格闘家の青木真也が10月13日、東京・両国国技館で『ONE Championship』のリングに上がる。2019年はONEで3月にチャンピオンベルトを巻きながらも、5月に敗北。リベンジマッチとなる今回は、決して有利な戦いではない。
青木のプレースタイルは批判を呼びやすい。相手の骨を折ったあと、中指を立てた2009年の「廣田瑞人戦」や、反則すれすれのやり方で戦った2010年の「長島☆自演乙☆雄一郎戦」などがそうだ。
「格闘技は俺にとって表現だ」と青木真也は言う。
うん…? 表現?
そういえば、最近はアート界での表現の自由が話題だ。
人と人が取っ組み合い、時には相手を傷つける格闘技が「表現である」とはどういうコトなのだろうか。ハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎が聞いた。執筆:石川 香苗子 ( @KANAKOISHIKAWA )
パンツ1枚でリングに上がる格闘技とは、表現である
――青木さんは30代半ばになってからも、積極的にリングに上がり続けています。なぜですか。
別に世界で一番になりたいからとか、殴ることが俺の存在意義だからとかじゃないです。俺はもともとプロレスファンだったんですけど、プロレスが紡いでいく物語にひかれて、その延長で格闘技をやっている感じなんですよね。
格闘技は暴力じゃなくて、パンツ1枚でリングに上がる表現だと思っています。
メッセージ性が強いし、己の人間性とか性格が丸ごと出る。びびってパンチを待っちゃうとか、逆に待ちきれずに打つべきじゃない時に打っちゃうとかね。
――青木さんは格闘技で何を表現しているのでしょう。
まずはビジュアル面で、2人の人間が真剣に組み合っていることが画(え)になる美しさがありますね。
それからメッセージとしては、同世代にエールを送りたいんです。俺は、今年36歳になったんですけど、同世代が抱える苦悩とか苦労って、格闘技の世界で自分に起こってきたことと同じなんですよ。
俺の同世代って、今まで日本で受け継がれてきたシステムではうまく立ち行かなくなってきているから、自分が先頭を切って変革していかなきゃいけなくて、その一方で優秀な若手がいっぱいいるので下からは強烈な突き上げをくらっていて。
俺は社会で頑張ってる人たちが出るよりひと足早く世の中に出て、20代でピークパフォーマンスが来てアメリカにもアジアにも行ったけど、今度はそれを見ていた同世代の人たちががんばって、いま、社会で大きな責任を負うようになってきた。
そういう人たちが「あの時、青木さんの姿に励まされました」って言ってくれるんですよね。そういう言葉に今度は俺が励まされてます。
試合前、観客に向けたストーリーを考える
――青木さんの試合は見ていると「ストーリー」を味わっているような気分になると言われます。意識していますか?
試合中は、完全にオートモードなので、リングの上で言語化するような思考の余裕は全くないですね。勝手に身体が動く状態にしているので。試合中に何か意思決定している時点で、負けてます。
だからストーリーを考えるのは、試合前。
もちろん相手がこちらのストーリーに乗らないことも織り込み済みです。試合じゃ、思わぬことだって起こります。
いきなりパンチをもらってしまうとか。もらわないのが理想ですけど、そういうアクシデントだって起こります。
ただ大事なのは試合をした後、ちゃんと説明できること。俺は再現性がない試合って嫌なんですよ。理屈があることを表現していきたいと思っています。
相手の腕を折って中指を立てるのも「コンテクスト」
――格闘技は暴力じゃなくて、表現であると。
格闘技は殴り合って人を傷つけるスポーツですから。ロックとかヒップホップみたいに反体制的なものであって、メジャーにはなりえない。
俺は権力とは“寝ない”姿勢を貫きたいですね。なんかね、俺ら身一つでパンツ1枚で闘ってるのに、権威におもねってるのなんてかっこ悪いじゃないですか。チャンピオンを獲ったやつが、ベルトと一緒に写真を撮るとか、名刺に「何とか級チャンピオン」って入れるとかね。
そんなことするぐらいなら、最初から会社に勤めてまじめに働いた方がいいですよ。
そういう面から考えると、北京オリンピックで柔道男子100キロ超級金メダリストの石井慧はすごいやつで、金メダリストっていうそれまでの栄光を全部捨てて格闘技の世界に来て、クロアチアに渡ったわけで。そういう生き方はかっこいいなと思います。
俺らのやってることって、芸事だから。芸事は善悪を超えたところに表現があると思ってます。
――善悪を超えた表現とは?
例えば試合の後、相手選手と握手をしないで終わるのも一つの表現だし、相手の身体をポーンと突き放して終わるのも表現だし。
俺はリングの上で握手して終わるのと、突き放して終わるのと、どちらがお互いの物語が続くのかってストーリーを考えてやっているつもりです。少なくとも、相手がどうであれ俺のストーリーは守るようにしています。
最近の表現の問題って、あくまでも芸ごとなのにそこに社会のルールをあてがって叩くじゃないですか。あれがやりづらいんですよね。
もっとドロドロした感情のぶつかり合いとか、憎しみとかいがみ合いを「芸事の中の表現」として見せたいのに、「こういうストーリーをみんな望んでるでしょ?」みたいな美しい表現の「型」ができちゃって。
試合が終わった後、仲良くインスタ?
