貧困から自殺未遂をした私から見た、新型コロナが生み出す経済不安と孤独

目に見えないウイルスが蔓延している。だが、もっと充満しているのは「不安」だ。
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Ponomariova_Maria via Getty Images

私はこの不安を経験したことがある

中国で発生した新型コロナウイルスのことが最初にニュースになったのは、昨年の12月末ごろになる。それから数カ月たった今、大変な騒ぎになっており、世界中を不安が支配している。

外出自粛要請が出て、週末のお店は閑散としていて、人が集まるべきところに人がいない。大打撃をくらったのは飲食業だけでなく、観光業やイベント会社、あらゆるところで弊害が出ている。

倒産をした会社もあれば、内定を取り消す会社も現れ、不況の波が世間を襲っている。

私と同年代の人は、リーマンショックのようだとも言い、氷河期時代の再来だという声も上がっている。

今、社会はとても不安定な状況だ。外を歩けばマスク姿の人ばかりだし、ドラッグストアからはトイレットペーパーなどの紙類が消えた。

 

しかし、私はこの不安を経験している。私が短大を卒業した時は、就職氷河期と言われ、仕事が見つからなかった。仕事が見つからない私は実家で数カ月引きこもっていた。その後、東京に出て、なんとか編集プロダクションに就職したが、月給は12万という低さで、日々の生活もままならない。その後、私は貧困から自殺を決意した。大量の薬を飲んだ後、救急車で運ばれて、意識不明のまま三日間過ごした。一命を取り留めたものの、体力は落ち、精神もボロボロだった。私はそのまま精神病院に入院した。

 

「不安だ」と人に話すだけで、ホッとした

精神病院には、私と同じように心を病んだ人がたくさん入院していた。入院した当初は、とても不安だったけれど、しばらくして友達ができ始めた。マリッジブルーで入院したという女の子は、私に親切に話しかけてくれて、自分が好きな劇団の写真を見せてくれた。

「入院していると体力が落ちるから」

そう話す彼女に勧められて、一緒に病棟内を散歩した。あまりキレイとは言えない廊下を二人してただひたすら歩いた。そのうちに私は自分のことを話しはじめた。学生時代、絵を描いていたこと、美大に進みたかったこと、短大を卒業した後、仕事に就けなかったこと。彼女は肯定も否定もせず、ただ聞いてくれた。

そして、私も彼女の話に耳を傾けた。結婚は、女にとっては幸せであるはずなのに、それを喜ぶことができず、不安に打ち震える彼女の語りに耳を傾ける。私たちの語りは、まるで副作用のない薬のようだった。ただ「不安だ」ということを人に話すだけで、ホッとした。

精神病院への入院は決して褒められたものでないかもしれないけれど、私は弱さが集まると強さになるということを学んだ。

 

現代社会では、お金がないということは「死」に直結する

その後、精神病院を退院した後、実家に戻って母と暮らした。しかし、成人してから親と暮らすのは、それなりに苦痛を伴うことだった。再び仕事に就こうとしても、就職氷河期の後はリーマンショックが日本を襲い、高い学歴や誇れる職歴がない私は社会に出ることができなかった。実家での引きこもりが長期化している時、精神科クリニックのスタッフから勧められて、私は実家を出ることにした。30歳の時だった。

 

その後、私は実家を出て、都内近郊で一人暮らしを始めた。家賃4万4000円のアパートはオンボロだったが、私の心は晴れやかだった。自分で自分の世話ができることに喜んだ。生活費は障害者年金と実家からの仕送りだったが、なんとか日々暮らしていた。しかし、その後、父が定年退職を迎えて、送金ができなくなった。

お金がないということは、現代社会ではそのまま「死」に直結する。家を失うこと、米びつからお米がなくなることは本当に怖い。水道や電気だって、通じなくなったら生きることができない。私は通院しているクリニックのスタッフに相談して、生活保護を受けることになった。役所の役人に通帳を全て見られて、財布の小銭まで見せなければならなかったのは辛かったが、生活保護の申請が通った時はホッとした。

 

