「料理は好き。でも男の胃袋を摑んでたまるか」など、女性の「本音」を代弁するようなコラムで話題になったお笑い芸人・フォーリンラブのバービーさん。
デビュー作となるエッセイ『本音の置き場所』の上梓にあたり、自身のコンプレックスや結婚観、自分の体(型)をそのまま愛することなどについて話を聞いた。
この1年で訪れた大きな変化
――本のページを開いて一番最初にびっくりしたのが「左手にスマホを持ち、右人差し指の高速連打で書き上げた」という一文でした。この連載すべて、スマホでお書きになったんですか?
はい、スマホで書いたんですよ。“縦式”というアプリを使って。だから、このスマホに1冊分の原稿が入っています。高速連打しすぎて、スマホの画面が真ん中からわれましたけどね(笑)。便利ですよー、料理をしているときでも、道を歩いている時でも、友だちと一緒にいる時でも、「今、書けるかもしれない」というタイミングで、すぐにその場で原稿が書けますから。
――実は、ハフポスト日本版では約1年前にもバービーさんに取材をさせていただいているんですよね。最近のバービーさんの活動を見たり、こうしてお話をお聞きしたりしていて、当時と現在では環境や立ち位置が大きく変わったように感じました。バービーさんご自身は、どんなふうに思われますか?
やりたかったことがいくつも実現した1年だったと思うし、自分の本音の言葉でお仕事できる機会が増えたのでとても楽しいです。嘘偽りのないことができる現場が増えてきているのはとてもうれしいですね。でも、そのせいで、芸人さんとからむ回数が減ったのは淋しくはあるんです。芸人さんに会うと、楽しいんですよ、やっぱり。
――実現したものって、たとえば具体的にどんなものがありますか?
まずは、取材していただいたころに完成に近づいていた下着のプロデュース。そして連載として「書く仕事」ができて、1冊の本にまとめられたこと。ほかにも、YouTubeを立ち上げて、自分の発信の場をもてたということ。前々からインドネシア、マレーシアあたりに拠点をおいて何かやりたいなと思っていたのですが、歌姫計画が立ち上がり、先日曲ができたこと。手掛けていた古民家の完成。生まれ育った地元の野菜を販売するECサイトを形にできたこと…、たくさんありますね。
シンプルに、みんなさんに気持ちを届ける仕事ができたことがすごくうれしいです。
コンプレックスとも上手につきあって
――本の中でコンプレックスにも触れられていますが。どんなふうに向き合っていますか?
20代のころから一貫して、今でもコンプレックスなのは、Twitterのプロフィール画面にも書いてあるんですけど「気分屋」なところ。とても嫌いです。言っていることが感情に左右されてコロコロ変わっているところがあって、そのせいで周りの人たちを振り回してしまう可能性があるので。感情的にいろいろなところを彷徨っているというか、喜怒哀楽が激しいというか。
――芸人さんとしては、そういった部分が武器になることもあるのでは?
そうですね。感情を素直に表現できれば、それが面白く転がることもあると思うのですが、私の場合、妙に常識人ぶろうとしてしまうというか、そもそもコンプレックスに感じていて、嫌だから隠したいわけで。だから感情が動いていても平気なふりをして、表に出さないようにしています。
ただ、年を重ねるごとに少しずつ、変わってきて、安定するようになってきていると思います。例えば、仕事ではカメラまわっていて、「いぇーい!」って入っていける気分になれないときとか、支障が出てしまう場合に、自分のなかでスイッチを入れる工夫をしています。でも、プライベートに関してはなかなか、それが難しくて…。身近にいる人にはそのままの気持ちでいることが多いですね。これも自分の一部なんだからと、うまくつきあっていくしかないと思っています。ただ、仕事でスイッチを入れることが増えてくるにつれて、訓練になって基礎力があがってきている気はします。プライベートでも乱高下も減ってきたんじゃないでしょうか。
だけど、気分の乱高下とはちょっと違うのですが、集中すると人の話が入ってこないところだけは変わらなくて。その部分に関しては、私は私だからと受け入れています。極々親しい友だちにも「ごめん、私には集中するとみんなの話が入ってこなくなってしまうタイミングがあるし、考えが頭の中をめぐっている時は仕事中だから、話しかけないでほしい」と説明しています。
――説明しておくというのは、とても有効な対策ですね。
だから、この本の元になった連載の原稿をスマホで書いている時も「ただスマホを触っているんじゃなくて、仕事中だから」とみんなに言える、みたいな(笑)。
自分が本当にやりたいことをみつけるには
――本の中に出てきた「生きがいの因数分解」ということがとても印象的だったのですが、もう少し詳しく説明していただけますか?
