戦後70年目企画 糸満を歩く

沖縄県糸満市では、毎年6月23日に県営平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が催されている。私は「6月23日」ではないが1度この地に足を踏み入れ、「戦争を2度と起こしてはならない」という思いを心に刻んだ。
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沖縄都市モノレール美栄橋駅。運賃表は"地元名所下車駅"のシールが目立つ。

沖縄県糸満市では、毎年6月23日に県営平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が催されている。私は「6月23日」ではないが1度この地に足を踏み入れ、「戦争を2度と起こしてはならない」という思いを心に刻んだ。

■路線バスは前乗り前降り

2006年8月22日、私は那覇市の宿で目覚めた。雲はあるものの、快晴で暑くなりそうだ。

8時30分に宿を出て、国道58号線やそうでない道路でもクルマが多い。那覇市では毎月1・20日に「ノーマイカーデー」を実施しており、公共交通機関の利用などを呼び掛けていた。

街を歩くと、歩きながら煙草をふかす男性を見かける。健康増進法が制定されて4年たつのに、那覇市は路上喫煙禁止ではないのだ。8か月後の2007年4月1日から「那覇市路上喫煙防止条例」がスタートし、身近な"公害"を追放した。

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那覇バスターミナル。

沖縄都市モノレール(以下、ゆいレール)の美栄橋駅へ。3日乗車券を購入したあと、那覇空港行きに乗り、旭橋へ向かう。ここは那覇バスターミナルに直結し、路線バスの大群は壮観だ。気になるのは、高齢者が多い地方なのに、ノンステップバスが導入されておらず、新車らしきバスも見えない。どう見ても、"ひと昔前"の車両が多い。

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初めて沖縄県の路線バスに乗る。

沖縄バス運行番号34番東風平線(こちんだせん)の糸満バスターミナル行きに乗る。前乗り前降りの整理券方式で、中間のドアには1人掛けの座席が設置され、ふさいでいる。この車両は明らかに中古車だとわかる。

那覇バスターミナルを発車し、古波蔵(こはぐら)から国場にかけ、にわか雨に見舞われた。その後、那覇市を抜け、始発からの運賃が上がりだす。

山川を過ぎると、運転士はお客に声をかける。声をかけることができるほど空席が多く、乗客は5人以下だ。

運転士によると、途中で通行止めの道路があるため、東風平三又路停留所を通過し、う回するという。口調は『ゆがふ』の店長そのもので、"『ちゅらさん』の世界と同じさぁー"で嬉しい。

私は終点まで乗ることを告げ、バスは宅地から畑に入る。通行止めのため、う回路となり、車窓にはさとうきび畑が見え、"♪ザワワン、ザワワン、ザワワン♪"の雰囲気にひたる。

バスは本来の道に戻り、再びさとうきび畑を快走。大里を過ぎると、集落へ。クルマの量も多くなってゆく。

「お客さん、バスターミナルでいいんですか?」

「ハイ」

いつしか乗客は私だけとなり、運転士は下車する停留所の再確認をする。予想すらしていない出来事でも私は適当に答えた。初めて行く糸満、しかも、路線バスのルート以外はほとんど調べておらず、"終点糸満バスターミナルまで乗ればなんとかなる"と思っていた。

終点糸満バスターミナルに到着し、運賃500円を支払う。下車後、デジカメ(コンデジ)を忘れたことに気づき、あわてて取りに行く。運転士でも見つけづらいところに"放置"してしまい、情けない。

糸満バスターミナルは那覇バスターミナルほどの規模はなく、営業所のような感じ。その先は東シナ海だ。

■停留所以外でも乗車可

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国道331号線豊見城・糸満道路(西海岸道路)は、那覇市への新ルートを開拓した。

糸満バスターミナル手前の糸満市役所入口停留所では、国道331号線豊見城・糸満道路(西海岸道路)の工事を行なっていた。現在は開通し、那覇市までクルマで約15分という"近道"となった。

