私は幼いころから、しっかりと自分の意見を言える人間になりたいと思ってきた。
本を執筆したり、講演会に講師として招かれるような父と母のもとで育てられ、7人兄弟の我が家では、お正月に一人一言抱負を発表する儀式もあった。
高校、大学、大学院を欧米で過ごしたのも、ストレートに意見を交わす文化に憧れたからだし、新聞記者になったのも、自分の想いを社会に伝えられる人間になりたいと思ったからだ。そして、記者を辞めてからも、ずっとブログを書き続けている。
しかし、私にとってとてもとても大事だったはずの、この「言葉の発信力」が、自分が瀕死の状態に陥った時、全く無意味なものになるということを思い知った。
昨年9月に妻が長男出産後に大量出血で亡くなった時、多くの友人が助けの手を差しのべてくれた。その中でも、一番ありがたかったのは、何も言わず抱きしめてくれる人や、「お邪魔します」と私の家に毎日足を運び続けてくれる人だった。
最初は「これ頼んだら迷惑だろうな」と思って躊躇することも、継続して寄り添ってもらえると、「次、来るとき水買ってきてもらえますか?」と甘えられるようになっていった。
「(病院の過失を訴える)訴訟は起こさないほうがいい」とか「この件についてはブログに書かないほうがいい」とか「奥さんの難民支援の意思を引き継いで、これからも難民支援に携わるのですよね」とか、「泣いていいんだよ」とか、「毎日、遺影に向かって話かけなさい」とか「育児日記を付けなさい」とか、私のためを想って言ってくれているのはわかりつつ、「あなたに今の私の気持ちなんて理解できるわけない。お願いだから一人にしてーー」と心の中で叫んでしまった。
「今後、仕事はどうするの?」とか「将来、国連に戻るの?」という質問さえ、次の日の朝、ベッドから起き上がれるかどうかもわからない私にとっては苦痛だった。
ソーシャルメディアが発達で、ツイッターを駆使したトランプ氏が大統領になったりと、個人の発信力がこれまでにないほど社会に影響力をもちつつある。
一方で、「私、ネットで発信するの苦手なんだよね」と言う友人に何度も出くわした。
その都度、「発信したいことがないなんて問題意識がない証拠」とか心の中で見下してきたけど、今回、私を救ってくれた人のほとんどは、ブログやツイッターとは無縁の人たちだった。逆に「○○したほうがいい」と私に言ってきた人の多くは、ブログをやっていたり、フェイスブックに頻繁に投稿していたり、講演会をやっていたり、シンポジウムでパネリストを自発的にやっていたり、要するに私みたいな人間だった。
悲劇が言葉を無意味にさせることを痛感し、「ネットで発信するの苦手なんだよね」と言葉以外の発信手段を重視する人が劣等感を抱くような社会にだけはしたくない。
本当にどん底に落とされた人たちを救うのは、言葉じゃないのだから。