ブラジルの空港に降り立つ萩野公介
「4年に1度の人生をかけた舞台。自分の目標は優勝なので、実力を全て出し切って満足する結果で自分の競技を終えたい」
リオ五輪に競泳男子400m個人メドレーなどで金メダル候補の萩野公介は7月29日、空港に降り立ち、力強く抱負を語った。萩野は個人メドレー2種目を世界ランク1位でリオに挑む。
萩野は、ロンドン五輪では男子400m個人メドレーで銅メダルを獲得するなど、若くして日本の競泳界のエースとして活躍してきた。しかし、2度目となるリオ五輪の舞台に戻ってくるには、苦難の道のりとライバルの存在があった——。
■「怪童」と呼ばれた日本競泳界のエース
ロンドン五輪で銅メダルを獲得した萩野公介
萩野公介は1994年生まれ。小学生のときから「怪童」と呼ばれ、高校生のときに日本新記録をマーク。高校3年時にはロンドン五輪の競泳男子400m個人メドレーで銅メダルを獲得するなど、若くして日本の競泳界のエースとして活躍してきた。男子の200と400mの自由形、個人メドレーの日本記録保持者だ。
■ライバル、瀬戸大也の存在
2014年のアジア大会。左から優勝した萩野と3位の瀬戸
同じ年に生まれたライバル、瀬戸大也の存在も忘れてはいけない。中学2年のときに瀬戸が萩野に初勝利して以来、2人は互いに好不調を繰り返しながら競い合ってきた。
2011年は萩野が不調の年だった。4月の日本選手権を発熱で棄権すると、瀬戸が2位に。8月の世界ジュニア選手権も振るわなかったが、瀬戸は国内で高校総体400メートル個人メドレーを2連覇した。
12年は立場が逆転する。ロンドン五輪選考会前に瀬戸はインフルエンザで代表落ち。萩野は優勝して五輪切符をつかみ、本番で銅メダルを獲得した。(中略)
13年の世界選手権で多種目に挑戦した萩野が頂点を狙った最後の400メートル個人メドレーで失速すると、瀬戸が逆転優勝した。今度は萩野が14年アジア大会でMVPに輝くが、15年世界選手権前に骨折。そんな中、瀬戸が同種目2連覇し、再び逆転した。
(瀬戸「まあ負けることはない」ライバル萩野に“頂”戦状 ― スポニチ Sponichi Annex 競泳より 2016/08/06)
現在、萩野の方が記録はいいが、世界選手権を連覇するなど大きな大会での成績は瀬戸のほうがいい。
五輪を前にして、萩野は「最後は自由形勝負になると思う。大也が隣にいると思いながら頑張っている」とイメージを膨らませる。瀬戸も「自分も調子いいですし、(萩野)公介も調子良さそうなので、真のチャンピオンがここで決まればいいと思う」と抱負を語った。
■けがを乗り越え、夢の舞台へ
2015年6月、遠征中のフランスで自転車に転倒し、右肘を骨折した。欠場した世界選手権で、瀬戸は400メートル個人メドレーで優勝しリオ五輪に内定した。しかし、萩野は「早くけがを治して、五輪で絶対に金メダルを取りたい」と、挫折を乗り越えて成長した。
いま、リオの地に降り立ったエースの表情は自信に満ちあふれている。「早く泳ぎたい。トレーニングは十分積んできたし、やれることは全部やってきたつもり」
リオ五輪では、200m、400mの個人メドレーと、200m自由形で金メダル獲得を目指す。ライバル瀬戸との名勝負が楽しみだ。
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