ノートなどの真ん中に主題を置いて、それを
・誰のためにやっているのか?
・自分がワクワクしているのかどうか?
・先入観や常識でやりたいことにストッパーをかけていないか?
というようなことを書いていって、やっていることや、やりたいとおもっていることから余計なものをどんどん排除していくんです。排除して、排除して、それでも残ったものが本当に自分がやりたいことなんじゃないかと思うんです。
そうやって、自分のやりたいことだと思っていたことをどんどん掘ってみたら、実は自分がやりたいことじゃなくて、母がやりたいことだったんだ、親の影響でしたかったんだなどのフィルターが外れていきます。本当に自分がワクワクしているか、それに関連したものに出会ったときに心が躍るかどうかも見えてくる。
そして、特に「本当はやりたいけれど、やれてないこと」に関しては、“一般的に考えて、それは無理だよ”といった固定観念が自分を邪魔をしていないかというのも、因数分解をして削ぎ落としていくことで見えてきますよ。「無理だ」っていう思い込みにがんじがらめになっていたんだなと気づくことができるんです。
自分で自分の体を愛でたっていい
ーー本のなかで、結婚や恋愛についても触れられていますが…。
私は、現行の婚姻制度には思うところがありまして、というより不満があります。
もし選択的夫婦別姓が実現した場合、そういうタイミングがあればいつ結婚してもいいなと思っているんですけど、なかなか実現しない。
基本的には、結婚して、パートナーと私、どちらの姓になっても、私の姓が変わってもいいんですけれど、問題はそこではなくて。結婚をしたら、姓を変えるのが当たり前という前提で、パートナーの従属物になるような、社会の中での扱われ方が私には納得できないんです。結婚しても姓が別であれば、個と個の婚姻関係で平等だとわかりますよね。今現在の制度で普通の結婚をしたら、女性にとってはパートナーの従属物になることというイメージがついてまわります、また家のことを女性がするのが当たり前という固定観念を押し付けられたり、親戚付き合いが強要されたり。個と個が対等な関係で法的に何らかのメリットがあるという状況で結ぶ婚姻関係であれば、したいと思いますけど、今のままの制度ではしたくありません。
――先ほど下着のプロデュースのお話が出てきました。「自己表現を自由にするための何か」ということなら、バービーさんはお洋服のデザインをなさっていた経験もあるし、下着でなくとも、コスメや洋服などの選択肢もあったはずなのに、どうして下着だったのですか?
日本の下着メーカーで作られている下着は、サイズの幅がとてもせまいんです。それが原因で困っている人たちがたくさんいるし、実際、私自身も日本のメーカーのサイズからあふれてしまっていました。合わないサイズの下着をつけているとすごく跡がつくし、それが原因で色素沈着をおこしたりする。悩んでいる人はたくさんいます。
それだけではありません。日本の下着はどうして「隠す」発想で作られているのだろうという思いもありました。下着には、女性として抑圧されていることの象徴のようなイメージがあります。自分で下着を身につけた自分の体に気分があがって、「ひゅー!」ってなれる下着をつけていい。太っている人がそんなことをしたら笑われる、太っているのに自分の体を愛でたら笑われるという空気感も疑問でした。太っていたって、Tバックを履いて、sexyなストラップの下着を身につけ鏡を見て、「私ってsexy!」って思ったっていいじゃない。
今までなかった大きいサイズも、小さいサイズも作って、どんな体型の人にも下着をつけて「ひゅー!」ってなってほしいんだという思いで作りました。自分で自分の体が好きっていっていい。
さっき、この1年で活動や仕事の環境が様変わりしたという話になりましたが、その大きな要因の一つが下着のプロデュースだったなと強く感じています。洋服やコスメではこうはなっていなかったと思います。
もうすぐ下着の第 2弾も制作されます。ここまできたら、突っ走りたいです。みんなに「背中を押された」と言われると私自身がエンパワメントされています。