新型コロナで都市封鎖されたニューヨーク州から、日本に届けたい気づき

海外に住んでいる人が注意喚起を促しているのは、日本で被害が最小限に収まってほしいからだ。この想いをギフトだと思って柔らかな気持ちで受け取ってみてほしい。
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筆者提供

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日本では首都・東京が外出自粛を要請した。今もなお賑わう渋谷スクランブル交差点。花見を楽しむ人々。そんな中で世界中で多くの人が必死に何かを伝えようと声を上げ続けている。

 

現在、私が住むニューヨーク州ではほぼ終わりの目処のない外出禁止令が出され、テイクアウトやデリバリーを除き、全てのレストラン、商業施設がストップしている。食料品店、薬局、郵便局やドライクリーニングなど、必要機関以外の営業は原則禁止。緊急でない限り家族や友人と会うことさえ出来ない。多くの人が職を失い、今月の家賃さえも払えない人がニューヨークだけでも市民全体の40%も存在すると言われている。

 

時間に余裕ができてしまった今、私の目には多くの現地ニュースや情報が入り込んでくる。当然不安をそそるものが多い。そんな時画面からふと目線を上げ、心を落ち着かせ、白い壁の一点を見つめながらそっと耳を傾ける、、、、窓から差し込む眩い太陽の光が白い壁に反射する。それと共にいつものように明るくさえずる小鳥たち。たまに通り過ぎる車のエンジン音。絶え間なく飛ぶ飛行機の音。一緒に暮らす住人の足音。違和感を感じるといえば、普段より少し増して耳に届くサイレンの音くらいだろう。いつもとなんら変わりがない。

 

家の中に籠っていると、得体の知れないウイルスに蝕まれている画面越しの街はただのフィクションであり、実際は何も起きてないのではと錯覚するくらいに穏やかな音が私の体に染み入ってくる。

 

そんな中不意に目に飛び込んできた病院の記事。1日に13人もの人が亡くなったという。ベットを待っている間に亡くなられた方も。気になって記事に目を通した。生々しい内部の映像とともに流れるドクターの現場の声。その病院はどこか身に覚えのある地名。いやまさかね..。そう思い私はそっとgoogle mapを開いた。赤いピンは電車で10分もしない場所をさす。縮図されている地図上だとより近く感じる。ぞわっとした。この病院は実在しており、今もなお緊迫した状態が現場で繰り広げられている。私が生きるこの世界はフィクションでもなんでもないのだ。

 

活気で溢れた街はたったの二週間でそれを失い、マスクをする人などいなかった街で人々はマスクで顔を覆い隠し、ビニール手袋をつけ街中を歩いている。誰かが咳をすれば周りの空気が一瞬で凍りつき、徐に口元を隠す人やその場を離れる人。誰もが見えない何かに怯えている。ピリピリとした空気が冷たい風と共に私を包み込む。

 

当たり前に生活していた日常で、
突然に始まり、
告げられることのない終止符。 

 

せめて終わりが見えていればなあ、、
とつくづく思う。

 

連日私のInstagramのストーリーを埋める綺麗な桜やカフェの食事。反して、無地の背景に連なる緊迫感のある文。前者は日常を最大限に楽しむ日本にいる友人、後者は注意喚起を促す留学生の友人のものだ。両者の想いが交差しそうな様子はまだない。

 

正直周囲に海外在住者や留学生のいる人にとって、毎日流れてくるコロナの情報や注意喚起、日本人は意識がなさすぎるという文章はもう飽き飽きだろう。繰り返し危機感を煽られ、stay homeと言われる。日本は実状感染者も少ないし、そもそもパンデミックは海外の問題であり日本はきちんと対処しているではないか。

 

海外に住んでいる人がコロナの現状を訴え、注意喚起を促しているのには理由がある。それは日本で被害が最小限に収まってほしいからだ。少なからず私はそういう想いで情報を届けている。その情報通りを硬く捉える必要はない。けれども、この想いをギフトだと思って柔らかな気持ちで受け取ってみてほしい。各国から発信される情報を日本語に訳し、伝えようとしている人がたくさんいる。長い記事を訳し要点を絞るのは労力がいる。その手間をかけてあなたに伝えようとしている。日本から離れた自分たちの経験で大好きな日本を救えるのなら、と。

 

この先日本でパンデミックが起こると想定している人も多い。だが、日本がどうなるかなんて誰もわからない。平穏に過ぎ去るかもしれない。だから私は情報をシェアすることはするが、アメリカがこんな状況だから日本で生活している人に「こうすべきだ。」とは言わない。自分の場所で何も起きていないのにどうにかするなんてできっこないからだ。危機感は実際に何かが起きないと生まれないものであり、何も起きていない現状で未来を予測し、周りに流されずそれを維持するのは難しいものだ。特に集団意識の強い日本人は、周りの人と異なる行動をする事を無意識にも敬遠しがちだ。それに誰かの意識を変えることはかなり難しい上、時には押し付けになってしまいかねない。

