この春に行なわれた世田谷区長選挙から2カ月、私はすでに2期目となる区長の仕事に没頭していますが、時々脳裏によみがえる光景があります。とても新鮮で、強い印象を刻んでくれた体験とは、目の前に子どもたちが集まり、私の話に耳を傾けているひとときでした。
4月下旬の選挙期間中に、世田谷区内のある大きな団地に入って選挙演説を始めようとすると、話を始めようとする私の前に、子どもたちが集まってきました。7〜8人の小学生たちが私の正面に一列に並んで、これから始めようとする話を聞きにきたのです。見渡すと周囲にも他に何人かの小学生たちがいます。
「これから世田谷区長の選挙演説をしますよ」と、私の話し方も子どもたちを意識したものとなります。子どもたちの環境を整え、遊び場や活動の場を広げていくことや、学校教育を支援することなどを話しました。子どもたちは、目を見開いて聞いていました。
「子ども・教育予算を10年前の倍にしました」と言うと、パチパチパチと拍手をしてくれました。「何年生?」と聞くと、小学校5年生の子どもたちでした。
私の演説を聞いて、部屋から出てきてくれた旧知の年配の男性が目を細めて、「この団地で長らく選挙運動も見てきたけど、子どもがこれだけ集まって聞いている演説は初めてだよ」と言っていました。
1996年に衆議院選挙を体験して以来、過去7回の選挙を経験していますが、こんなことは初めてでした。もちろん、子どもが宣伝カーに手を振ることはありました。親に抱かれて演説会場に来る幼子もいました。けれども、どう見ても彼らは小さな聴衆でした。国会議員や自治体議員候補よりも、区長を身近に感じるということがあったのかもしれません。
また、別の住宅地では子どもたちが公園の一角で遊ぶのをやめて、話を聞いてくれました。演説を終えて移動しようとすると、お菓子をわけてくれて、野の花をプレゼントしてくれました。何と驚いたことに野の花をくれた子は、お母さんに連れられて夜の演説会にも顔を出しました。お母さんが「区長の演説会に出かけてくるよ」と家を出ると、「私も行く」と一緒に来たといいます。
政治の唯一無二の道具は言葉です。その言葉が子どもたちに伝わっていったのか、言葉が包有している温度を感じたのか、肝心なことはやがて成長した子どもたちから将来聞くことを楽しみにしたいと思います。子どもは言葉が、自分に向けて投げられているかどうかで敏感に反応します。
今から33年前に、私は月刊『明星』という芸能雑誌で「保坂展人の元気印レポート」という連載を始めました。「校内暴力」「体罰」「いじめ」とハードな内容の学校事件レポートを書き続けたところ、半年足らずで人気ページになりました。編集長は、「うちの読者は難しい内容や、長い原稿は読まないだろうと思ってきたが、その見方は間違っていたことがわかったよ」と言ってくれました。総合アンケートで3位となり、読者からの手紙も数百通に及んだからです。ちなみに「元気印」という言葉は、この連載から世の中に出ていきました。
2015年3月3日に世田谷区は「子ども・子育て応援都市宣言」、をしています。文章を少し紹介しましょう。
子どもは、ひとりの人間としてかけがえのない存在です。
うれしいときには笑い、悲しいときには涙を流します。感情を素直にあらわすのは、子どもの成長のあかしです。子どもは、思いっきり遊び、失敗しながら学び、育ちます。子どもには、自分らしく、尊重されて育つ権利があります。(世田谷区「子ども・子育て応援都市宣言」)
子どもから子どもへ、子どもから大人へ、大人から子どもへと行ったり来たり出来る言葉になるよう知恵を練り、また普段から子どもと接することの多い児童館、保育園、冒険遊び場プレーパーク、そして親たちが小グループでテーブルを囲んで文案を練るワークショップも行いました。例えば「失敗しながら学び」というフレーズはこのワークショップで挿入されました。(2015年1月16日「子ども・子育て応援都市宣言ワークショップの概要」)
そして、宣言は3月3日、上町児童館で幼児や親たち、また近隣の大人たちの手で発表されました。森本千絵さんデザインのポスターが出来上がって、世田谷区内の子どもに関係する施設に掲示され始めています。「桃の節句に『子ども・子育て応援都市』を宣言」(「太陽のまちから」2015年3月10日)
