南アジアにおける言語権運動の帰結としての政治的崩壊の動向

将来的に南アジアの国々の間に存在する境界線の破壊に繋がるだろう。
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MOFA Japan

 南アジアは、八ヶ国によって構成されていて、その領土の境界線は、基本的に、イギリスの植民地勢力によって決められたものである。しかし南アジア諸国の領土境界は、南アジアの人々の、民族的、宗教的および言語的境界線とは一致しない。また、解放の幅広い感覚を包含するインド独立運動は、南アジア諸国の政治的動乱につながる民族権、宗教権、言語権の感覚を残した。南アジア諸国の間に残されているこれらの政治的動乱を解決するために、SAARC(地域協力の南アジア協会)という社会経済的協力を目指す協会が設立された。その設立の目的は、二国間及び多国間の外交関係を高め、国の間に存在する政治的·軍事的対立を緩和することであった。

 上記のようなポストコロニアル的な背景に、南アジアの言語権の感覚によって引き起こされる政治的な崩壊の傾向を探る。南アジアの言語状況では、言語権の感覚は、憲法上認められている言語、つまりヒンディー語、シンハラ語、ウルドゥー語のような言語と、特定の言語共同体が話すスピーチ変種とが、同等の地位を持っているという感覚として特徴づけることができる。言語権における感覚の方向は、特定の言語共同体が話すスピーチ変種に対して、政府が抑圧する政策(例:1956年と1970年にスリランカとネパール政府がとった言語政策)又は、承認する政策(1956年にインドによるStates Reorganization Acts)の内、どちらを採用するかによって生じる反応のダイナミズムによるものである。

 イギリスから独立したとき、新たに成立した国であるインド、ネパール、パキスタン、スリランカは、それぞれ公用語としてヒンディー語、ネパール語、ウルドゥー語、シンハラ語を採用した。その結果として、言葉に纏わる問題が新たに生じた。さらに、その問題は、言語共同体の宗教や民族と重なり政治的な問題に発展した。従って言語権における政治的な背景を顧慮にすると、南アジア諸国における政治の崩壊に関する次の3つの現象が現れる。

ⅰ)地方自治権:言語権の感覚から生じた地方自治権の運動は、南アジア全域に拡散している。地方自治権の例としては、ネパールにおいて、10年に及ぶ内戦が終わった後に、1990年に憲法で言語的境界に沿った新たな行政地域が容認されたことをあげられる。

ⅱ)独立運動:言語権の感覚が、独立運動に繋がったことの例として、統一パキスタン時代の1952年に行われたベンガル言語権運動を挙げられる。その言語権運動の結果として、後にかつての東パキスタンが分離独立し、バングラデシュ国が誕生した。

ⅲ)隣国に統合:ベンガル語、パシュトゥー語、タミル語等を話す言語共同体の人々は、二カ国や三カ国の国境を越えて分散しており、民族統一主義の感覚を持っていることで、いずれかの国から独立し、隣国に統合する運動を続けている。パシュトゥー語の言語共同体は、アフガニスタンとパキスタンに分散しているため、アフガニスタンとパキスタンの間で長年の外交紛争となっている。そのような民族統一主義の深刻な結果としては、インドのカシミール人による、独立しパキスタンに統合されることを目指した武装闘争が挙げられる。

 上記に述べた言語権運動の帰結としての政治的崩壊の動向を配慮にすると、それは将来的に南アジアの国々の間に存在する境界線の破壊に繋がるだろうと思う。