出口の入口:『働く君に伝えたい「お金」の教養』第2回

お金とのつき合い方に正解はありませんが、知っておくべき大原則がいくつかあります。

『働く君に伝えたい「お金」の教養: 人生を変える5つの特別講義』

「右肩上がり」という幻想に惑わされるな!

第1回で僕のもとにやってきた20代の編集者は、僕にこう問いかけてきました。

「いまは、会社にいれば給与が上がるわけでも、正社員なら安泰なわけでもない、右肩下がりの時代です。この時代を生きる僕たちは、どうすればいいのでしょうか?」

皆さんはどう思われるでしょうか。

ここで、逆に問いたいと思います。

世の中は、右肩上がりが「普通の姿」なのでしょうか?

たしかに、戦後の日本は高度成長で「右肩上がり」の時代が長く続きました。人口は増える、給与は上がる、生活はみるみる豊かになる、黙って働けばほとんどの人が出世できる。それが「当たり前」だったのです。

けれど、その「当たり前」の時代はどれくらい続いた話だと思いますか? たかだか40年ほどです。半世紀も続いていないわけですね。歴史を振り返っても、縄文時代は1万年も横ばい状態が続きましたし、江戸時代だってほぼゼロ成長(かマイナス成長)です。「上向きが当たり前」というのは、ここ数十年の偏った認識なのです。

それなのに、なぜ若者は不安を感じるのか?

メディアが、煽るからです。商売を上手に回していくためには、われわれ一般市民の不安を煽るのがいちばん手っ取り早いのですね。とくにお金の話題は不安を煽りやすいし、注目も集めやすいものですから。

おそらく将来の年金問題が、若者が将来に不安を感じる原因の一つでしょう。払い損になるのが心配だし、世代間格差への不満もある。そして、やはりそれを、「若者は損をしている!」とメディアが煽る......。

でも、数字とファクト(事実)を見れば、その不安に根拠がないことがよくわかります。

わが国の皆年金制度ができたのは1961年。当時は1人の高齢者をおよそ11人の若者(労働人口)が支えていました。いわば、サッカーチーム1つで、1人の高齢者の面倒を見ていたのです。

 ところが現在、少子高齢化が進んだことで、サッカーチームは「騎馬戦」になり、それも崩れて「肩車」に向かっています。つまり、若者2人で1人、最悪1人で高齢者を養わなければならないわけです。サッカーチームの時代と比べると確かに世代間格差があるように見えるかも知れません。

しかし、よく考えてもみてください。「サッカーチーム→騎馬戦」という急激な人口構成の変化のなかで、どのような対応策が現実にとれるのというのでしょう。政府は、本来起こるべき格差(サッカーチーム→肩車)よりずっと小さな格差で済むよう、公的年金保険の財源に税金を投入しています。

なにより、詳しくは本書に譲りますが、良い政府をつくり生産性を向上させる努力を続けていけば、原則として日本が財政破綻することなどありません。だから、公的年金保険が破綻することもない。決して絶望的な状況ではないのです。

「いまの高齢者のせいで自分たちは割を食う」と変にいじけて、「変えられないこと」を「不安」に置き換えるのは非生産的です。人生は1回きりですから、「どうしたら自分は少しでもいい人生が送れるか」を考えましょう。

そのためにも、

① 調査機関等が集計した、出所の確かなデータを探し出す

② ①で得られた数字・ファクトをベースに、偏見を持たずにロジック(論理)をていねいに組み立てる

この2つのステップを意識して、煽られる側から抜け出すことが大切です。

20代は自分なりの「お金を使うスタイル」を決める時期

煽られることがなくなったら、次は自分のお金について考える番です。お金とのつき合い方に正解はありませんが、知っておくべき大原則がいくつかあります。

その中の1つが、「財産三分法」です。「自分が持っているお金を『財布』『投資』『預金』の3つに振り分ける」。シンプルでしょう?

「財布」は、「今日、明日で使うお金」。日々暮らしていくために必要なお金のことです。

「投資」は、「なくなってもいいお金」。月々1万円、3万円など、「これがなくても生活できるお金」はすべて「投資」に回しましょう。投資というと株式投資や投資信託などを想像するかもしれませんが、投資とは本来「うまくいく保証はないけれど、うまくいけばリターンがありそうなもの」全般を指します。習い事や資格の勉強はもちろん、意中の人へのプレゼントも「投資」のひとつですね。

今日、明日で使うお金を財布に入れ、投資に使う分を決めたら、残りは「預金」に回します。預金は、財布にお金を補充する役割と貯蓄の役割を担います。ここでは、「使いたいときにいつでも使えること」、すなわち「いつでも引き出せること」(流動性)が最も重要です。

いずれも大切な要素ですが、とくに20代のうちは「日常的なお金の使い方」(財布、預金)がまず気になりますね。失礼ながら、若い皆さんはまだそこまで給与も高くないし、節約第一という人もいるでしょう。

でも、出口流・使い方のルールは、「楽しいことに使う」。そして、「マイナスにはしない」。これだけです。

楽しいことに使えばいいだなんて、出口さんは高度成長の「いい時代」を生きてきたから、そんな無責任なこと言えるんじゃないですかって?

違います。「楽しく使う」ことは、「何も考えずに使う」こととはまったくの別物で、賢さが求められるのです。収入の範囲で、財産三分法のバランスをとりながら、自分が納得できるお金の使い方を「考え」なければなりません。

僕が20代のみなさんにお伝えしたいのは、お金は人生を楽しくするための手段、ツールであるということ。お金そのものに価値があるのではなく、何かと交換したときに、はじめて価値が生まれる、ということです。交換しないまま、使わないままに置いておいても、価値は生まれません。

とはいえ、「自分はこう使う」というポリシーがなければ、ただ日々の消費のなかでお金を垂れ流してしまうだけ。20代は、これから自分がどんなお金の使い方をしていきたいのか、自分なりのライフスタイルを確立する時期なのです。

大切なのは、世間が「いい使い方だ」ということに流されないこと。世間の価値観ではなく自分自身の価値観を確立し、どのように使えば自分がハッピーになれるのかを考え抜くことです。自分を知らずして、限られた収入のなかで最高の消費ができるわけがありません。どんな使い方が自分にフィットするのか、いろいろ試みてください。

60代も後半戦の僕だからこそ、「同じお金を使って同じ経験をするのであれば、少しでも若いほうがいい」と確信を持って言えます。若者は年輩の人に比べて使えるお金は少なくても、体力と気力は有り余っているでしょう。

わかりやすい例を述べてみます。ヨーロッパの教会を訪ねた時、若い時代の僕は必ず塔の上まで登っていました。頂上から見える光景は素晴らしいの一言に尽きます。でも60代に入ると、「前回登ったから今回はゆっくりしよう」と3回に1回はズルするようになりました。同じお金(入場料)を払っても経験できる範囲が違ってくるのです。

体力と気力があるときに使う3万円と、体力や気力が衰えてきたときに使う3万円。比較したとき、どちらが濃密な体験ができるか。答えは明白です。

Open Image Modal