子どもが選挙演説を聞くという光景を、珍しく思うこと自体がおかしなことです。18歳選挙権が実現して、いよいよ2016年参議院選挙から18歳以上も有権者となり、市民としての政治参加や社会制度を学ぶシチズンシップ教育の必要性も言われることとなりました。「『18歳選挙権』実現へ。さらに『被選挙権』も引き下げるべき」(2015年6月9日)
子どもが日々過ごす学校や学童保育、児童館、公園、遊び場等の運営は、世田谷区と密接なつながりがあります。にもかかわらず、子どもが区長の話を聞く機会等は、今のところそうそうありません。これから紹介する事例は、日常的に行なわれていることではなく、いくつかの条件も重なって実現したレアケースですが、「子どもの声が区長に届いた例」のひとつです。
世田谷区で、長期ビジョンとなる「世田谷区基本構想」(2013年9月策定)をつくるにあたって、テーマを決めて次々との意見交換会を続けていました。「緑・環境」「芸術・文化」「まちづくり・住民自治」等でした。基本構想で描くのは、20年後の未来です。その時の中堅世代である子どもたちの意見を聞いてみようと「中高校生との意見交換会」を開きました。
2013年3月に児童館を会場に中・高校生たちの意見を聞きましたが、「自分たちは意見を言ったが、区長の意見を聞く時間がなかった」「時間が短すぎた。もっと時間をかけて話を聞いてほしい」等の声が出て、1泊2日で区内の青少年施設に泊まり込みながらグループに分かれて「区への提案」を練ってもらいました。私は、今度はたっぷり時間をとって、かれらの話を聞きました。(『中・高生だってまちづくりしたい』 2013年3月26日「太陽のまちから」)
いくつかの好条件が重なって、子どもたちが考えた夢のあるプランのひとつが具体化することになりました。2013年6月から2014年2月にかけて京王線千歳烏山駅の旧金融機関の支店跡を、中高生世代が運営するフリースペースとして開放し、大学生世代が運営責任者となった『オルパ』という場が誕生したのです。駅前であったこともあり、中高生たちでいつもにぎわい、中高生が運営委員となって多彩な活動に取り組みました。(『子どもの、子どもによる、子どものための空間』(2014年3月11日「太陽のまちから」)
子ども時代にどんな機会に恵まれ、いかなる人とめぐりあうかによって人生は変わっていきます。子どもたちが、やわらかな感性を持って、ぐんぐんと新たな知識や技術を吸収し、 「世の中の奥行きの深さ」を体感し、自分の力の及ばない壁にあたってしまった時に、失望や絶望の前に退避路を探り当てることが出来るように、「心の土台」を支えていく必要があります。別の言葉で言えば、「幸福感」かもしれません。
自分が自分であることを承認し、他者からも必要とされて生きること。その基礎的な「心の土台」が脅かされたり、グラグラと揺らいでいたりする状態が、「子どもの危機」なのだと思います。
私たち大人は、子どもであった日々をいつも忘れているのに、「子どものすべてを理解し把握している」と思いがちです。「子どもの姿」は見えても、「子どもの心の土台」が堅固なのか、危ういのかを判別する目を、ほとんどの大人たちは持っていません。
私たちは、子どもの話を半分聞いて、つい口にしてしまいます。「わかった、わかった。忙しいから後で」と。でも、子どもにとってみれば、まだ話の本題に入っていないのに会話を中断されてしまうようなものです。ゆっくりと最後まで話を聞いてみること、簡単なことですが大切なコミュニケーションのルールです。コミュニケーションには、時間がかかります。その時間を省くと、後悔することになるのです。
「子どもが育つ土台をつくる」とは、「心の土台」であり、「学びの土台」であり、「遊びの土台」です。バランスよく子どもたちが伸びていくまちをつくるために、一列に並んで私の話を聞いてくれた子どもたちの真剣な目、強い光を反射して輝いていたキラキラした目を忘れないようにしたいと思います。