静岡県静岡市の用宗(もちむね)港は、しらす漁で有名だ。周りには高い建物がほとんどなく、休日には家族連れが釣り糸を垂らす。
2019年9月、そんなのどかな漁港のすぐそばに、イスラム教の礼拝施設「静岡マスジド」が完成した。
のんびりとした港町に建てられたモスクは、決して全ての周辺住民から歓迎されているわけではない。だが、建設に尽力してきた日本人ムスリム(イスラム教徒)のアサディみわさんは、この施設を拠点にイスラム教への偏見を解いていきたいと意気込んでいる。
■モスクの中に入ってみた
モスクの建設を主導したのは「静岡ムスリム協会」。2010年の発足当時から、アサディさんは代表で夫のヤスィンさんたちとともに構想を練ってきた。
静岡県は横に長い。県西部と東部にモスクがあるものの、地理的に遠い静岡市や周辺自治体に住むムスリムにとっては礼拝や情報交換の場が十分ではなく、賃貸ビルの一室を使っていた。
「生活に密着した施設なので、ムスリムにとってなくてはならない存在です。
特に、日本で生まれ育っていく(ムスリムの)子供たちも多いので、モスクが自分たちにとって故郷の一部になるような、大事な施設になると思います」アサディさんは、身近な場所にモスクがあることの重要性を強調する。
白を基調に金色の装飾が施された荘厳な施設だ。正面にある男性専用の青い扉から中にお邪魔した。中は140平方メートルほどのホール状で、照明が温かい雰囲気を演出している。最大160人程度のキャパシティがあるという。礼拝前のウドゥ(お清め)をするための洗い場もある。
2017年着工。土地取得や建設の費用には世界中のムスリムからの寄付が使われた。
■テロ、そして逆風
ただ、モスクができるまでの道のりは決して平坦ではなかった。いや、今もモスクは全ての周辺住民から歓迎されている訳ではない。
アサディさんは、建設までに説明会を開くなどして周辺住民の声を聞いてきた。賛同する住民もいた一方で、「白紙に戻してくれ」とか「外国人が町を歩くのは嫌」など、嫌悪感を示す意見も寄せられたという。
アサディさんたち日本に暮らすムスリムは、これまでにも「怖い存在」として扱われることがあった。2016年7月、バングラデシュ・ダッカでレストランが襲撃されるテロ事件が起き、日本人7人を含む多くの人が犠牲になった。イスラム教過激派に感化された非合法組織の構成員が事件を起こしたとみられ、日本国内のムスリムへの風当たりも強まった。
アサディさんたちの元にも「日本からでていって」「うしろからバットでなぐる」などと書かれた脅迫文が届いた。
「『言葉の暴力』と言いますが、物理的な暴力じゃなくたって言葉で人を傷つけることは十分できる、というのは当たり前のこと。
罪の意識というか、これが暴力になるんだとか、こういった言葉が差別になるんだ、という意識が今の日本では薄いのではないかと思います」とアサディさんは振り返る。
■等身大のイスラム教を
アサディさんは、「ムスリム」と「日本人」両方の文化を知る一人として、高校でイスラム教についての特別授業を行うなど、偏見を解くための活動を続けている。
今回完成したモスクは、ムスリムたちが集まるための施設だ。だが、地域の人たちに等身大のイスラム教の姿を知ってもらうためにも役立てる計画だ。
「まず最初に考えているのは、一般公開をして地域の皆さんに来ていただくことです。モスク見学ツアーという形でプレゼンテーションするとか...お祭りですよね。
お祭りを通じてわいわいと人が集って、その中でお互い楽しむ、知り合う、そして垣根を越えていくことが可能になるのではないかと思います」
法務省在留外国人統計によると、ムスリムが多くを占める国の出身者は年々増加している。例えばインドネシア人は2018年末時点で5万6000人あまりと、5年前より倍増した。パキスタン、マレーシア人なども増加している。
日本各地でムスリムが増えていけば、礼拝スペースの需要も高まる。アサディさんたちが経験した地域との軋轢は、静岡だけの問題ではない。
アサディさんは、異なる宗教や文化を持つ人が地域に定住し始めたとき、まずは同じ一人の人間として接して欲しいと呼びかける。
「今まで、日本は単一民族国家だと考えられてきた部分があると思います。
だから外国人はアウトサイダーやエイリアンみたいに(扱われることもあった)。でも今は、もう、そうじゃないですよね。
ここ2、3年で「何が日本人か」という意識が顕著に揺れ動いていると思います。大坂なおみさんや八村塁さん、陸上の選手も(注目されている)。日本語が喋れるとか、日本国籍なのか、それともアジア人の見た目じゃないといけないのか。それらを突き詰めていくと『日本人』(という概念)はあってないに等しいというか。
だから、何人ではなくて相手を『人』と見て受け入れ、尊重する。その人は、その人の人格で生きているから、『外国人』じゃなくて『ここに生きている一人の市民』という意識で見て欲しいです」
イスラム教の文化とはあまり縁のなかった港町に建てられたモスク。これまでの町のイメージにマッチしているとは言い難いかもしれない。「近所の人が覗きに来てくれるのも大歓迎」と話すアサディさんだが、これからの道のりも険しいはずだ。
それでも、アサディさんはどこまでも前向きだ。触れ合う機会を重ねていくことで、徐々に誤解や偏見が消えていくことを信じている。
「チャンスを作って、無理なく来てもらって、無理なく交流することが第一の取り組みですよね。今回マスジド(モスク)ができた1つの意味だと思うんですけど、子供たちに社会科見学で来てもらって、見てもらって、家庭で話してもらうとか...地道な取り組みで地域の人たちの思いは絶対変わってくると思います」