多くの人たちを魅了し、子どもから大人まで幅広い層に影響力のあるスポーツ。2021年も、東京オリンピックや大谷翔平選手の活躍などに、多くの人たちが夢中になった。
その一方で、プロ野球・中田翔選手のチームメートへの暴力など、スポーツ界の暴力問題に改めて目が向けられた年にもなった。
スポーツから暴力をなくそうとする動きが進むが、具体的にどんな取り組みができるのだろうか。
海外事情に詳しいスポーツ関係者や専門家に話を聞きながら、4つのアプローチを考えた。
今回考える4つのアプローチ
1. 怒りと向き合う方法を学ぶ(アンガーマネジメント)
2. リーグが統一的なルールを作る
3. メンタルヘルスケア
4. フラットな体制づくり
怒りと向き合う方法を学ぶ、アンガーマネジメントとは?
2003年、ニューヨーク・ヤンキースの選手と、ボストン・レッドソックスのグラウンドキーパーの間で乱闘が発生した。
この時、暴力を振るったヤンキースの選手に、社会奉仕活動とともに命じられたのが、アンガーマネジメントの受講だ。
MLBの球団で働く野球関係者によると、MLBがアンガーマネジメントを取り入れている背景には、「しっかりと教育をすれば、人間は変われる」という考え方があるという。
アンガーマネジメントはMLBに限らず、テニスなどさまざまなスポーツで取り入れられていると話すのは、アンガーマネジメントに詳しい中京大学スポーツ科学部の石堂典秀教授だ。
石堂氏は、アンガーマネジメントを「自分の怒りを冷静に捉えて、感情のコントロールを学ぶ方法」だと説明する。
例えば、嫌なことを言われて怒りを感じた時に、すぐに反応せずに6秒間待つ。そして自分の怒りを1〜10のレベルに段階わけして、「今回は5、前より下がった」など、怒りを数値で可視化する。
こうやって怒りを客観視することで、感情に任せて行動するのを防いだり、次にどんな行動を取るのがベストかを考えられたりするようになるという。
他にも、日記のように怒りを記録する「アンガーログ」で、自分がどんなことに、どれくらい怒りを感じるのかを見える化することで、怒りをマネジメントできるようになるという。
ただし、アンガーマネジメントは「怒ってはいけない」ということではない。
「アンガーマネジメントは、『上手に怒る』のを学ぶ方法です。怒りをレベル分けするなどのプロセスを経た上で『自分はこれに対して怒っている、もしくは悲しい』ということを冷静に捉え、怒りなどの感情を上手に伝える訓練をします」と石堂氏は話す。
さらに、怒りをエネルギーに変えて自分自身を鼓舞し、良い競技結果につなげるなど、スポーツの中でポジティブに使うこともできるという。
リーグとしての統一的なルールが必要
アンガーマネジメントの他に、暴力などの問題が起きたときに重要だと石堂氏が指摘するのが、統括団体の役割だ。同氏は「リーグとして、暴力を根絶するという態度をはっきりと示すことが大切だ」と話す。
中田選手の暴力問題が起きた時、統括団体であるNPB(日本野球機構)が選手やチームを処分したり、暴力を否定する声明を発表したりすることはなかった。
しかし、スポーツの世界では、統括団体が懲戒処分やメッセージ発信をするのは珍しくない。
例えば、バトミントンの桃田賢斗選手が賭博問題を起こした時には、所属企業だけではなく、日本バドミントン協会が無期限の競技会出場停止処分を科した。
また2014年に、浦和レッズのサポーターが人種差別的な横断幕をスタジアムに掲げる問題が発生した際は、Jリーグが浦和レッズに無観客試合処分を下している。
差別問題に関して言えば、MLBもブラック・ライブズ・マター運動が高まった2020年に、いかなる差別や不正も許容しないという声明を出している。
石堂氏は、統括団体による処分がないことで、「リーグが問題を重要だと捉えることを示せないだけでなく、統一的に運用できない問題が生じる」と指摘する。
「A球団は選手を1年出場させなかったのに、B球団は1週間だったということになると均衡が取れず、不公平感が出ます。統一的な運用ができるシステムが必要だったと思います」
メンタルヘルスケアも大事
暴力への厳しい姿勢と同様に必要なのが、選手や家族に対するメンタルヘルスのケアだ。
「スポーツ選手は、健康で心も強いだろうと思われがちですが、私たちと同じ人間であり、当然心が折れることもあります。むしろスポーツは成績を大きく問われる世界なので、結果を出していないと大きなストレスを感じる環境だと思います」と、石堂氏は話す。
スポーツ選手のメンタルヘルスの重要性は近年ますます認識されるようになっており、日本でも調査・研究が進みつつある。
国立精神・神経医療研究センターと日本ラグビーフットボール選手会が2019〜20年に実施した調査では、2.4人に1人が何らかのメンタルヘルス不調を経験していた。さらに10人に1人が、うつ・不安障害の疑いあるいは重度のうつ・不安障害が疑われる状態で、13人に1人が最近死ぬことを考えたと回答している。
