こんなご時世だからこそ、文化に触れることがいかに心の滋養になっているかを思い知らされる今日この頃。
世界の多くのミュージアムがコロナ禍の下、リアル空間での「展示づくり」からバーチャルでの「映像ツアー」に切り替え、オンラインで発信している。
ロンドンの世界的ミュージアム、ヴィクトリア&アルバート美術館(通称V&A)も同様だ。キモノをテーマにした初の大型展示『KIMONO:京都からキャットウォークまで』展は、今年2月末にスタートしたものの、新型コロナの影響により 2週間後には閉じることを余儀なくされた。
幸い、筆者はクローズする前に実際の展示を見る機会があり、丹生込めてつくられた今回の『KIMONO』展がたくさんの人々にみてもらえないことを非常に残念に思っていたのだが、その後、学芸員による展示解説の映像が公開され、喜ばしい限りだ。
そこで、この記事では、本展覧会の見どころだけでなく、実際の展示と映像ツアーの体験の違いについて、改めて考えてみたいと思う。
西洋の眼からみた「KIMONO」
今回の『KIMONO』展、装飾工芸における世界でトップのミュージアムV&Aのことだけはある。
キモノという一国の服飾をその伝統文化やデザイン性だけではなく、それを“窓”にして日本の社会や時代の変化を眺め、欧米のデザインとの融合を見出し、21世紀までいかに発展を続けてきたか、広い視野から展開してみせる。
「着物」ではなく、西洋の眼を通してみる「KIMONO(キモノ)」の展示だからこそ、日本人にとっても新鮮な発見がいくつかあった。
まず、キモノのフォルムの基本が17世紀はじめには出来あがっており、以来、現在に至るまで、大きく変化していないという事実だ。西洋の服飾史と比べれば、その歴史の長さは驚愕に値することを今更ながら気付かされた。
ところで、映像ツアーの中で学芸員が、キモノは「ファッション」ではなく、タイムレスな伝統として受け止められる傾向があると説明した時、はたと思い当たった。
英語の「ファッション」という言葉は、文化風習がある時点で広く流行している状況という意味合いが強い。服飾はその一例にすぎず、ファッションには変化するという前提があるのだ。
だから、キモノ=ファッションというのは西洋人からすれば、違和感があるのだろう。
だが、キモノは伝統であるという固定概念に対し、この展覧会は挑戦をしていると学芸員はいう。フォルムは確かにシンプルかつ変化がない。しかし、だからこそ、文様のデザインや刺繍や染めのテクニックが絵画のように自由に表現される。
『KIMONO』展は、その表現が社会や時代に応じていかにフレキシブルに変化してきたか、また世界の文化に影響を与えてきたかを語っているのだ。
ジェンダーを超えて共有されるキモノ
さらに、キモノには性差がないこともまた新しい発見だった。
色合いや柄に多少の男女差があるものの、フォルムについては基本的に同じ。キモノのアイデンティティーがジェンダーを超えて共有されるのだ。
展示では、当時のキモノや版画などを紹介しつつ、江戸初期には、男性用と女性用の境目がかなり曖昧だったことを明らかにする。
ある展示コーナーでは、Queenのフレディー・マーキュリーがキモノを部屋着として気軽に身につけていたことも紹介される。性をめぐるアイデンティティーについて深い悩みを抱いていたフレディーにとって、キモノはある意味、隠れ蓑であり、自己開放だったかもしれないことが示唆されるのだ。
戦後になって、キモノが日本人の日常から離れてしまった今も、節句や成人式、結婚式など、人生の節目で意味をなしていることを語るコーナーがあり、また、古澤万千子、松原良道、森口邦彦など現代キモノ作家たちのクリエイティブな仕事を紹介するコーナーもある。
また、デビッド・ボウイ、ビョーク、『スター・ウォーズ』など、世界の音楽・映画界にキモノがいかに大きな影響を与えているかを語るコーナーも。日本の伝統が世界に自由に展開されている様を、展示空間全体が物語っていたように思う。
美しい展示作品の細部を好きなだけ観察できる
もちろん、バーチャルでの映像ツアーの利点もたくさんある。
美しい刺繍や染めのテクニックを細部まで観察できること。
ほかの来館者を気にせずに、好きな時に効率よく落ち着いて学べること。
そして、もちろん専門家の解説を直に聞けること。
繰り返すが、時間をかけて集められた一級の展示物やそれらにまつわる物語を、オンラインでオープンにしてくれたこと自体、ミュージアムのたゆまぬ努力に、感謝と称賛の意を表したい。
その一方で、改めて、展覧会での体験がいかに変え難いものであるかも、深く考えさせられた。実は、その点がこの展示全体のコンセプトともつながってくるのだが。
それは、展示空間全体で、キモノという文化のストーリーを語っていることだ。
いちばんよく表れているのは構成デザインではないだろうか。最初の江戸時代の展示室が鶯色の壁面や低い天井、丸窓など伝統的な設えから始まり、やがて、大正時代の展示室は、ピンクの壁、高い天井と、モダン都市を思わせる空間へと変化する。そして、現代を扱う最後の部屋は、ゆるやかな曲線を利用した、白く開放的な空間になり、世界のファッションへと融合し広がっていく様をうまく表していた。
それは、展示空間に身をおき、歩き回るからわかることであり、その体験を通して、キモノが日本の伝統に収まらず、ダイナミックにグローバルに生き続けているという展示のコンセプトを身体的に感じることができるのだ。
これが、映像スクリーンでは制限がかかってしまう。家庭環境では、長時間スクリーンに集中できるわけではない。
だから、V&Aのキモノ展の映像も5〜8分以内におさまったエピソードを5回に分けて用意しているのだろう。
美術館にひとびとが戻ってくる日のために
アート鑑賞は、美術館に行く時から始まる。
あなたはそのために時間をつくり、日常空間から離れて、電車に乗って街に出る。
期待を膨らませながら、ミュージアムの壮大な建物を歩き、チケットをスタッフに渡し、展示会場の中に吸い込まれていく。
展示室では、1、2時間たっぷり時間をかけて、その世界に浸る。視覚や聴覚だけを使うのではなく、空間感覚、本物のもつサイズ感、作品と作品を比較し、目がいくままに歩き回ることだろう。
他の来館者と袖すり合わせ、その人の口をついた言葉を耳にする。見ず知らずの人とその場かぎりの体験を共有する。自分の知覚に加え、身体運動、そして空間を共有する他者、さらに展示というコラボレーションがつくりあげる体験なのだ。
もちろん、美術館の学芸員はそのことを熟知しながら、オンラインで人びとと繋がる努力をしている。それは、言うまでもなく、この惨禍を乗り越えた暁には、人々に美術館に戻ってきてほしいからにちがいない。
さらにいえば、アートという文化の火を絶やすわけにはいかないのだ。そして、わたしたちも、この鬱屈した状況の中で、映像ツアーをみながら想像の翼を広げ、いつの日か訪れる美術館での体験を心待ちにするのである。
【追記】
本記事の執筆後、V&Aは8月27日より再開すると公表した。
吉荒夕記(よしあら・ゆうき)
ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキューレターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。2019年9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。
(編集:毛谷村真木)