上記の続きとして、少子高齢化にまつわる文脈やお国事情の違いを意識しながら、まとまりの無いことを書いてみる。
宗教や民主主義などもそうだが、ある思想やシステムを別の国に移植すると、移植元の国と移植先の国の違いによって齟齬や変質が生じるのが世の常だ。少子高齢化の問題も、そうした齟齬や変質を含んでいるようにみえる。
欧米でみられた少子高齢化のトレンドは、高度成長を終えた1970年代の日本にも到達し、その後、台湾や韓国、中国などが後を追った。欧米的な価値観・社会システム・経済成長・教育の高度化などと密接に結びついた少子高齢化は、もはや一部の先進国だけのものではない。
諸国の状況をみると、少死高齢化の土台になっているであろうファクターもまた、順調に広がっている。東アジアの国々でも、経済の成長や教育の高度化はそれなり進んでいるようだし、多少の問題はあるにせよ、個人主義も定着しつつある。結構なことだと思う。
ただし、こうした少子高齢化は「いつでも余所から移民を導入できる準備と覚悟のできている国」と「余所から移民を導入する準備と覚悟のできていない国」では蒙る影響がかなり違う。
例えばアメリカ合衆国。
アメリカは移民で成立してきた。現在でもそうだ。単純労働を請け負う人達ばかりでなく、高度な研究者も海外からやって来て、それが国の原動力となっている。アメリカの場合、非ヒスパニック系白人の出生率は大抵の先進国よりも高め*1だが、アメリカ全体の出生率を牽引し、人口動態を支えているウエイトとしては、最近移民してきた人々と、その子ども達が無視できない。
そんなアメリカにおいて、中産階級の世代再生産は日本ほど優先順位の高い案件ではない(もちろん放置できるものでもないが)。昔ながらの中産階級が没落しようが、中産階級の世代再生産が破壊されようが、働き手や研究者は海外からいくらでもやって来る。アメリカンドリーム・世界最先端のテクノロジー・途上国の存在……これらが揃っている限り、アメリカの新陳代謝は約束されているようなものだ。東京の新陳代謝が地方から吸い上げる若者によって成立しているのと同じように――むしろ、それ以上に――世界のメトロポリスとしてのアメリカ合衆国は全世界からの人口吸収によって若々しさを保っている。
そしてアメリカほどではないにせよ、古くから先進国*2だった国々も、旧植民地・アフリカ・東欧などから移民を受け入れていて、それが社会の新陳代謝の一要素となっている。むろん、彼らは移民を導入する準備と覚悟をしているし、多民族性に伴う副作用や反作用にも苦しんでいる。だがとにかくも、彼らは旧くからの国民と新しい国民の混交から成り立っており、人口動態にまつわる諸問題が、国内の世代再生産だけで閉じているわけではない。
じゃあ、日本はどうなのか。
この国において、移民を受け入れる温度はあまり高くない。準備も覚悟もできていない。過去の問題が整理されているとも言い難く、そもそも、アメリカなどに比べて移民を惹きつける魅力があるとも思えない。少なくとも、現在の日本には移民を社会の新陳代謝の一要素とするための条件が足りないようにみえる。
同様に、韓国や台湾なども簡単には移民を受け入れられそうにない。これから韓国や台湾に追いつき、人口ボーナスが尽きてゆくであろう新興国もそうだ。日本同様、彼らもまた“先進国のような新興国”になっていくだろう。だが、移民を受け入れるには至らない。なぜなら、日本と同じかそれ以上に、彼らの国には移民をアトラクトするためのプラスαが欠けているからだ。
言い換えるなら、日本も含めたアジアの(そして南米やアフリカの)新興国は、アメリカにはなれない、ということだ。フランスやイギリスやドイツになることも難しい。先進国化することも、個人主義が定着することも、それなり欧米をコピーすれば可能だった。だが、人口動態の問題ばかりは、欧米のコピーアンドペーストで済むとは考えられない。もちろん、ヨーロッパ先進諸国などに比べれば(日本も含めた)新興国の高齢化の歩みは早く、というより早すぎるので、時間は味方してくれない――大泉啓一郎『老いてゆくアジア』によれば、高齢化率が7%から14%に上昇するまでの時間は、フランスで115年・スウェーデンで85年・英国で47年だったのに対し、日本で24年・韓国で18年・中国で25年・タイで22年と圧倒的に短い。この時間の無さが、そっくりそのままハンディになる。
少子高齢化の問題は、移民というファクターが期待できる国や、高齢化の歩みが遅かった国では、種々の手段によって対処可能か、緩和可能だった。だが、20世紀末~21世紀にかけて、少子高齢化がアジアに到達しはじめた時、移民というファクターを計算できそうにない新興国で、無慈悲なスピードの少子高齢化が生じはじめた。一体、どうすれば良いのか?
こういう時、どこかにロールモデルになる国があれば良いのだけれど、長い歴史を持つヨーロッパや、移民を大前提としたアメリカをロールモデルにできる範囲は限られている。もちろん、欧米諸国の学者さんとて「アメリカでもヨーロッパでもない地域の、急激な人口問題」について熟知しているわけではない*3ので、確たる方法論を授けてもらえる保証は無い。移民にも時間にも頼らず、短期間のうちに人口問題を克服する方法は、たぶん、まだ確立していない。少なくとも、「欧米主導国のコピーアンドペーストさえしていれば何とかなる」というほど、シンプルではないだろう。
移民を前提とした先進国と、移民を前提としない新興国、それぞれの高齢化。
東アジアが急激に新興国になり、東南アジアが急激な新興国になりつつあり、アフリカが急激な新興国になろうとしている……そういった変化が続いていけば、移民や時間的アドバンテージに頼れる国の少子高齢化よりも、日本や韓国のようなタイプの少子高齢化が一般的になってくるだろう。欧米から学べる点は学ぶとしても、ある時点から先は、新興国自身が問題解決の方法を見つけるしかないし、また見つけなければならない。この場合、日本は欧米先進国よりもアジアの新興国に近いので、たぶん、日本の学者さんが活躍する余地はとても大きい。良い研究、良い試みが現れてくるのを期待したい。
*1:ただし、非ヒスパニック系白人を筆頭に、アメリカの出生率そのものもまた、それなりに低下している
*2:むしろ「列強」と呼ぶべきか
*3:例えば19~20世紀のフランスにしても、フランスという国の文脈に即したかたちで人口問題に向き合ってきたのであって、「たかだか数十年で民主主義や個人主義を導入し、後進国から先進国へと羽化したアジアの国」の人口問題を考え始めたのは最近のことだ
(2014年5月7日「シロクマの屑籠」より転載)