先月9日、NHKのニュース番組「おはよう日本」で報じられた資生堂の勤務制度が話題になっている。時短勤務で働く母親に厳し過ぎる、もう資生堂の化粧品なんて買わない!という反応まで見られる。
「資生堂ショック」と番組では紹介されていたが、女性が働きやすい企業として、就職人気企業ランキングで常に上位にある資生堂で何が起きているのか。
■本人に「選択の権利」は無い。
元々は昨年4月に産休・育休から復帰する女性に向けて、これまで夕方に帰る事が出来る早番の勤務シフトを優先して認めていたものを、今後は勤務地も勤務時間も会社側が決める、という通達を出したことが発端となっている。これはすでに随分前から各種メディアで報じられていたが、NHKで放送された事であらためて話題となったようだ。
復帰予定者に届けられるDVDでは「働く時間 や曜日、場所は会社が決定し、本人に選択する権利はない」という就業規則の原則が改めて説明されている。なんとも厳しい表現だ。
働くお母さんにこんな仕打ちをするなんて酷い、と資生堂への反応は散々だが、この制度変更の背景には売り上げの減少や他の社員の不満が背景にあるという。
■遅番を強要される側の不満が溜まっていた?
資生堂の化粧品売り場において、時短勤務で働く人が夕方には帰ってしまうことで、仕事帰りの女性で混雑するタイミングに人手が足りなくなり、かきいれ時に売上のロスが生じている状況が発生していた。これだけが原因ではないというが、時短勤務取得者の増加と売り上げの減少は相関しているように見えるグラフが番組では紹介された。
時短勤務取得者が常に平日の早番ならば、多忙な時間帯である遅番と土日で特定の人が働く事になってしまい、不満が溜まることになる。これらの状況を改善すべく勤務体制の変更に着手し、本人の状況もある程度考慮しながら遅番や土日勤務にもついてもらうことにしたという。
制度を利用する以上、本人にも一定の努力をしてもらう、という事のようだ。先ほど紹介したDVDには制度に甘えないようにといった趣旨の発言も役員からあったという。
さて、これは資生堂が酷い事をしているのだろうか。各種データを見ればとてもそんな状況ではない事が分かる。
■従業員の8割が女性、育休・時短勤務取得者は1000人超。
化粧品という商品の特性もあるが、資生堂で働く従業員の約83%は女性だ。そして国内の資生堂グループで働く従業員23870人のうち、育休取得者は1421人(5.9%)、時短勤務者は1882人(7.65%)となっている(資生堂 人事関連データより2015年、2014年の実績)。
この数字は他の企業と比べて極めて高い。やや古い数字になるが、東洋経済オンラインの「育児休業取得者数トップ100」によれば、2011年に育休取得者が1000人を超える企業はわずか3社しかない。三菱UFJフィナンシャルグループ(1503人)、みずほフィナンシャルグループ(1185人)、日本生命保険(1054人)だ(育休取得者数、トップは三菱UFJの1503人 東洋経済オンライン 2013/01/30より)。
そしてこれら企業の従業員数はそれぞれ約5.4万人、10.8万人、7万人と資生堂と比べて何倍も多い。他の上位にランクインする企業の中には10万人を超える企業も多数ある。加えてランキング上位の業種は多くが製造業や金融業だ。
資生堂のような小売り、あとは飲食・サービス業など、店舗に多数の人員を配置する必要がある業種はごくわずかである(集計範囲の違いか、東洋経済のランキングでは資生堂は183人となっているが、公式データでは2011年時点でも1000人を超えている)。
資生堂の規模や業種を考えても、1000人を超える育休取得者は驚異と言っても良い。そして育休取得者はそのまま100%復帰している。これも働きやすい職場である事の証明だと言えるだろう。
例えば10万人を超える従業員を抱えるみずほFGで、資生堂のように5.9%の育休取得者や7.65%の時短勤務者が発生したらどうなるか。人手不足で業務がパンクするのではないか。この数字だけを見ても資生堂が従業員の働く環境に力を入れていることがわかる。
■問題が起きた原因は時短勤務を取得しやすくしたから。
元々、今回の制度変更の発端は2007年に当時の社長が店頭に立つ美容部員にも時短勤務制度の利用を勧めた事がきっかけで、それ以前の利用率は低かったという。つまり利用者が増加したために変更が迫られたわけで、これ自体は多くの人が制度を利用出来ている証拠でもあり、決して悪い状況では無い。残念ながら制度が利用者の増加に追い付かなかったという事なのだろう。
制度の改善策としては多忙な時間帯に働く人の給料を増やすなど、やり方は他にもあると思うが、当然それらの対応をやりつくしてもなお人員の確保に困り、冒頭にあるような一見厳しい対応をせざるを得なくなったと思われる。
資生堂HPの「働きがいのある職場の実現」というページでは、中小企業はもちろん、他の大手企業でも導入していない、あるいは導入が難しくコストもかかる制度を多数実施している事が分かる。代替要員として、2007年からはカンガルースタッフという制度も導入している。
一企業がここまでやってそれでもなお時短勤務者の増加に苦慮するのであれば、あとはもう国の役目だろう。
■保育園の延長で働ける環境を。
時短勤務者が夕方に帰ることができる早番を希望する理由は、保育園の迎えの時間があるからだ。資生堂のお店があるような百貨店が閉店するのは夜の8時や9時だ。この時間まで働けば帰宅時間は午後10時位になるだろうか。そこまで延長保育を実施している保育園はごく一部だ。
しかし、現実にはオフィスで働いてもそれ位遅くなることは普通にあり、小売り・飲食であればこれと同等、あるいはもっと遅くまで働くケースもあるだろう。一般的な保育園の終わる時間は多くの働く人の勤務時間と全くと言って良いほど合っていない。
もちろんそんな遅くまで子供を預けて働くべきか?という問題は当然あるが、これを完全に否定するのであれば、多くの人は仕事帰りの食事や買い物を諦めなければいけない。
資生堂の化粧品なんて二度と買わない!と宣言をしている人は仕事帰りに化粧品を買った事は無いのだろうか。もしふらっと寄った資生堂のお店で店員が足りずに待たされたら、他のお店に行ってしまわないのか。
あるいは仕事帰りに買い物や食事が極端に制限されるような状況を望んでいるのか。それはそれで一つの考え方だが、ほとんどのお店は従業員のために夕方には閉店します、といった選択肢は取れない。そこを支えるために保育園があるはずだ。
■子供を預けて働くのはかわいそう?
