「南北対話」は「オリーブの枝」か(2)南北で異なっていた「共同報道文」の文言

合意文書の文言が、南北で異なるというのも奇妙なものだ。
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Kim Hong-Ji / Reuters

 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は1月2日、青瓦台で開いた今年最初の閣議で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が「新年の辞」で、平昌五輪参加や南北当局者会談開催の用意があるとしたことについて、「平昌五輪を南北関係改善と平和の画期的な契機にしようというわれわれの提案に呼応したもの」と評価、歓迎の意を表明した。

韓国が当局者高位級会談を提案

 文大統領は「統一部と文化体育部は南北対話を迅速に復元し、北側代表団が平昌五輪に参加するように後続措置を早急に準備せよ」と指示を下した。

 さらに「南北関係改善と北の核問題解決は別途に進める問題ではないから、外交部は南北関係改善と北の核問題解決を同時に推進できるように友好国と国際社会と緊密に協議することを願う」と語り、米国などへの説明と根回しを求めた。

 韓国側は金党委員長の「新年の辞」を受けて、2日午前9時に板門店の連絡チャンネルを通じて北朝鮮側との接触を試みたが、北朝鮮側の反応はなかった。

 また韓国国防部は2日の定例会見で、韓国政府が昨年7月に軍事境界線付近での「一切の敵対的行為」の停止を議題にした南北軍事会談の開催を求める提案は依然として有効であると述べ、北朝鮮側の回答を待っているとした。

 そして韓国の趙明均(チャン・ミョンギュン)統一部長官は、大統領の指示を受けた直後の2日午後2時に会見し、北朝鮮の平昌五輪参加を協議する「高位級南北当局者会談」を、1月9日に板門店の韓国側地域にある「平和の家」で開催しようと北朝鮮側に提案した。その上で、南北当局者会談のために板門店の連絡チャンネルを早く正常化しなければならないとし、このチャンネルで会談の議題や代表団の構成などを協議することを北朝鮮側に提案した。

連絡チャンネル再開は金党委員長の直接指示

 韓国側の積極的な提案に、北朝鮮側もすぐ応えた。北朝鮮の対南窓口の役割を果たしている祖国平和統一委員会の李善権(リ・ソングォン)委員長は1月3日午後、『朝鮮中央テレビ』や『朝鮮中央放送』に出演し、金正恩党委員長が北朝鮮の平昌五輪参加問題を協議するために板門店の南北連絡チャンネルを同3日午後3時(日本時間同3時半)から開通するよう指示したことを明らかにした。

 南北間には、南北連絡事務所回線として電話回線2回線とファックス1回線、予備回線2回線が板門店にあるほか、南北会談時の会談支援回線や航空管制用回線、開城工業団地協同委員会事務所回線など計33の回線がある。また軍事当局者間のホットラインとして黄海側に6回線、日本海側に3回線があり、全部で南北には42回線が設置されているが、これらは2016年2月の朴槿恵(パク・クネ)政権による開城工業団地の操業停止決定が契機となり、北朝鮮によってすべて遮断された。南北の連絡チャンネルは約1年11カ月ぶりに復活することになったのである。

 韓国政府は昨年6月、日本海を漂流中に救助された北朝鮮漁民を送り返す際、漁民送還の日程などを板門店に設置されている拡声器で叫んで北朝鮮側に伝えた。南北間の連絡チャンネルがすべて遮断されているため、ほかに手段がなかったからなのだが、相手側の責任者に伝わっているのかどうかも定かではなかった。

 南北間の連絡チャンネルは、事務的な連絡や声明、重要決定の通告などに使われるが、最も重要な役割は、偶発的な事件、事故、衝突などが起こった時に当局者間の意思疎通をすることだ。2010年11月に北朝鮮が延坪島を砲撃した時、韓国軍は軍の取り決めに従い「3倍返し」の報復攻撃を行ったが、一方で軍事当局者間のホットラインを通じ、これ以上の戦闘拡大の意思のないことを北朝鮮側に伝え、北朝鮮がこれ以上砲撃しないよう求めた。こうした突発事に、ホットラインがあるかが事態悪化を防ぐ有力な手段になる。

