まずはじめに、私自身はクリスチャンです。今までもずっと、そしてこれからもずっとクリスチャンでしょう。そして、美しいイギリス人女性ミーガンと同性婚をした、幸せなレズビアンの女性でもあります。2015年6月にアメリカの連邦裁判所で同性婚を憲法上の権利として認める判決を下してから、これまでに想像なかったほど、人々の醜い声をたくさん耳にしました。パートナーとイギリスに移住してから、自分自身が本当に無知だったことに気づきました。数日間に渡って、いわゆる南部に住んでいるアメリカ人の友だちによって、私のニュースフィードやソーシャルメディアが妨害されたのです。私はとても恐ろしく思っています。
もちろん、全ての人たちが同じような反応をしたわけではありません。素晴らしい牧師の方々からのサポートも含め、南部のクリスチャンの人たちから、ポジティブな反応をもらいました。しかし、私のニュースフィードには、たくさんのレインボーカラーの画像とと
もに、憎しみにあふれたコメントもあり、ひどく悲しい気持ちになりました。
私がわからないことは、いたってシンプルです。「なぜ、同性婚がそれほど気に入らないのか?」ということ。もしあなたが同性婚によって気分を害されたからといって必要もなく大騒ぎするなら、ちゃんと自分自身の人生と向き合い、ちょっと勉強したほうがいいでしょう。
「同性婚がおかしい」というたった1つの理由が、宗教上の罪で「聖書が駄目と言っているからだ」であれば、あなたが卵と一緒にベーコンを食べたり、エビをたらふく食べたりしていないことを心から願います。ええ、もっといい例えをするなら、あなたはタトゥーを入れている? 今までに酔っぱらったことはある? 小さな嘘をついたり離婚したことは? ......あるって? それらはすべて罪です。罪は等しく罪でしょう? これらのどの罪をとっても、顔も真っ赤にして怒る人はいないし、ましてや抗議やプロパガンダの矛先となることはありません。ただ「賛同しかねる」という理由だけで――私たちには賛同しない権利もありますが――LGBTのコミュニティーをそのように捉えることは全くもって恥ずかしいことです。もし全ての罪が同じように扱われたらどうでしょう? 豚肉のベーコンを食べた人は、みんな死ぬことになります。
ですから、もし同性婚や"同性愛"が、あなたの人生や暮らしに直接影響しないのであれば、なぜそれにあえて関わる必要があるのでしょう? 率直に言えば、なぜあなたと全く関係ないことを心配する必要があるのでしょう? 例えば、私はまだ離婚はしていませんが、知り合いには離婚している人はたくさんいます。けれど、その人たちをそのことで判断しようとは思いません。他人を、その人たちの生き方で判断するようなことはしてはいけません。あなたが私たちの同性婚に賛同できないのなら、あなたは同性婚をしなければいいのです。シンプルです。
あなたが考えていることはわかります。「もし、LGBTのコミュニティーが自分たちの権利のために立ち上がるならば、クリスチャンも、自分たちの権利を求めることはできるだろう?」ということですね。誰にも信じる物のために立ち上がる権利があります。その質問に対する答えは、「大いにイエス」です。キリスト教と同性愛の権利は、いつも衝突してしまいます。
幸運にも、イギリスでは2010年に平等法が成立し、同性愛者の権利が支持される場面を目にしてきました。例えば、同性カップルが、オーナーがクリスチャンだという理由で、不当にB&B(イギリスの小さな宿泊施設)を追い出され、看護師がレズビアンの同僚に「同性愛は罪だ」と言ったことで不当に解雇されたこもありました。これらの争いが完全に終わるとは思っていませんが、もう少し争うのなら一生懸命に争ったほうがいいと思います。
本当に、そんなことに自分の時間を費やす価値があるのですか? 憎しみを表すよりも、優しさと許容をその時間を宛てた方がいいのではありませんか? それこそがクリスチャンとしてあるべき姿ではないでしょうか? 自分の正当性を保つために、他人をジャッジして生きかたを説くのはあなたの務めではありません。しかし、(判決によって)LGBTコミュニティーの権利は認められ、私たちに自由と、他の人たちと同等の権利を与えてくれました。もし私とパートナーがアメリカに戻ると決めたら、この権利を自由に使えてどの州にも移れるということです。あなたの同性愛に対する憎しみは、不当かつ不公平なのです。間違っても、私に対して聖書の引用などしないでください。あなたは実際、最初に読みたいものかもしれませんが。
全ての同性愛を認めない人たちに聞きたいです。例えば、もしあなたが離婚経験があったり、血の繋がらない子供がいたりする理由で、全ての権利が剥奪されたらどんな気分ですか? そのせいで他人に判断されたり、地獄に落ちるなどと言われたらどんな気持ちになりますか?
クリスチャンとして、私は心から、神は間違っていない、何百万もの同性愛者(や動物たち)を作ったのは偶然ではない、と信じています。私たちが存在するには何かしらの理由があって、誰もあなたに嫌な思いをさせてはいけないのです。むしろ、私と神との関係はこれまでよりも良くなっています。絶対に地獄には落ちることはないですし、そして自分の生きかたも間違っていないと思っています。クリスチャンであり、かつ同性愛者である人がいることをわかってもらうことは、とても重要なことなのです。どちらか一方を選ぶ必要はありません。2014年に同性愛者であることをカミングアウトした、クリスチャンの歌手ヴィッキー・ビーチングのような、尊敬できるロールモデルのような人が増えていく必要があるでしょう。
そう、親愛なるクリスチャンのみなさん、、全てのクリスチャンのみなさん、どうか余計なおせっかいをしないでください。お願いですから、私やLGBTコミュニティーの人たちを指さす前に、自分の手が汚れていないかを確認してください。アーメン。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。