ドナルド・トランプ氏が、各種の世論調査結果と米国の新聞各社のクリントン支持を覆して、大統領選を征するという衝撃の結果となった。
当選確実の報が流れだすと、カナダの移民情報サイトに閲覧希望者が殺到し、サーバがダウンするという笑い話が報道された。トランプ氏に嫌悪感を持つ人々が多いのは理解できるが、歴史を通じて民主主義を金科玉条として時に世界を圧してきた米国人が、自分の思い通りにいかなかったからといって国を投げ出すのはいただけない、と私は思う。
トランプ大統領を最高司令官とすることになった彼の国を、世界中の不安が現実のものとならないように監視していくのも、国民の役割ではないか。いや、気持ちはわかるけど......。
移民が実際に殺到することになった場合、カナダはその現象をどう受け取るのだろう。
カナダというのは、アメリカという大国の存在に依存しつつも、怖れを抱いてきた国だ。二〇一四年の統計によると、カナダの輸出品の実に七五%以上が米国へ向けたもので、これはカナダGDPの二〇%にあたるという。
米国の資本を受け入れ、資源や農作物を米国に提供するという関係が建国以来の常態だ。文化的に見てもカナダ人は米国の映画やテレビ番組を観て、米国の音楽を聴いて育ってきた人がほとんどだ(フランス語を共通語とするケベックの住民は例外としても)。
私は去年、カナダの牧場でカウボーイとしてひと夏の間働いてきた。牛を育てるカウボーイの仕事というのも、カナダとアメリカで違いはなく、その土地の気候によって差異があるくらいだという。
車で二時間離れた街までたまに買い物に行くと、カナダの自尊心を鼓舞するようなサインをよく目にした。
「一〇〇%カナダ資本」
「カナダ人であることの誇り」
「カナダ製」
といった文言が店の看板や製品のパッケージに刷られていた。
カナダは、自らの独自性を模索し続けている。米国依存を「文化的侵略」とまでは言わなくても、独自性の不明瞭さはカナダ人の心にモヤモヤとしたものは残しているのではないか。それが、「我々はアメリカの一部ではないぞ」という気概となって、看板やパッケージに表出する。
とはいえ、カナダとアメリカが少なくともこの二百年くらいは、概ね良好な関係を維持しているのは実に幸せなことだろう。世界中を見渡しても、隣国との仲というのは難しいものだ。インドとパキスタン、イランとイラク、パキスタンとアフガニスタン、紛争までいかなくてもスウェーデンとデンマーク、インドネシアとマレーシア、日本も当然例外ではない。
大阪と京都ですら、感情的な隔たりは深遠なものだ......(個人差があります)。
カナダとアメリカの国力の差はともあれ、良好な関係の根底には、カナダ人の鷹揚さがある。ひとりのカナダ出身の友人に、「トランプ大統領を忌避してカナダに移民してくる米国人をどう思うか」と訊いてみた。
あたたかく、気持ちのよい答えであった。
「やっとカナダの良さに気づいたか、この馬鹿者め!」
逃げる自由も、棄てる自由もある。
しかし、「アメリカをもう一度グレイトにする!」というトランプ大魔王、いや、大統領を、本当にグレイトにするのはあなた方次第なのだぞ、アメリカ人よ。