さすがに最近では減ってきたと思うが、いまだに子供を預けて働くなんて可哀そうと考える人もいる。考えるだけならば自由だが、それを押し付けられたら今の夫婦は生活が出来ない。
病児保育で有名なNPO・フローレンスの駒崎弘樹氏は、フローレンスのおかげで子供が病気でも仕事を休まずに済んでいるので正社員になれた、昇進できた、という利用者の声を紹介している。
おそらくこれも違和感を覚える人、とんでもないと文句を言いたい人も多数いるだろう。子供が病気で苦しんでいるのに働くなんておかしいと。しかし、子供が病気だからと頻繁に休むようでは仕事を続けることは難しい。
そして仕事を辞めてしまえば子育て費用は捻出できなくなる。なにより、病気の子供を預けて働きに出る親が何も感じていないわけがない。夜間保育の拡大も病児保育と同様に批判されるだろうが、多くの夫婦が子育てと仕事の両立に四苦八苦している中で、需要のあるサービスだ。
■時短勤務の方がキツイという矛盾。
自分は普段ファイナンシャルプランナーとして住宅購入の相談に乗っているが、時短勤務中の母親の話を聞くことは非常に多い。家を買うタイミングは子どもが小学校入学前である事が多いからだが、時短勤務はかえって辛いという人は少なくない。
短時間でフルタイム勤務と同じ成果を求められ、その一方で給料は早く帰る分だけ減らされる。しかも同僚が残業で遅くまで働いている中で定時より早く帰る肩身の狭さまで加わる。
もう辞めてしまおうか、それでも辞めたら家は変えないし教育費は大変だし......と両立に悩んでいる。これも保育園が遅くまで子供を預かってくれるのなら、かなり改善される問題ではないか。
夜間保育も病児保育も批判があったとしても、あくまで当事者である夫婦が選択すべきだ。そして現在の選択肢すらほとんどない状況を改善すべきであり、資生堂は酷い、二度と買わない、などと一企業の努力を超えた問題で責任の全てを押し付けるのはお門違いだろう。
■資生堂は何故取材を受けたのか?
このように見ていくと、資生堂で問題が発生している事は間違いないが、その原因は従業員の待遇を改善したこと、そして制度の利用者が増えたことであるのは明らかだ。急激に産休・育休・時短勤務の取得者が増えている状況で、これは多くの企業にとって近い将来の姿だと言える。決して他人事ではないはずだ。
今就職活動をしている学生にとって、産休・育休・時短勤務は取得できて当然、取得できないような企業はそもそも眼中にない、という位の意識になっている。特にどの企業も欲しがるような優秀な学生ほどそういった意識は高いだろう。寿退社や出産による退社はもはや昔の話になりつつある。
資生堂はNHKで報じられる事によって、今回のようなマイナスの反応がある事は十分予想できただろう。それでも包み隠さず取材を受けた理由は、試行錯誤している自社の状況を広く伝える事が、短期的にマイナスが発生しても意義のある事だと考えたのではないか。
女性活用のトップランナーを走ってきた企業として、そして化粧品という女性に支えられたビジネスを展開する企業として、責任を全うすべきと考えたのではないか。
資生堂はCSR(シーエスアール・企業の社会的責任)で従来から評価は高く、世界で最も倫理的な企業・World's Most Ethical Companies 2015で選出された21ヶ国・132社の中の一社に名を連ねている。短期的な利益だけを考えている企業がここまでCSRに力を入れる事は無い。
もちろん、現場で働いている従業員にとっては制度の改悪でもあり、たまったものじゃないという意識もあるかもしれない。資生堂に限らず、過度期にぶつかっている多くの働く母親にとっては良い迷惑だと思うが、少なくとも状況は少しずつ改善している。
10年前と比べて、育児休業取得者は60%台から80%台へと、20ポイントも改善している。一方で急激な変化による歪みが先頭を走る企業に発生したのは皮肉ではあるが、ある意味で当然のことだ。
今後も同じような事例が出てくることは確実だろう。問題の原因がどこにあるか、冷静な議論を望みたい。
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中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー