母に嫌われていた娘の後悔。「母に自由をあげられなかった…」

母は、「あなたを産んだことは後悔していない」と言う。けれど、彼女の人生を壊したのは私なのかもしれない。
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kohei_hara via Getty Images

自分の人生を否定することはできない

「お母さんとお父さんは仲が悪いかもしれないけど、あなたを産んだことは後悔していないからね。これは、本当だから」と言われたとき、私はそんなの絶対に嘘だと思った。

 

そんなことを言われても、私が喜んだりするはずなんてないのに、そんなドラマみたいな薄っぺらい台詞、本当に口に出す人なんているんだ。そりゃあ、後悔はしないだろう。3人の子を産み、育てたことは母にとっての自分の人生の重要な一部だ。長子である私を否定することは、自分の生活や人生すらも否定することとなる。後悔なんてできるはずがない。

父と出会っていなかったら、父と結婚していなかったら、私が生まれる前に離婚をしていたら、生まれてくる子どもが私ではなかったら。たくさんの「もしも」のなかで、別の選択肢を選んでいたとしても、きっと同じことを言うんだろうな。誰だって、できれば自分の築き上げてきた生活を肯定したいのは同じだ。

 

今では、遠い存在の人となってしまった母

私は、父に対して明確な恨みの気持ちを持っている。私と母に対して日常的に暴力を振るっていたこと、長い間ずっと不倫をしていたこと、家族の保険を勝手に解約し自分で使っていたこと、株に失敗して借金をしたこと、そして最終的に生活費を一切家に入れなくなったこと。ひとつひとつは些細なことかもしれないが、積み重なるうちに私たち家族という形を壊していった原因は父にあったと思う。例え今後父にどんなことがあろうと、今のところ許す気はない。

 

では、母はどうなのだろう。3年前に実家を出て、現在は別々に暮らし、会いに行くこともない。連絡を取ることも稀だ。母は私を近くで見ていた、最もよく知る人であるはずなのに、今では話の通じない遠い存在の人になってしまった。

何か注意をすれば「あんたは母親に注意できるくらいできた人間なの?」と言われ、喧嘩をすれば大声で嫌味を言われ続ける。そして、「やめて」と言えば、「聞こえるように言ってるんだけど?」と言われてしまう。口論になればいつもまったく関係のない話を持ち出し、私が謝らない限り話の軸がブレ続ける。

要は、母のなかでは自分が常に正しい存在であり、私は自我の確立していない子どものままなのだ。自分の欠点を認め、謝ってもらった記憶がない。私は、母のことを好きなんだろうか。それとも、嫌いなんだろうか。それすらも、よくわからない。でも、今はただ少し距離を置いていたい。

 

私を「ブス」を言う母。嫌われていると思っていた

家庭に入り、出産し、家族を作ることが女の幸せだと多くの人が信じていた時代を生きた母は、23歳で父と結婚をした。結婚したら当たり前のように寿退社をするものだとされていたのに倣って、母も仕事を辞め専業主婦になり、7歳離れた妹が小学校に入るまでパートに出ることもなく、家事や育児に精を出していた。

「家に誰もいない」という環境とはほとんど無縁で、学校から帰るといつも母がいて私を出迎えてくれた。その時に少しの嬉しさを覚えた記憶がいまだにある。

 

その一方で、私はずっと母に嫌われているのだと思っていた。「ブス」と言われることが常だったし、しつけという名のもとに毎日叩かれていた。そのため、いつも母の顔色を伺いながら、怒られないよう、叩かれないよう、細心の注意を払って生活していたことを覚えている。

今でも、ふとした瞬間に、人の手が頭の位置に振りかざされると身構えてしまう。具体的にどんなことで怒られたのか、どうして私は毎日のように叩かれたのか、ほとんど覚えていないのに、身体にははっきりと記憶が染みついている。皮肉なもんだなと思う。

 

風邪をひいても家事を休むことが許されなかった母

私の容姿が醜いから、母は私に対してずっと怒っていたのだと思っていた。(今思い返せば、子どもなのだから当然ではあるのだが)言われたことがすぐにできず、他の子や弟・妹と比較してどん臭くて何の取り柄もないから、叩かれて当然なのかもしれないと、幼い私は考えていた。

 

当時の母が、実際にどう思っていたのかはわからない。けれど、私も大人になり、子どもがいてもおかしくない年齢になった。まあ、実際は結婚にも出産にもまったく縁のない生活をしているのだが、年を重ねた今振り返ってみると、母は私が憎かったわけでも、怒りたくて怒っていたわけではないのではないか、と思うのだ。

 

実家から離れ、親族や友達、誰も知り合いのいない地で、たったひとりで子育てと家事をしなくてはならなかった母。毎日必ず手料理を食卓に並べ、幼稚園や学校で使うトートバッグや防災頭巾、巾着には手の込んだ刺繍が入れられ、必ず手づくりであった。父は、典型的な亭主関白で、家事をしている姿をほとんど見たことがない。子どものおむつすら替え方のわからない人だ。父の意にそぐわなければ拳が飛び、気分転換に子どもを置いてどこかへ出かけることも、風邪を引いたときに家事を休むことすら許されなかった。

今、思い返しても、母には子育てに紐づかない趣味がなかったし、友達もママ友やご近所さんくらいしかいなかったように思う。

 

毎日、ひとりで何を考えて生きていたんだろう

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John Encarnado / EyeEm via Getty Images

振り返ってみると、母はどこで気分転換をしていたのだろう。毎日、ひとりで何を考えて生きていたんだろう。母には、母親として妻としてではなく、ひとりの人間として振る舞える瞬間が、少しでもあったのだろうか。

 

当時、幼い私を憎く思っていたのか、子どもを叩くときの心境はどのようなものだったのか、私には理解できないし、尋ねようとも思わない。けれど、息抜きができる瞬間がなく、逃げ場もないまま、誰にも本音で相談できずにたったひとりで子ども3人を育てなければならないとしたら、少しずつ感覚がおかしくなっていったとしても無理はないのではないか。

 

それでも「子どもを産んだことは後悔していない」と母は言う。けれど、彼女の人生を壊したのは私なのかもしれないとふと思うことがある。専業主婦になり、子どもがいるからこそ、父とは離婚ができなかったし、自分の好きなように生きていけなかったんじゃないか。もし、私が母に何か気づかせてあげることができていたら、誰かに助けを求めることができたのであれば、当時の母も私ももっと息のしやすい生活ができたのかもしれない。そんな風に思うことがある。

 

母への罪悪感と後悔

大人になってから母に抱く印象は、子どもの頃見ていた姿とは異なる。時代や性別、社会、自分を取り巻くさまざまな価値観や環境に少しずつ押しつぶされてしまった人。誰と結婚しようが、子どもがいよういまいが、周りなんて関係なく自分らしく生きてもよかったはずなのに、色々な「普通」や「常識」に振り回されていた人なのではないだろうか。

 

「もしも」なんて存在しない。過去を振り返り、後悔したって意味がない。でも、子どもとして、母に自由を与えてあげられなかったことは私の大きな後悔であり、娘として母に対して罪悪感を持つ理由のひとつでもある。

(編集:榊原すずみ