糸満市役所入口停留所から琉球バス(現・琉球バス交通)運行番号82番玉(ぎょく)泉(せん)洞(どう)行きを待つ。全然下調べもせずに旅立ち、不安もあったが、さいわい1時間に1本の割合で運行していた。路線によっては数時間おきに1本の運行もあるらしい。

「どこ行きます?」

糸満市役所入口停留所で、おじいちゃんが声をかけてきた。

「平和祈念公園ですけど」

「それなら港川へ降りたほうが」

と勧められるが、初めて足を踏んだところなので、チンプンカンプン。さいわい、玉泉洞行きのバスは港川という停留所へ行く。

停留所名がわからないので、「ちょっときいてみます」と言って、糸満バスターミナルに引き返したら、運行番号82番玉泉洞行きがやって来てしまった。さいわい、私がちゅうしょしていることに気づいた運転士は気をきかせたのか、タクシーみたいに停留所ではないところに止まり、ドアを開けた。なぜか知らないオヤジ(タクシードライバー?) からもらったパンフレットで、運転士に平和祈念公園の最寄り停留所を尋ねる。

「行きますよ」

ということで乗車。"どこからでも乗れる"というウワサは本当だった(路線バスは普通、停留所以外では乗せてくれない)。ちなみに糸満市役所入口停留所では、おじいちゃんは乗ってこなかった。違う行先の路線バスに乗るようだ。

糸満市にも小波蔵(こはぐら)があり、国道331号線を淡々と走る。その先はさとうきび畑が多くなってゆく。

11時近く、バスは平和祈念堂入口に到着し、下車。糸満市役所入口で声をかけられたおじいちゃんの言っていることを信じていたら、大変なことになっていた。

■平和の丘彫像をくぐる

横断歩道を渡って、平和祈念公園へ。思った以上に観光客は少なく、閑散としており、静かな雰囲気だ。路線バスの本数が少ないせいか、駐車場の増設工事が行なわれていた。

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これから時計塔を越え、平和の丘彫像へ向かう。

炎天下の中、おじさんとおばさんが清掃に励んでいる。地図を見ると、迷路のような感じを受け、時計塔が"入口のシンボル"を主張する。

時計塔より目を引くのは平和の丘彫像で、式典会場も兼ねているところだ。青々とした空に広々とした道は、"ここは日本ではない、ヨーロッパだ"という雰囲気を感じさせる。

式典会場まで、石でできた道の両サイドには"天然芝のじゅうたん"と花壇(かだん)があり、花は赤と黄が綺麗に色づき、温暖な土地柄のせいかイキイキしている。東京だったら、どう映っているのか。

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平和の丘彫像。

平和の丘彫像付近で立ち止まる。階段を登ればいいのか、下にもぐればいいのか、ちょっと悩む。とりあえず後者を選択しよう。

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平和の丘彫像の下は、光が差し込む。

平和の丘彫像をもぐると、中はなにもない。防空壕(ぼうくうごう)をイメージしたのだろうか。琉球新報によると、自然壕をイメージしたという(詳細は下記の引用参照)。私はその記事を見て、「自然壕イコール平和」、「防空壕イコール戦争」という図式を思い浮かべた。

安定感のあるフォルムは平和の丘は「揺るぎない誓いの精神」を表現したという。黒御影石製のアーチは平和のくさびで、彫像の中心には琉球石灰岩の要石を沖縄に見立てて配置した。下層部はガマ(自然壕)をイメージ。奥に進むと天井から「平和の光」が差し込む造りになっている。

出展:琉球新報ホームページ「『平和の丘彫像』完成/平和祈念公園」

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振り返ると、自然豊かな景色が印象に残った。

今度は上へ登ると、見晴らしがいい。式典会場の広さは、広島市の平和記念公園を上回るのではないかと思う。

■平和の礎(いしじ)