 その意味で今回、板門店の連絡事務所チャンネルが復元したことは、平昌五輪の参加問題以外でも大きな意味を持った。北朝鮮はこれに続き1月9日の南北高位級会談で、黄海の軍当局者間のホットラインも復活させたと通告し、韓国軍側もこれを確認した。南北は1月10日から黄海の軍ホットラインを正常化させた。

 板門店の連絡チャンネル復活を伝えた祖国平和統一委員長の発表の仕方もかなり異例のものであった。

 李善権委員長は、発表は金正恩党委員長の委任を受けたもので、連絡ルートの開通も金党委員長の指示である、とした。発表を報道官にやらせず委員長が直接行ったのも、金党委員長の指示があったからであろう。

「文在寅大統領」を「高く評価」

 また北朝鮮側は、これまでは文在寅大統領を語る場合「南朝鮮執権者」などと曖昧な表現が多かったが、今回は「文在寅大統領」と正式に呼称した。これも初めてである。

 しかも、文在寅大統領が閣議で金正恩党委員長の「新年の辞」を歓迎し、関係部署に具体的措置を指示したという報告を受けて、金正恩党委員長がこれを「肯定的に高く評価し歓迎の意を表明した」とした。韓国側の措置に対する金正恩党委員長の肯定的な評価を、北朝鮮幹部が公式に明らかにするのも異例のことだ。

 今回の連絡チャンネルの開通は、南北の最高指導者同士の「共感」の上で実現したことを双方が内外に明らかにした。北朝鮮が「工作」レベルで今回の平昌五輪参加の用意を表明したにしては、最高権力者があまりに前面に出ているような印象がある。

「当局者高位級会談」提案を受諾

 板門店の連絡チャンネルが3日に開通したことを受けて、韓国側は4日午前9時に北朝鮮側に電話を掛けたが返事はなかった。その30分後に北朝鮮が電話をしてきた。電話回線などが正常かチェックし、韓国側が「連絡事項はないのか」と尋ねると、北朝鮮側は「ない。あれば通告する」と対応した。この「30分差」は北朝鮮の平壌時間のせいだ。

 同チャンネルは従来、毎日午前9時から午後4時まで稼働することを基本としていた。かつては、日本、韓国、北朝鮮に時差はなかった。しかし北朝鮮は、2015年8月15日から「平壌時間」を使用し始めた。日本の植民地支配の残滓を清算するとして、標準時を30分遅くしたのである。だから北朝鮮は平壌時間の午前9時(韓国時間9時半)に電話をしてきたわけだ。こんな些末なことも南北間の神経戦である。

 北朝鮮は1月5日午前10時16分ごろ(韓国時間)、祖国平和統一委員会の李善権委員長名義で韓国の趙明均統一部長官宛てに電話通知文を送付し、1月9日に板門店の韓国側施設である「平和の家」で高位級南北当局者会談を開くという韓国側提案を受け入れる、と回答してきた。代表団の構成など実務的問題は、板門店の連絡ルートでの文書交換で協議すること、議題を「平昌五輪参加をはじめとする南北関係改善問題」とするよう通告してきた。

 北朝鮮が日程や場所などの注文を付けずに韓国側の提案をそのまま受け入れるのも異例のことだ。

統一部長官と祖平統委員長が首席代表

 南北は1月6、7日の週末も、板門店の連絡チャンネルを通じて9日の会談の実務協議を続けた。韓国側は6日に、会談の首席代表を趙明均統一部長官にし、千海成(チョン・へソン)統一部次官と盧泰剛(ノ・テガン)文化体育観光部第2次官、金起弘(キム・ギホン)平昌冬季五輪・パラリンピック組織委員会企画事務次長らを派遣することを北朝鮮に提案した。

 韓国のこれまでの会談代表団は、長官が首席代表を務める場合は、代表団は室長や局長を入れるのが通例であったが、次官を2人も入れるのは異例で、韓国側がこの会談を重視していることを示した。

