シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (7)

命と健康を支える看護師を目指したころ、まさか日本を離れ、これほど長く人道支援の現場に身を置くことになるとは全く考えてもいませんでした。
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2016年8月27~28日、ケニアで第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)が開催されます。

初めてアフリカで開催されるTICADに向けて、国連広報センターでは日本の自衛隊が国連PKOに参加し、また多くの日本人国連職員が活動する南スーダンを事例にして、様々なアクターの皆さんに、それぞれの立場からTICADで議題となる課題について考えていただくという特集をシリーズでお届けします。

シリーズ第7回は、赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業マイウート病院プロジェクトマネージャーの吉田千有紀さんです。ICRCは、長年にわたる紛争で疲弊しインフラも未整備の南スーダン支援に力を入れており、吉田さんも電気や通信手段がまだない過酷な状況下、地域唯一の病院で働いています。長年、途上国での人道支援活動に携わっている吉田さんは、人間の尊厳が保たれ平和と安定が実現してこそアフリカ開発会議(TICAD VI)が目指す持続可能な開発が可能になると、保健医療活動に力を入れています。

第7回 赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業 吉田千有紀さん~紛争後の地域医療をゼロから構築する~

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吉田 千有紀 (よしだ ちゆき) ICRC/Layal Horanieh

赤十字国際委員会南スーダン医療事業病院プロジェクトマネージャー(日本赤十字社より10か月派遣)

日本赤十字社和歌山医療センターで1986年より看護師として勤務。2008年から看護師長。正看護師、助産師、公衆衛生修士号の資格を有する。人道支援や緊急救援要員として、主に中東やアフリカなどで海外ミッションを多数経験。2015年10月より現職。ICRC南スーダン医療事業に派遣され、北東部マイウートの病院のプロジェクトマネージャーとして保健事業や地元の病院支援に携わる

7月8日、独立5周年を翌日に控えた南スーダンの首都ジュバで、激しい戦闘が火ぶたを切りました。ジュバから北東に約500km離れたマイウートに私は常駐していますが、首都における戦闘激化に驚き、同時に同僚や知り合いなど現地の人々のことが心配になりました。

でも、そこは紛争地の最前線で150年以上人道支援を行っている赤十字国際委員会(ICRC)。日頃の職員の安全対策と危機管理に加えて、迅速な情報収集と事態の把握によって混乱を乗り越えてきたので、マイウートにいる私たちもパニックに陥ることはなく、強い気持ちと使命をもって日常業務をこなしました。

南スーダン北東部、エチオピア国境から20kmしか離れていないマイウートは、サブサハラ草原の中心に位置しています。公共交通機関は全くなく、電気も通信手段もない場所にある小さな保健施設を、赤十字国際委員会(ICRC)は2014年12月から支援しています。アフリカでの平和の定着が持続可能な開発に貢献するとして、アフリカ諸国が自らのイニシアチブで紛争や災害に対応できるよう力を貸すのも、ICRCの大事な取り組みの一つです。

その活動は幅広く、保健事業や医療支援に加え、食料や生活必需品の緊急支援、水と衛生環境の整備、生計の自立支援や、離散家族の再会支援、拘束された人の人道的処遇を確認するための収容所訪問など、アフリカ大陸に31か所の拠点を設け、戦闘の犠牲となっている人たちのニーズに応えるべく、日々奔走しています。

第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)後のICRCによるアフリカ支援の進捗状況についてはこちら

約90か国に活動拠点を置く世界で最も歴史の古い国際人道支援組織のICRCは、世界で一番新しい国南スーダンで人材・財政両面で大規模な活動を展開しています。同国がまだスーダンから分離独立する前の1980年に現在の首都ジュバに拠点を置き、以来35年以上、地元の人たちに寄り添ってきました。現在は480人近いスタッフが活動しています。

シリアやイラクの情勢が国際社会の関心を集める一方で、ICRCが2014年に最も資金を投入した国は、南スーダンでした。戦闘拡大で行き場をなくした住民は難民となり、女性は性暴力の犠牲に、子どもたちは兵士として駆り出されるなど多くの人道問題が起こっています。そうした状況を受け、日本政府もICRCの南スーダンでの活動に毎年多額の資金を拠出しています。

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6月半ば、日本の紀谷昌彦駐南スーダン大使(中央男性)がマイウート病院を視察。病棟や診療室に加え、使用している医薬品などもチェックした ICRC/Layal Horanieh

