やりたいことをやらせてくれた両親のおかげで今の私がいる
仕事が休みの日には、いつも映画館に行って映画を鑑賞し、目星をつけていたお店でスパイスカレーや蘭州牛肉麺を食べ、それから少しショッピングをして家で酒を飲みながらひたすら本を読む。たまには、美術館に行ったり立ち飲み屋に寄ったりする。それが、人に会いにくくなってしまった昨今の、自分を癒すためのルーティーンとなっている。
幼い頃から、私の生活様式には大きな変化がない。私の周りには常に何かしらの文化や誰かしらの作品があったように思う。
なぜか動物の「カバ」にドハマりした3歳の頃は、ほど近い上野動物園にはカバの飼育がまだされておらず、静岡までわざわざ見に行ったこともある。本を読むのが好きで、毎週のように図書館へ行って貸出限度の6冊を厳選して借り、待ちきれずに車の中で読んでしまい車酔いをするというのもお決まりだった。絵画教室、英会話教室、バレエ、体操教室、塾、ミニバスケットボール、色々な習いごとだって経験した。
私が今持っている、そんな文化的素養は、両親から受け取ったものだ。教育熱心だったとは思わないが、行きたい場所に連れていってくれ、やりたいことをやらせてくれる。その機会を与えてくれて、金銭面の援助もあったからこそ、今の私がいるのだと思っている。
両親にとって「理想の子ども」になれず、愛されなかった
大人になった今考えると、両親はきっと私に「期待」をしていたのだと思う。両親は、「こういう子に育ってほしい」というビジョンを明確に持って子育てをしていた。私は日々その思いを聞きながら、両親の理想の近づき、気に入ってもらえるよう、愛されるように、振舞っていたように思う。
しかし結局私は、その期待に応えることができなかった。期待に応えられなくなったのが、いくつくらいの頃からかはわからない。でも、両親にとって「理想の子ども」になれなかったのは事実だ。だから、私は両親から愛されなかった。嫌われてはいなかったかもしれないが、それでもやはり、比較する弟や妹と両親との距離はいつも、いつまでも遠かった。DVの被害者は母親と長子がもっとも多いという統計があるそうだ。私の父はDVの気質のあるひとだったが、3姉弟のなかで父の暴力の対象になっていたのはほとんど私だったように記憶している。
テストは100点をとるが当たり前で、褒められた記憶はない
例えば、小学3年生の頃、気が付けば入ることになっていたミニバスケットもチームは強くはなかったし、自分自身、うまくなる努力すらできなかった。強くなりたいとさえ、思ったことはない。テストは100点をとるが当たり前で、どれだけ成績がよくても褒められた記憶はない。両親が勧めた高校へは、私の成績が足りずに入学ができなかった。父に「将来、薬剤師を目指しなさい」と言われたこともある。私は、理数科目がどうしても苦手だった。そんなことを言われても、現実的に目指せるはずなんてなかった。
「こんな子どもになって欲しい」「こういう道を目指して欲しい」という両親の希望を、私は時間をかけて少しずつ少しずつ、壊してしまったのだ。
両親が私に期待しなくなった時期と、家庭のなかから暴力がなくなった時期は見事に一致する。今になって振り返ると感じることなのだが、「私が、理想の子どもにするためのコントロールができない存在」になってしまったから、失望し、暴力という形ですら、両親は私に興味を失ったのではないか。
もちろん、暴力を肯定する気はさらさらないが、私が成長する過程で家の中がどんどん不和になったこと、成長した私が暴力ではどうにもならなかったこと、そして私が両親の期待に対してうまく立ち回ることができなかったからこそ、私は暴力に怯える日々から脱却できたのだ。そして、両親が私に干渉することもなくなったのではないか、と思う。
両親とうまく関係を築いている妹とのギャップ
その代わり、小学校1年生からずっとバスケットをやり続け、インターハイにまで出場し、進路もほとんど両親の希望先へと進んだ妹は、今でも父とも母ともうまく関係を築いている。家に帰ってから、どうでもいいクラスでの出来事や友達の話を、台所で家事をする母を相手に長々と話していたくらいだ。もしかしたら、この光景は普通の家庭、私以外にとっては、ごくありふれたものなのかもしれない。でも、私にはあり得ないことだった。
両親とうまく関係を築いている妹を見ていると、両親はこういう理想の子どもが欲しかったのだろうな、と思う。私はうまく立ち回れなかった。その存在が、身近にいるからこそ、なんとなく空気感で両親が抱いている姉と妹への思いの差のようなものが伝わるような気がした。
過去の記憶や経験が、今も自分にのしかかっている
「子どもは無条件にかわいい」「親の愛は無償」というが、果たして本当なのだろうか。少しだけ疑問視している自分がいる。出産を経験していない私に本当のことはわからない。しかし、自我を持ち、自分になつくとは限らない一人の人間を、無条件に愛し、愛されるなんて思えない。それは、私が身をもって経験したひとつの実感であるような気がする。
高校生の頃、両親が離婚してホッとしたことを今でもよく覚えている。これで、安心して過ごせるし、普通になれるかもしれないと思っていた。
けれど、両親の理想にかなった子どもになれず、無条件で人に愛される術を身に着けることができなかった過去と現在は、ひと続きだ。過去の記憶や経験が、自分に重くのしかかっている。そう感じることが、何年も時を経た今になっても徐々に増えているような気がしている。
(編集:榊原すずみ)