権侵害とされることが、学校のなかでは堂々とまかり通っていることもめずらしくありませんから。
娘が小学5年生のときに、文科省のアンケートがありました。
「ふだん、どれくらいメディアにふれているか」の調査で、「読書をしている時間」と「テレビやビデオ・DVDを見たり、ゲームをしたり、インターネットをしている時間」をたずねる内容です。
しかし読書といってもくだらない本もあるし、ネットですばらしい作品だって観られます。「そこを分けても意味がないだろう」と思います。
娘も、このアンケートの意図は「デジタルメディアに長時間ふれちゃダメということだな」とわかっていました。
読書の時間を長めに答えるなどして、「クラスのみんなが嘘を書いていた」と言っていましたから(笑)。
学校というのは、人格形成にあまりにも大きく影響しています。今は休校中なので、子どもたちは通学していません。
この突然やってきた自由時間を、学校以外の価値観に触れられる機会にできたらいいと思っています。だけど子どもがずっと家にいるのは、本当にたいへんですけど(笑)。
――ありがとうございました。
(聞き手・酒井伸哉)
プロフィール
(ほりこし・ひでみ)1973年生まれ。出版社、IT系企業勤務を経てライターに。二児の母。写真は最新刊『スゴ母列伝』(大和書房)。
(2020年05月15日、不登校新聞掲載記事「子どもと学校に尽くしてこそ「母親」というイメージがつらい」より転載)