日本政府によるICRC南スーダン事業への貢献についてはこちら

一般の寄付から成り立っている日本赤十字社と異なり、戦争や紛争の犠牲となった人々を支援、保護するICRCの活動は、戦時下のルールを設けた「ジュネーブ諸条約」に加入している各国政府からの拠出金で主に成り立っています。

年間活動資金の8割以上を占めており、日本政府をはじめとする条約加盟国に紛争の現場で何が起こっているのか、人々はどのような支援を必要としているのかを伝えるのも、私たちの重要な仕事の一つです。8月にケニアで開かれるアフリカ開発会議(TICAD VI)では主に開発に主眼が置かれ、アフリカ全体の発展について話し合われますが、平和と安定あってこその繁栄という観点から、ICRCも南スーダン支援に積極的に関与しています。

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赤十字のマークを掲げている施設、個人や団体は、いかなる攻撃からも守られなければならないことが国際法で定められている ICRC/Layal Horanieh

ジュネーブ諸条約についてはこちら

ICRC活動資金の拠出元と使途についてはこちら

南スーダンの医療事情

チェコやヨルダン、キューバ、オーストラリアなど、世界中から集まった外科医や看護師など10人以上からなる医療チームのリーダーとして、マイウートの病院と保健事業の支援を行って9か月になりました。当地では2013年12月に勃発した内戦のため戦傷外科のニーズが高まりました。武器による外傷に加えて、マラリアや栄養失調、呼吸器系感染症、産婦人科関連など幅広い領域の様々な年齢層の患者さんも診ています。

南スーダンの人々にとり医療は身近な存在ではありません。また、医療の質も日本とはかけ離れており、医療器具や医薬品も十分ではありません。5歳以下の幼児は免疫をつけるためのワクチン接種をほとんどせず、妊婦が定期健診にやって来るのもまれです。私たちは若者や社会的に弱い立場にいる人たちに対して、もっと頻繁に病院を訪れる必要性を説いたり、地元のスタッフを教育したりしてICRCの支援が終了した後も自分たちで切り盛りできるところまでもっていくお手伝いをしています。

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ICRCが支援するマイウート病院は、外科と内科を備えた、上ナイル地域唯一の医療施設 ICRC/Layal Horanieh

人々により頻繁な来院を促す上でまずは病院までの交通手段の確保が先決ですが、まだまだ課題が多いのが現状です。患者さんは3-5日ほどかけ歩いてやって来ます。南スーダンは一年を通して気温が高く強い日差しの中を歩き続けるため、やっと病院にたどり着いたころには疲れ果て、中には脱水状態の人もいたりします。

ある日、痙攣を起こした小さな子どもを抱えた母親が病院にやってきました。到着した時には子どもは既に息を引き取っていました。それでも母親は息を引き取った子を離そうとしません。私たちは無念な気持ちを振り払いながら十分な別れの時間を取れるよう手配し、赤十字ボランティアの助けを得て遺体の埋葬を準備しました。

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ICRCは南スーダンで7つの医療施設を支援しており、今年に入って全土で1600件の外科手術を実施している ICRC/Layal Horanieh

また、栄養失調や飢餓も見過ごせない問題です。私たちは、三度の食事を準備できるよう病院の体制を整えています。日本では朝食をとるということは当たり前かもしれませんが、ここでは朝、お粥を作るために大変な努力が必要です。

前日から水と炭の準備、安全に保管する場所の確保、食材の調達が必要になります。それでも患者さんが美味しそうに食べ物を口にする様子をみると、頑張って用意した甲斐があったと感じます。銃であごを撃たれた13歳の少年は口からものが食べられず、骨と皮だけにやせていました。栄養摂取のためお粥などの流動食を与え、やがて彼は回復に向かいました。今では再び話せるようになっています。

マイウートでの生活

マイウートの住民は明るく気さくで、町にはヤギやヒツジが闊歩しています。家畜の飼育や売買は、南スーダンでは一大ビジネス。子供や女性も家畜の世話と小さな畑仕事に従事しています。長きにわたる紛争の結果、全ての公共サービス、医療、教育、労働の機会も閉ざされ、人々は不自由な生活を強いられる毎日を送っています。

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医療事業だけでなく、ICRCの「水と住環境整備事業」チームが病院のニーズに対応して給水塔タンクを設置した ICRC/Layal Horanieh