 北朝鮮も7日、5人の代表団名簿を韓国側に通告してきた。首席代表は予想通り祖国平和統一委員会の李善権委員長、残り4人の代表は田鍾秀(チョン・ジョンス)祖国平和統一委副委員長、元吉宇(ウォン・ギルウ)体育省次官、黄(ファン)チュンソン祖国平和統一委部長、李(リ)ギョンシク民族オリンピック組織委員会委員だ。韓国側の代表団レベルに合わせ、次官級を2人含ませた代表団となった。

 北朝鮮の祖国平和統一委員会は、朝鮮労働党の外郭団体として1961年に結成された、北朝鮮の各党、各社会団体、個人を網羅した対南組織である。従来は朝鮮労働党統一戦線部の外郭団体であったが、2016年6月の最高人民会議第13期第4回会議で「国家機関」となった。祖国平和統一委員会を党の外郭団体から国家機関に改編したのは、韓国との南北対話に備える措置と見られた。韓国側が統一部長官を会談に出しても、北朝鮮の内閣にはそれに相当する機関がなく、いつももめてきた。祖国平和統一委員会が国家組織になったことで、その委員長は閣僚クラスとみられ、統一部長官のカウンターパートとなると見られていた。

一気に「共同報道文」合意に

 1月9日に開催された南北高位級会談の合意内容は前回冒頭で述べたが、ここでは改めて会談の進展状況を見てみよう。

 随行員や記者団を含めた北朝鮮側一行は、午前9時半に板門店の軍事境界線を越えて韓国側地域に入った。5人の代表団には入っていないが、一行の中に南北対話の専門家である孟(メン)ギョンイル党統一戦線部副部長がいて注目された。豊富な経験をもとに会談代表へのアドバイスと平壌への報告を担当、会談の司令塔の役割をすると見られた。

 午前10時に始まった会談は、メディアに公開された冒頭の南北双方の挨拶で始まり、その後、非公開で南北双方が基調演説を行い、同11時5分にいったん終了した。その後11時半から同12時20分まで首席代表協議が行われた。

 北朝鮮側は昼食のために板門店の北側地域に戻り、会談は午後2時半から再開されたが、これには首席代表は参加せず4代表での協議を3時半まで行った。そして休憩を取り、4時33分から同50分まで2回目の4者協議を行った。双方の基本的な立場が近づいたことを受けて、6時25分から40分まで3代表で共同報道文の文案調整が行われ、さらに3代表で7時5分から25分まで2回目の文案調整を行った。その上で午後8時5分に全体会議を行って文案に最終合意し、同9時前に終了した。

 約2年1カ月ぶりの南北会談だけに、南北が1回の会談で合意に達するのは無理ではないかという見方もあったが、南北は一気呵成に合意に至った。その背景には、平昌五輪参加を既成事実化し、南北関係を一気に転換しようという北朝鮮の思惑があった。

韓国は赤十字会談と軍事当局者会談を提案

 韓国代表団の千海成次官によると、韓国側は基調演説で、北朝鮮に平昌冬季五輪へ多くの代表団を送るよう要請し、開会式などでの共同入場や共同応援などを提案した。

『聯合ニュース』がこれを北朝鮮側が提案したと誤って報じ、その時間が夕刊締め切りぎりぎりだったために、一部の日本のメディアも「北朝鮮が提案」と誤報してしまった。

 韓国側は旧正月(2月16日)に離散家族の再会を実現するため、赤十字会談を開くことを提案。さらに、南北の軍事的な緊張緩和のために軍事当局者会談開催を提案した。いずれも、韓国政府が昨年7月に提案したものだった。

 さらに韓国側は「相互尊重を土台に協力し、韓半島でお互いに緊張を高める行為を中断し、早急に非核化など平和定着のための対話再開が必要」と主張し、北朝鮮に非核化のための対話に応じるように求めた。

 北朝鮮側は、平昌冬季五輪に高位級代表団、民族オリンピック委員会代表団、選手団、応援団、芸術団、参観団、テコンド師範団、記者団を送ると明らかにし、公式に平昌五輪参加の意思表示を行った。北朝鮮は8つの範疇の代表団を派遣するとしたが、数百人規模になると見られた。民族オリンピック委員会という団体は初めて登場した団体で、実態がよく分からない。また、北朝鮮が美女軍団などと呼ばれる応援団を韓国に送り込んだことはあるが、芸術団の派遣は初めてになる。金正恩党委員長の肝いりでつくった牡丹峰楽団が韓国入りする可能性も出てきた。