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平和の礎。

場所を平和の礎に移動する。今回の旅で1番立ち寄りたかったところだ。

早速、平和の礎の建設趣旨を御紹介しよう。

私たち沖縄県民は、去る沖縄戦などで貴(とうと)い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を後世に正しく継承するとともに、沖縄の歴史と風土の中で培(つちか)われた『平和のこころ』を広く内外にのべ伝え、世界の恒久(こうきゅう)平和を願い、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して、ここに『平和の礎』建立(こんりゅう)する。

1995年6月 沖縄県

出展:平和の礎

平和の礎は国籍、軍人、民間人を問わず、沖縄戦で亡くなられた、すべての方を対象に刻銘され、悲劇と惨劇を2度と忘れない。戦争は永遠に参加しないことを誓う証でもある。このほか、1931年9月18日に勃発した満州事変から、1945年9月までに戦死や病死をされた方、戦争が原因で終戦後、1年以内に亡くなられた方、被爆者も対象で、出身地は問わない。

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2013年5月時点、刻銘された人数は24万1,227人で、内訳は日本人22万6,655人(沖縄県出身者14万9,291人、46都道府県出身者77,364人)、外国人14,572人(アメリカ人14,009人、イギリス人82人、台湾人34人、朝鮮人82人、韓国人365人)だ。

平和の礎は、いくつもの石碑が並んでいた。国別、各都道府県別に刻銘されているのだ。場所がわからない人のために、タッチパネル式の検索コーナーを設けている。検索コーナーは建物内にあり、空調設備はないものの、炎天下での熱中症やコンピューターが故障しないよう、それぞれに配慮している。試しに適当に検索すると、詳細に案内されている。プリントアウトもできるし、英語、中国語、韓国語にも対応している。

石碑は沖縄戦で亡くなられた、すべてのお名前が刻銘されているだけあって、文字がギッシリ詰まっており、戦争の恐ろしさを肌で感じる。1995年から刻銘を開始し、今まで多くの人々が沖縄戦を経験していたのだ。私は靖国神社の『遊就館』を思い出した、実際に沖縄戦で使用された兵器を展示しているからだ。

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平和の礎の"相棒"は、モモタマナ。

平和の礎には戦争の重々しさをやわらげるかの如く、モモタマナという木が246本植えられている。見た目はガジュマルの樹と勘違いしそうだ。ウチナンチュ(沖縄県民)では、モモタマナを「クヮーディーサー」と呼んでいる。

一部の石碑は、将来の刻銘に備え空欄としている。もし、日本国憲法第9条が本当に改悪されてしまったら、刻銘は永遠に続く恐れがある。政治家のくだらない憲法改悪に庶民が立ち向かい、太田光の言う、「憲法9条を世界遺産に」という趣旨に賛同し、登録申請に向けて、激しく活発的に動くべきだ。総理大臣などは原爆の式典や、平和祈念公園の沖縄全戦没者追悼式に参列しているが、これからは日本国憲法第9条を変えようとする政治家などは、断固として参加を拒絶すべきだ。

なお、平和の礎は慰霊碑ではないので、線香や焼香は御遠慮願っている。

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平和の広場の先には、青々とした太平洋が広がる。

さて、平和の礎の先では、光り輝く太平洋が見える。青々としたいい海だ。石の椅子は"てぃだ(太陽)"の熱で、油をひけば肉が焼けると思う。カンタンに言えば坐れない。暑くて体は汗ダクのなか、さわやかな景色は癒しになる。

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沖縄そば。

寄進箱に小銭をいくらか入れて、平和祈念公園内の食堂で昼食。沖縄そばをとる。近辺にコンビニエンスストアはなく、食堂が頼みの綱だ。せっかくこの地へ足を踏み入れたのだから、その土地の食をとりたい。