治安に関しては、私がかつて赴任したアフガニスタンやイラクと比べると状況は落ち着いており、私のように海外から来た支援者も好意的に受け入れてくれます。ようやく平和合意の方向で動き始め、いま人々は新たな国づくりに臨もうとしています。しかし、それはたやすいことではありません。ICRCの支援で労働の機会を与えられた多くの若者たちは、働くことの大切さを知り充実感を覚えながら懸命に生きています。

南スーダンは世界最貧国の一つであり、マイウートでの生活も質素です。木や泥、ワラで作られた家がほとんどで、私もトゥクルと呼ばれる伝統的な建物に住んでいます。コンクリート製の家に比べて涼しく、暑さもしのげます。

娯楽も限られており、食材も豊富にあるわけではないので簡単な食事しかできません。しかし、同僚と囲む食卓はいつもいろいろな話題で盛り上がります。うだるような暑さやありとあらゆる物が不足していることで、労働環境への愚痴もしばしば。それでも、そういうことを言い合える仲間がいることは本当にありがたいと思っています。

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トゥクルと呼ばれる藁ぶき屋根の伝統的な建物。この3棟は新築で、今後診察室か待合室として使われる予定  ICRC/Layal Horanieh

紛争下での人道支援に携わって12年

そもそも私は日本赤十字社の看護師ですが、紛争地を活動の舞台とするICRCの医療事業にたびたび派遣されています。私たちが一般にいう「赤十字」というのは、実は3つの機関で構成されていて、正式名称を「国際赤十字・赤新月運動」と言います。

日本赤十字社を含めた190の各国赤十字・赤新月社、その190社を束ねる国際赤十字・赤新月社連盟、紛争地で活動するICRC、の3つの機関が共通の7原則を掲げて人種や宗教に関わりなく人道支援を行うこと。それが赤十字の使命です。私も海外で人道支援に従事するようになって既に12年の歳月が経ちました。今まで、支援のために訪れた国は、アフガニスタン、スーダン、パキスタン、イラク、シエラレオネ、リベリアなど13か国に上ります。

人のためになる、命と健康を支える看護師を目指したころ、まさか日本を離れ、これほど長く人道支援の現場に身を置くことになるとは全く考えてもいませんでした。たくさんの方々の支援もあり、こうして元気に活動を続けて来られたことに感謝しています。何かのために私たちは生かされている、と常々感じています。まだまだ私たちにできることはたくさんあり、支え合い生きることの意味を伝えることも、私の重要な役割だと自負しています。

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明日も頑張ろう!という気にさせてくれるのは患者とその家族の笑顔。こうした笑顔の連鎖が、アフリカを繁栄へと導くのだろう ICRC/Layal Horanieh

まだ南北スーダンが一つの国だったころに長期間の内戦を経験し、5年前に独立を果たした南スーダン。私の10か月の任務も残りわずかとなりましたが、医療を通してこの国の人々に寄り添いながら思うのは、平和に安心して暮らせる日々が早く来てほしいということだけです。

首都ジュバで大規模な戦闘が行われている中、私たちはプライマリ・ヘルスケアの施設をマイウートに立ち上げました。プライマリ・ヘルスケアの概念は、地域の資源やインフラを活用し、その国において社会的・技術的に実践できるレベルの保健医療サービスを提供することです。現地のニーズに基づき、そこに暮らす人たちのイニシアティブと主体的な参加によって運営、定着させるという戦略のもとに実践されています。

ICRCのプライマリ・ヘルスケア事業はこちら(英語)

地元の人々に自決と自立を促し、自分たちが持っている資源や能力を有効活用することで、社会や経済の発展にも貢献することが可能となります。この概念は、まさにTICADの意図するところと合致します。

ただやはり、そうした発展も平和と安定あってこそ、と実感しています。国際社会の支援がより効果を発揮し、アフリカ全体が繁栄するためには、そこに暮らす人々が暴力に怯えることなく、人間らしく尊厳の保たれた生活を送れるようにすることが一番です。私は、赤十字を通してそのお手伝いを今後もしていきたいと思っています。 

赤十字国際委員会(ICRC)とは

「公平・中立・独立」を原則に、紛争地で活動する国際人道支援組織。本部はスイス・ジュネ―ブ。詳しくはこちらをご覧ください