人間というのは、お金だけで生きているのではない

ギリギリの水準で生きることができるようになったけれど、私はちっとも幸せではなかった。仕事に行かなくても生活できるだけのお金が国から保証されるというのは、働いている人からしたら羨ましいはずなのに、私は毎日寂しくて、悲しくて仕方なかった。人間というのは、お金だけで生きているのではないとその時、気がついた。

 

知り合いのソーシャルワーカーに誘われて、池袋のホームレスを支援している団体を手伝いに行った。今日はみんなで食事を取るので、料理するのを手伝ってほしいと言われたのだ。

東京までの電車賃は決して安くないが、私は池袋まで行った。そして、民家を改造したグループホームの一室で、支援者の人と一緒に豚汁を作った。豚肉を炒めた後、いちょう切りにした大根と人参を放り込み、油揚げやゴボウを入れる。水を入れて煮たったら、手のひらの上で豆腐を切ってザッと入れる。いい匂いがしてきて、お味噌を入れていると、元ホームレスの男性が鍋の周りをうろうろし始めた。きっと待ち切れないのだろう。私はこの場でこうして料理ができることを嬉しく思った。人間に必要なのは「役割」なのだと思う。ゆげを立てる豚汁を眺めながらそう確信した。

豚汁をよそい、炊いた古米を茶碗によそった。古米を食べるのは初めてで、食べたらパサパサしていてびっくりした。その時、ふと、元ホームレスの男性が言った。

「みんなで食べると美味しいな」

たったそれだけのセリフなのに、その言葉には彼の何十年もの苦労が表れている気がした。そして、私もその言葉に深く同意した。そうだ、みんなでご飯を食べると美味しいんだ。しばらく、ずっと一人で食事をしていたので、そのことを忘れてしまっていた。

 

蔓延しているのは、目に見えないウイルスだけじゃなく「不安」

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生活保護を受けていると、人と外食をする機会が限られてくる。単純にお金がないのもあるが、仕事をしていないので、人との関係が絶たれてしまうからだ。人間にとって一番怖いものは孤独だ。孤独はあっという間に人の心を害する。

 

コロナウイルスの騒ぎが始まってから、日々、落ち着かない生活をしている。自分がウイルスに感染していたら、他の人に移してしまうのではないかと思うと気が気ではないし、他の人からウイルスをもらってしまったらどうしようと思う。

経済が回らないことによって、人の心から余裕が消えて、街の中には刺々しい空気が流れている。スーパーから物がなくなり、レジには長蛇の列ができている。みんな不安で仕方ないのだと分かりながら、その場にいるのがいたたまれなくなる。

 

買い溜めはするべきでないと考えているのでしないけれど、ちょうど家のトイレットペーパーが切れた。私は仕方なく、仕事帰りにスーパーに寄った。トイレットペーパーが置かれている棚はガランとしていたが、少しだけ商品が残っていたので、運よく買うことができた。レジで無事に購入した後、止めてある自転車に向かっている時、知らないおばさんから声をかけられた。

「まだトイレットペーパー残ってるの?」

知らない人に話しかけられて、少しびっくりしたが、

「ええ、まだ少しあります」

と答えた。

「あら、そうなのね」

その人は少し微笑んでスーパーに向かって行った。

私はその人の背中を眺めながら、安心している自分に気がついた。目に見えないウイルスが蔓延しているが、もっと充満しているのは「不安」だ。でも、知らない人が話しかけてくれたというだけで、フッとそれが解けた。

東日本大震災の時、被災者にとって一番救いだったのは、給水車の列に並んでいる時にした、たわいもないおしゃべりと愚痴だったという。人間というのは、孤独であったり、人を信じられなかったりする時が一番危ない。こういう時こそ、不安を人と共有することが大事なのではないだろうか。

 

精神病院に入院したときに、マリッジブルーの女の子とお喋りした時や、ホームレスの人たちと食事を取った時、私が安心したのは、同じ時間と場所を共有し、お互いが敵ではないと認識できたからではないだろうか。

不安が尽きない日々だけれど、私は人と人との間に挟まれて生きていきたいと願う。

 

(編集:榊原すずみ