あんなに試合前はバチバチに睨み合って罵りあって試合でもちゃんと殴り合ったのに、終わった後、インスタに仲良く握手してる写真が上がってるでしょ。なんか泣きたくなりますよね。
そういう流れにしろっていう圧力がすごい強いんですよ。いつの間にかそういうことを求められるようになっちゃって。
俺がDREAMに所属していた2009年『Dynamite!!』の廣田瑞人戦で、寝技で彼の右腕をキメて、骨折させてしまった試合があります。試合後に中指立ててアピールしてしまいました。
この試合についても、芸事、つまり非日常の出来事なんだから、皆がそれを一般社会のモラルで総叩きにするのはちょっと違うんじゃないかなという感覚もあります.…。
なぜ相手の腕を折って中指を立てたのか
――「相手選手の腕を折りながら中指立てていた」としても、芸ごとの中の善悪を超えた表現だからOKだと。
文脈っていう意味で言えば、あれはライバル団体同士の決着戦だったんですよ。互いに団体の看板を背負って、皆が感情的になっている中で必死で闘った結果なので。
とことんやってやろうって感じでしたし、自分の気持ちが思い切り発露された瞬間でしたし。あれは表現として後悔していません。あれだけを見て「青木って嫌なやつだ」って言われても、なんとも思いませんね。
――でもそれって、かなりハイコンテクスト(背景を理解するのがむずかしい)ですよね。ちゃんと現場に行って生で見るとか、最初から中継を見るとか見る側にもリテラシーが必要だと思います。SNSが発達してきた中で、そのコンテクストって理解してもらえますか?
そうなんですよね。そこを理解してもらうのが難しくて。俺だってPV数を稼ぎたいわけじゃないし、「ながら見」してるお客さんのためにやってるわけじゃないんで。
ちゃんとつくりあげたストーリーを丁寧に、熱心に見てくれる熱量のあるファンのために闘ってるんで。やっぱり、徹底的に惚れ込んで好きになることでしか、コンテクストは理解できないと思います。
格闘技をとことん好きになれば、「なぜ今、俺がこの文脈でこういう試合をしているのか」とか「この対戦カードにはどんな背景があるのか」とか全部突き詰めて調べたり、知ろうとしてるはずなので。
格闘技に「文脈」は必要か
――いつ頃からそういう「文脈のわからない」ファンが増えました?
地上波で放送するようになってからですね。「RIZIN」っていう格闘技を地上波で放送するようになって、Twitterにもインスタにも若いファンの子がコメントをくれるようになったんですよ。でも「この子たち、文脈わかってないなぁ」と思うことがあって。
例えば「青木さんは、那須川天心に勝てますか?」みたいな、階級もルールも無視した質問が来るんです。もちろん、俺は那須川天心とのボクシング対決企画をドタキャンしたことのある男だけど。
スマホ片手にテレビで見てるような1万人のファンよりも、声を枯らして見てくれる熱狂的で愛のある100人のファンに見てもらいたいと思いますね。
――あいちトリエンナーレも同じだと思うんです。芸術の外の対立やルールをアートに当てはめると、いろんな問題が起きる。
やっぱりね、これからは「芸術に愛のある層」と「物事すべて白黒つけなきゃ気がすまない層」に二極化していくんじゃないかと思うんですよね。
「芸術に愛のある層」っていうのは、さっき言ったいわゆる「文脈のわかる層」だし、わかってるヤツ。人間って曖昧なものだし、ストーリーの途中で白と黒がひっくり返ったりもする不完全なものだってことが理解できる層ですよね。
「白黒つけたい層」は、頭で考えずに、自分で調べもせずにわかりやすくて耳ざわりのいい大味なストーリーで見ている。
あいまいなものが人の心を揺さぶっていく
――より多くの人に自分のことを伝えるために何を大切にしていますか。
白黒はっきりしないことをお客さんにぶつけて、心を揺さぶることですね。
最近は試合で100点を取らなくてもいいんじゃないかなって思うようになりました。人って、モヤモヤしたものにドキドキするので。昔は例えば「格闘技世界一決定戦」の「猪木VSアリ」みたいに、猪木は寝転がってるばっかりで賛否がよくわからない試合とか、俺が「巌流島」の異種格闘技戦でやった無観客試合とか。
そういう「よくわからないこと」で、お客さんの心を揺さぶった方がいいと思うんですよね。だけど、今は8割方わかりやすく、善悪がはっきりしたような試合ばっかりになっちゃいました。
――今回の試合ではどんなストーリーを伝えたいですか。
今回はリベンジなので決していい立ち位置ではないんですけど、どんな状況でも淡々と眼の前にあることを一生懸命やり続けるということを伝えたいですね。20歳からやってきた俺の15年のストーリーを見て欲しいと思います。
――誤解されたとしても、表現をするんですか?
しますね。何かをつくりたいし、伝えたい。伝えたいことは確実に伝わると思うんですけど、ただ伝えるだけじゃなくて、もう一歩踏み込んで見る人の感情を大きく揺さぶりたいですね。
青木真也 AOKI SHINYA
1983年5月9日生まれ。プロ格闘技選手。修斗ミドル級チャンピオン。DREAM、ONEライト級チャンピオン。
現在はアジア最大の格闘技団体ONE CHANPIONSHIPのメイン選手として活躍。またプロレスラーとしてもDDTを主戦場に活動中。
2019年10月、格闘家をはじめとしたアスリートのマネジメントならびにコンテンツの企画・制作を行なう「株式会社青木ファミリー」を設立した。