城崎勉容疑者を逮捕 「ダッカ事件」超法規的措置で出国の日本赤軍メンバー

1986年にインドネシアの日本大使館などに砲弾が撃ち込まれた事件で、警視庁は2月20日、日本赤軍メンバーの城崎勉容疑者(67)を、建造物等放火未遂、殺人未遂の疑いで逮捕した。
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時事通信社

1986年にインドネシアの日本大使館などに砲弾が撃ち込まれた事件で、警視庁は2月20日、日本赤軍メンバーの城崎勉容疑者(67)を、建造物等放火未遂、殺人未遂の疑いで逮捕した。朝日新聞デジタルなどが伝えた

城崎容疑者はアメリカの刑務所で服役していたが、2015年1月に釈放されて強制退去処分となり、2月20日に成田空港に帰国したところだった。

城崎容疑者は、徳島大学を中退。武力闘争で共産主義革命を達成するとの方針を掲げる「共産主義者同盟赤軍派」に所属し、活動資金を得るため1971年に千葉県や神奈川県の郵便局や銀行で相次いで強盗事件を起こし、1974年4月に懲役10年の刑が確定していた。

しかし府中刑務所に服役中の1977年9月28日、「ダッカ事件」が起きる。

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ダッカ空港に着陸した日航機。1977年09月28日

パリ発東京行き日本航空機がインドのボンベイ空港を離陸後、短銃や手りゅう弾で武装した日本赤軍の5人にハイジャックされ、バングラデシュ・ダッカ空港に着陸した。乗客142人、乗員14人を人質に取った犯人グループは、城崎容疑者や過激派ら9人の釈放と身代金600万ドルを要求した。

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超法規的措置の責任をとって辞表を提出した後、会見する福田一法相(左)(東京・千代田区の法務省)撮影日:1977年10月04日

日本政府は「人の生命は地球より重い」と「超法規的措置」での釈放を決めた。3人が出国を拒否したが、城崎容疑者ら6人が10月1日に出国。城崎容疑者はその後、日本赤軍に合流し、レバノンのベカー高地などパレスチナ・ゲリラのキャンプで戦闘員として活動していたとみられる。

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報道陣が待ち構える中、次々と日航護送機に乗り込む奥平純三ら6人の釈放犯(東京・羽田空港) 撮影日:1977年10月01日

その後しばらく、日本赤軍の動向は表面化していなかったが、1986年5月21日、ジャカルタのプレジデントホテルから、日本大使館やアメリカ大使館に手製の砲弾が計5発撃ち込まれたほか、カナダ大使館でもレンタカーに仕掛けられた爆弾が爆発し、運転手らがけがをした。現場から城崎容疑者の指紋が検出され、警察庁やアメリカの捜査当局が国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配していた。

1996年9月21日、ネパールの首都カトマンズで、偽造旅券で入国しようとした容疑で身柄を拘束され、日本と同様に国際手配していたアメリカに引き渡された。殺人未遂などの罪で禁錮30年の刑が確定し、アメリカで服役していた。

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