11月に開催された、アスリートのメンタルヘルスサポートを考える「よわいはつよいプロジェクト」のイベントで、日本ラグビーフットボール選手会会長の川村慎氏は「一般的な仕事をされている方と比較して、白黒をつけられる回数が多いのではないかと感じている」と語った。
「一週間の中で監督やコーチ、分析スタッフなどと話をしたり、ビデオを自分で確認したりする作業の中で、自分がチームの中でどのくらいの立ち位置なのか嫌でも意識してしまう環境ではあります。またチームメイト以外にも昨日の自分と比べて頑張れたか、もっとやれたのでは、と考えて自らを追い込むこともあります。なのでこうしたプレッシャーが選手に影響を与えることは当然あるのかなと感じます」
石堂氏も、ストレスがかかる環境であるからこそ、アスリートのメンタルヘルスのケアが必要だと強調する。
「ストレスがかかる環境の中で、暴力が起きたり、暴力には至らなくてもムードが悪くなってきつい言葉が飛び交うことはあると思います。そういう場合に、どんな精神的ケアをするかがとても重要です。暴力はちゃんと処分を受けるべき行為ですが、被害者へのケアと同時に、加害者やご家族へのメンタルヘルスケアの問題も大事だと思います」
石堂氏によると、メジャーリーグでは、選手協約において、選手が飲酒運転、暴力事件、薬物使用などの問題を起こした場合には、症状に応じ治療プログラムが提供されることになっている。
DVプログラムも提供されていて、2020年に本塁打王と打点王の二冠を獲得したマーセル・オズーナ選手による妻へのDVに対して、MLBは20試合の出場停止処分の他、200時間の社会奉仕活動やアンガーマネジメントなどのプログラムへの参加を命じている。
フラットな文化をつくる
アンガーマネジメントやメンタルヘルスケア、そしてリーグや球団の取り組み。
暴力をなくし、アスリートやファンにとってより良いスポーツ環境を作るためには、それぞれが大切だが、その土台として日頃から重要になるのが「フラットな文化」作りだ。
石堂氏は「暴力やハラスメントが起きるか起きないかには、球団の空気感や文化も影響しているのではないか」と指摘する。
スポーツには伝統的に縦社会の文化があり、野球などは上下関係が厳しいことで知られる。
「スポーツは優劣がつきやすい分だけ、暴力やハラスメントが生まれやすい環境になります。チーム内やトーナメントで勝者と敗者が生まれることで、勝った人がヒーロー的な扱いを受ける文化もあります。それが長く続くと、一部の人が支配的な地位を得て、周りが注意もできなくなってしまうことがあるかもしれません」
「もちろん、チームの中心で働いてもらっている選手が、それなりに優遇を受けることはあるかもしれません。しかし『チームメートとして、人間として対等だ』ということが教育されないと、特別扱いが高じて暴力やハラスメントに発展することになりかねません」
フラットな環境を作るために何ができるのか。石堂氏は「人権や『すべての人が対等である』という考え方を、教育プログラムや研修などで伝えることが大事だ」と話す。
また、普段から、多様性を認める考え方をチーム全体に浸透させることも欠かせない。
2020年に、32年ぶりにMLBワールドシリーズを制したロサンゼルス・ドジャースは、翌年ホワイトハウスを表敬訪問した。この時の選手の装いには、前回制覇の1988年と比較して変化があった。
1988年の表敬訪問では全員がスーツにネクタイ姿だったが、2021年は、スーツや革靴だけではなく、スニーカーや帽子、 マリアッチジャケット姿など、選手たちは思い思いの格好で表敬訪問をした。
マリアッチジャケットを着てホワイトハウスを表敬訪問したジョー・ケリー投手
上記でアンガーマネジメントについて語ったMLB球団で働く野球関係者は「1988年のドジャースと2021年の表敬訪問の集合写真を見るだけで、多様性という点でいかにアメリカが変わったかがわかると思う」と話す。
「おそらく日本では、スニーカーや思い思いの格好で首相官邸に行くのはあり得ないと思います。そういった土壌があった上で、アンガーマネジメントなどがあるのだと思います」
「日本、特に大企業では、アンガーマネジメントなどがいいと言われると『うちもアンガーマネジメントしよう』となりがちです。それはやらないよりもいいのですが、そもそもの会社のカルチャーがどうなのかということが問われるのだと思います」
「アンガーマネジメントをやれと言っている上司が、眉間にしわを寄せて仕事をしていても、職場がアットホームな雰囲気になるわけがありません。根本的な会社のカルチャーが大切だと思います」
アスリートは子どもたちのロールモデル
スポーツ選手は子どもたちの将来なりたい職業ランキングの常連で、大人だけではなく、子どもにも影響を与える存在だ。
石堂氏は「選手たちには、アスリートやリーグには社会のロールモデルとしての大きな期待が寄せられていて、子どもたちが見ているということを意識して欲しい」と話す。
「自分の姿を子どもたちに見せられるか、そして子どもたちが同じことをしていいのかということを考えると、暴力問題は球界にとっての大きなダメージとなり得ます。リーグは、そういうことも選手たちに教えていくべきではないでしょうか」