かつおだしのスープ、かまぼこと肉が入っており、オプションとして、紅しょうがを添えてきた。だが、牛丼と同様に紅しょうがは好まないので、使わなかった。

■ひめゆりの塔

平和祈念堂入口停留所に戻る。私は腕時計を見たら、"乗り遅れたぁー"とあきらめて、歩きを決断しようとする矢先、琉球バス運行番号82番糸満バスターミナル行きが到着した。お客が数える程度なのに定刻より数分遅れていたのが不思議だ。

姫百合の塔前で下車。バスの1日乗車券を売っていないので、280円を払う。向かうはひめゆりの塔で、観光客が多い。入口では若作りをしたオバサンが献花(200円)の購入を呼びかけていた。

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ひめゆりの塔。

ひめゆりの塔は沖縄戦末期の激しい戦闘で、ほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑だ。1946年4月7日に除幕した。

慰霊碑の名称は、当時第3外科壕に学徒隊として従軍していた、ひめゆり学徒隊にちなむもので、「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」、沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」を組み合わせた言葉である。元々は「姫百合」だったが、戦後、ひらがなで記載されるようになった。

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伊原第三外科壕。

ひめゆりの塔は高さ数十センチほど。短いのは、終戦直後の物資難な時代にアメリカ軍統治下に建立されたからだという。その奥には伊原第三外科壕があり、よく知らない人は、「これがひめゆりの塔なんだ」と勘違いしそうだ。

私は購入した献花をたむけ、犠牲者の御冥福をお祈りする。2度と、こんな戦争を起こしてはならないし、参加してもいけない。この日は対馬丸が鹿児島沖で、アメリカの潜水艦に2発の魚雷が直撃。沈没して62年が経過した。ひめゆりの塔がにぎわっていたのも、対馬丸のことが頭にあるのだろう。

対馬丸は悪天候の中、長崎に向かっていたという。老人、女性、子供らが乗船して、疎開しようとしたが、第2次世界大戦の巻き添えを食ってしまった。鹿児島には離島が点在するものの、海で事故が起こってしまったら、逃げ場がない。船の弱みにつけ込んだ対馬丸事件は話を聞くだけで腹が立つ。

■糸満市内で旅行貯金

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糸満市の珍百景。

ひめゆりの塔を出て、徒歩9分、米須停留所から徒歩30秒の米須簡易郵便局で通算775局目の旅行貯金。簡易郵便局は日本郵便と契約を結んだ民間人が業務を行なっているもので、全国に約4,000局存在する。

旅行貯金後、コンビニエンスストアに駆け込んで飲料を求める。なぜか紀文の豆乳は東京より約10~20円高いのが目につく。沖縄県は物価が安い印象を持つからだ。ここでは、500ミリリットル缶のポカリスエットを購入。あまりの暑さで一気飲みした。

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鎮魂(ちんこん) 久留米久土海上挺身隊(ていしんたい)十五柱霊位。

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ひむかいの塔。

近辺にはプロ野球のキャンプ誘致を呼びかけるカンバン、安全運転をうながすカンバン、『鎮魂(ちんこん) 久留米久土海上挺身隊(ていしんたい)十五柱霊位』や『ひむかいの塔』(宮崎県の慰霊の塔)がある。いずれも沖縄戦に参戦して亡くなられた方の御冥福をお祈りするもので、糸満市にはそういった慰霊塔が多い。すべての慰霊塔にまわることはできなかったが、"戦争を2度と起こしてはならない"という強いメッセージが伝わった。私はデジカメをメモ代わりに撮影しながら、戦没者の御冥福をお祈りした。観光地や『ちゅらさん』の印象が強い沖縄県だが、深い悲しみを乗り越えなければ、現在の隆盛(りゅうせい)があることを忘れてはならない。