 千海成次官は、北朝鮮側が「朝鮮半島の平和を保障し和解と団結を図り、問題を対話と交渉を通じて解決していくよう述べた」としたが、北朝鮮が米韓合同軍事演習の中止など敏感な問題について具体的に主張したかどうかについては言及を避けた。

 しかし、趙明均統一部長官は会談終了後の会見で、北朝鮮側が「米韓合同軍事演習の中止やそのほかの問題について既存の立場を会談中にわれわれに説明した」と語り、北朝鮮が演習の延期を評価しつつも米韓合同軍事演習の中止を求めたことを認めた。しかし、北朝鮮側は米韓合同軍事演習の中止を平昌五輪参加の条件とするような強硬姿勢ではなかったようだ。

「核は米国を標的にしたもの」

 南北高位級会談は約10時間に及んだが、最後の会議はプレスに公開され、記者の質問も受けた。

 北朝鮮の李善権委員長は「恐らく北と南の会談の歴史で今日のように短時間で民族が願う共同報道文を採択したことはなかった」と成果を自画自賛した。しかし韓国メディアが、会談で核問題が協議されたと報じたことに対して「理解できない」と不満を表明。李委員長は「われわれが持つ原爆や水爆、ICBM(大陸間弾道ミサイル)は徹底して米国を標的にしており、同族(韓国)や中国、ロシアは狙っていない」と強調し、核問題は南北会談の議題にならないとした。韓国、中国、ロシアを核で攻撃しないとは言ったが、日本への言及はなかった。

 北朝鮮の李善権委員長は会談を終えて板門店の北側へ帰る途中、韓国側記者団からの「非核化は議題ではなかったのか」との質問に対して「そうだ」と答え、非核化に対する北朝鮮の立場は何かという質問を受けると「また誤報をしたいのか」と苛立ちを示したりもした。

 今回の「共同報道文」には含まれなかったが、北朝鮮側は会談の場で、黄海の軍事当局者間のホットラインを復元したと韓国側に説明した。これは、偶発的な衝突時の紛争拡大を防ぐためにも重要な措置であった。

 李委員長は軍ホットラインの復元の理由について聞かれ、「最高首脳部の決心に従ってやったこと」と語り、軍ホットラインの復元が金正恩党委員長など「最高首脳部」の指示によるものであることを明らかにした。

南北で異なる「共同発表文」

 北朝鮮の党機関紙『労働新聞』は1月10日付4面下段で南北高位級会談を報じた。写真は掲載されているが、比較的地味な扱いである。興味深いのは、発表した「共同報道文」の細部で、南北で別の表現が使われていたことだ。

 各分野での会談を行うとした第3項では、北朝鮮は「北と南は北南宣言を尊重し、北南関係で提起されるすべての問題をわが民族同士の原則で対話と交渉で解決していくことにした」とした。

しかし、韓国側が発表した「共同報道文」では「わが民族同士の原則で」という言葉はなく、「わが民族が韓半島の当事者として」という表現になっていた。

 北朝鮮は「わが民族同士」という言葉を、朝鮮半島問題への外国勢力の介入拒否の原則として、政治宣伝してきた。韓国側は、こうした北朝鮮の政治宣伝利用という批判を避けるために、異なる表現にしたと見られる。

 また、韓国側の発表では「平昌冬季オリンピック競技大会」となっているが、北朝鮮側の発表では「第23回冬季オリンピック競技大会」とし「平昌」という固有名詞を排除した。

 南北間の合意文書が韓国では「南北」、北朝鮮は「北南」と表現するのはよくあることだ。だが、「共同報道文」という名の下に発表した合意文書の文言が、南北で異なるというのも奇妙なものだ。南北関係がそれだけ微妙で、また特殊であることを示すことになった。(つづく)

平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2018年1月12日
より転載)