 

そこで私は“Awareness(気付き)”を持つことについてお話ししたい。  これは私の最近好きな言葉でもある。流れてくる情報に目を向け、現状を知り、何かに気付くことで、ひとりひとりの意識を変えることはできると思うのだ。

 

辞書の中ではこのように定義されている。”気付きとはそれまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知ること” 

 

気付きは見えるものでもないし、感じ取れるものでもない。他者から与えられた情報によって自然と自分の中に生まれ出てくるものなのだ。気付くことでそれからの意識が変わり、選択肢が増え、行動に移すことができる。行動するかしないかはもちろん自由だ。If you are aware then this will give you knowledge and if you have knowledge then you know what you need to do to and the direction you need to go to make changes to improve and be successful. つまり、気付くということは小さな一歩であり、まさしく大きな一歩なのだ。

 

だから今できることは、スマホを少し覗けば流れてくる情報から得たawareness(気付き)をこれからのために大切に保管しておくこと。それは必要な時に、自分のため、家族のため、大切な人のために自分の懐から出せるようにするためだ。あのドラえもんもポケットの中にはたくさんのツールを持っていて、のび太くんが必要な時に必要なツールを取り出している。そんな感覚で、自分の中に貯蓄した気づきを必要な時に掴み出すことができれば、それは私たちを救う救世主ともなってくれる。多種多様のツールを持てば持つほど選択肢は広がり、より最適なツールを手元に出すことができる。

 

気をつけなくてはいけないのは、画面上に存在する情報全てが全て事実ではないということ。多くの情報を拾い集めることはもちろん大切だが、情報を鵜呑みにするのではなく、取捨選択をし、見極めようとすることが必要不可欠だ。「常に疑いの目を持つ。」そうやってうまく情報と向き合うことで、より質の高い”awareness(気付き)”を増やすことができる。

 

日本にいる方にとって、今世界で起きている事実は受け入れがたいと思う。現地に住んている私でさえ部屋に籠っていれば、いつもと同じ日常を生きていると勘違いしてしまうほどだ。だけど情報を得ることで、知らない間に蓄えられた”awareness(気付き)”が必要なときに自分を救ってくれるかもしれない。私もそういう人間になりたい。

 

つらつら書きましたが、最後に気づきのための情報の一つとして見て欲しい動画を載せておきます。

今立ち止まってくれたあなたに、少しでもニューヨークに興味のあるあなたに、、

 

これは先日、ニューヨーク州知事がSNSに載せた動画。

 

あなたにとってニューヨークは、地球の反対側にある単なる都市かもしれない。でも、今ここにいるからこそ私は伝えたい。自分の肌で感じたものを伝えたい。大勢の観光客で賑わうあのタイムズスクエア、光り輝く数々のブロードウェイの劇場。眠らない街と言われるニューヨークの今を。

 

緊迫したニューヨークの現実だけではなく、どれだけの人々が困難に立ち向かい、この状況を切りぬけようとしているかという奥の姿がこの2分間に凝縮されている。

 

 

余談(あとがき)

今のニューヨークの現状を感じ、止むを得ず日本に帰っていく周りの友人の背中を見て、私はもうニューヨークを出ようかと何度も考えた。けれど最後に載せた動画を見て、クオモ州知事の言葉を聴いてどこか心が救われた。原稿を持たず真っ直ぐと力強い目で語られる、敬意の気持ちと意志の強さを感じる彼の言葉。これだ。これが私の知ってるニューヨークだ。そう思った。だからもう少しニューヨークに居座ろう。信じてみよう。応援しよう。そんな気持ちになった。

私はその想いと共にInstagramにこの動画を投稿した。するとたまたま私の投稿を見てくださったニューヨークで美容師をしている方がコメントをしてくださった。その方は今月日本行きのチケットをまだ持っていて、日本に帰るか残るか悩んでいたらしい。だけど、大好きな街、大好きな人たちとこの大変な時期を乗り越えたいと思いニューヨークに残ると決めたことを綴ってくれた。彼は仕事ができるようになったらニューヨークの人達に自分は何かできないかと考えていると。

そして、私の文章を読んで心が動かされたと言ってくれた。彼は私がnoteをやっている事を知らない。なのに私の想いをただただ連ねた文章を褒めてくださった。私の文章で何かを感じ取ってくれる方がいるのが嬉しかった。その方はこれから自分ができる事を今考えている。それでは今私にできることは何なのだろう。もしかしたら自分の想いを文章で届けることも今私にできることなのかもれない。ふとそう思った。それが今回この記事を書こうと思ったきっかけである。

 

長い文章ご一読くださり、この記事に出会ってくださりありがとうございました。

 

 

Special thanks to https://twitter.com/djbaasnyc

(動画の日本語訳をしてくれました)

 

(2020年3月27日のemukoさんのnote掲載記事「都市封鎖された街から日本へ届けたい - awareness(気づき)-」より転載。)