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姫百合の塔前停留所とガジュマル。

姫百合の塔前停留所に戻ると、暑くてバテバテになりそうな気分なので、ガジュマルの樹の下で休む。ギラギラと輝くてぃだからしのぎ、心地よい涼しさに自然風のよさを感じる。いつまでもガジュマルの樹の下で休んでいたい気分だが、立ちっぱなしというわけにもいかず、14時23分発の琉球バス運行番号82番糸満バスターミナル行きに乗る。当然のことながら、バスのほうがもっと涼しい。

途中、パープルの軽自動車が交差点でもないのに止まっていたので抜くと、なんと運転席に坐っているオバサンはケータイで通話していた。運転中の通話は道路交通法違反になることをわかっているのはいいとしても、道路上に止めてまでするものか? ケータイに標準装備されているドライブモードの周知率が「低い」と感じさせる光景でもある。

糸満郵便局前で下車。240円を支払い、徒歩30秒のところにある糸満郵便局で通算776局目の旅行貯金。局名印は2種類あり、追加貯金するカタチでいずれもいただく。

今度は歩いてロータリーを右折し、新島停留所からすぐのところにある糸満新島郵便局で通算777局目の旅行貯金をした。

■ちゅらさん運動

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ちゅらさん運動のカンバン。

熱いアスファルトの上を歩き、クタクタ。途中、『ちゅらさん運動の日』のカンバンに足が止まる。

『ちゅらさん運動』とは、「県・事業者・県民が横の連携を強化し、安全なまちづくりに関する取組を促進して、犯罪のない安全・安心な沖縄県を目指します」を目的に2004年4月1日から施行している。スローガンは下記の通り。

1.ちゅらびとづくり

地域防犯リーダーの育成、地域あいさつ運動の励行、少年の健全育成、少年が被害に遭わないための活動、少年の居場所づくりを推進。将来を担う、子供たちの健全な育成をはかる。

2.ちゅらまちづくり

学校、通学路、道路、公園、駐車場、共同住宅、特定小売店舗における防犯対策を強化し、安全・安心な環境を確保する。

3.ちゅらゆいづくり

推進体制の整備、犯罪情報の提供、安全マップの作成、防犯パトロールの実施、犯罪被害者などに対する支援をはかり、地域の連帯とユイマール(人々の結びつき)を取り戻す。

『ちゅらさん運動』では、現在も「5つのかける」を心がけている。

1.いつも犯罪について「気にかける」

2鍵をかけたか施錠について「手間をかける」

3.いつでも「鍵をかける」

4.防犯装置・器具に「コストをかける」

5.外出の際には隣近所に、そして不審者や不良少年に「声をかける」

私はいつも「2」「3」を毎日欠かさずやっているが、地域によってはカギをかけないところもある。例えば、離島だと定期航路が命綱のため、運航が終了すると孤島と化す。観光客がやって来るとはとうてい思えない島、宿泊施設のない島で航路の運航時間外にいる人は、"不審者"に見えるらしい。

さて、私は涼を求めて糸満市役所に駆け込み、ソファーに坐ると、倒れこみそうになる。かなり体力を消耗した。頭がフラフラで、しばらく立てなかった。

■航空自衛隊と那覇空港

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糸満の海。穏やかな波は癒しとなる。

気力をふりしぼって立ち上がり、糸満の海を見よう。

糸満市役所の近くに海辺のヒーリングタウン潮崎があり、売っている土地も多い。近くに人工ビーチがあり、白い砂、青々とした海、サンゴのかけらもある。夏だと子供たちはビーチで砂遊びや泳ぎもするのだろう。水の事故には注意したい。家でテレビゲームばっかりやっているよりかは健康的だ。

糸満バスターミナルに戻ると、隣の糸満自動車教習所の実技教習車が続々戻ってきた。コバルトブルーの色をした実技教習車は、指導員の指示なのか、横断歩道付近で止まり、歩行者を渡らせていた。

17時30分発の琉球バス運行番号89番航空隊前経由、那覇バスターミナル行きに乗る。往路とは別ルートで、途中、熟年女性が手を挙げると、停留所でないところでも運転士は乗車を受け付けていた。他の都道府県では、そこまで柔軟な対応をしないので、いいサービスだ。また、ウチナンチュは法定速度をキチッと守り、前方に車が見えなくてもスピードは出さない。

途中、ゆいレールが見え、目測を誤って赤嶺駅を通り過ぎ、航空隊前で下車。運賃は430円ですんだ。

航空自衛隊那覇基地は、那覇空港の東側に隣接している。滑走路は那覇空港と共用している部分もあり、様々なヒコーキが離着陸するので、ヒコーキファンにとっては"胸がときめく空港"だと思う。近くには海上自衛隊那覇航空基地、陸上自衛隊那覇駐屯地があり、那覇空港の周辺は様々な自衛隊が集中している。

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航空自衛隊の人々は、歩道の両端でゴミ拾いに励む。

さて、航空自衛隊の人々は歩道でゴミ拾いをしていた。そういえば、糸満市役所でも職員がゴミ拾いをしており、"ちゅらまちづくり"に一生けんめいだ。

■那覇空港の夕焼け

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日本最南端の駅、赤嶺。隣の那覇空港も日本最西端の駅だ。

ゆいレールの赤嶺は、日本最南端の駅で(北緯26度11分36秒)、駅前広場に記念碑がある(開業1年後の2004年夏に設置)。勝連トラバーチンという石材を使用し、台風に耐えられる強度で製作された。

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ゆいレールの駅では、エレベーター、エスカレーターを完備しているが......

さて、ゆいレールは那覇市の要所を結んでいる。しかし、高齢者の利用が思ったほど伸びず、高齢者乗車促進運動を行なっていた。全駅とも高齢者や身障者が気軽に乗れる構造となっているものの、全駅のホームは高い位置にあるため、ためらう高齢者が多いのかもしれない。

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2,000円札は2000年に登場したが、普及する気配もない。

このほか、多くの駅では、平和希求紙幣2,000円札の利用促進、男性にも日傘のススメといった案内もあった。

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男性がパラソル(日傘)を使うのは、ゴルフの試合やテレビ番組ロケが多い。

日傘は"女性のファッション"と思われがちだが、男女に関係なく熱中症の予防にも役に立つという。あとは男性普及率が向上するか。私みたいに"男らしくない"ことを嫌う人は多いだろうから。

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ゆいレール那覇空港行きに乗り、終点へ。日本最西端の駅(東経127度39分8秒)で、こちらも2004年夏に記念碑が設置された。

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海に沈む夕焼けは、「魅了」の一言に尽きる。

空港内の@stationでインターネットをしたあと、那覇空港の夕焼けを見る。どこへ行っても夕焼けは綺麗だ。夜明けと夕焼けはカンゲキを高揚(こうよう)させる。

日が沈んだあと、晩メシ。そのお店は芸能人のサイン展示が多い。

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ソーメンチャンプルー定食。

私は念願のソーメンチャンプルーを食べる。そうめんの炒めもので、そうめん、もやし、なっぱ、にんじん、豚肉が入っている。ほかに「ジューシー」という炊き込みごはん、おすいものなどの定食をいただく。

ゆいレール首里行きに乗り、進行方向左側の展望席に坐る。車両の運転席は右側にあるので、左側が見やすいのだ。

「客室からの光が反射するため、カーテンを下ろさせてもらってもよろしいでしょうか?」

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運転士は、左右の展望席に坐るお客に理解を求めた。業務に支障をきたしてはいけないので、私は「ハイ」と即答。夜になると、乗務員室と客室の仕切り窓は、すべてカーテンが下ろされる。

宿の最寄り駅、美栄橋で下車。夜の国際通りは相変わらずにぎわっており、東京の歓楽街とは遜色がない。

★備考

・県営平和記念公園ホームページ「平和の礎」

・沖縄県ホームページ「『平和の礎』刻銘者数」