「芥川龍之介全集を読む」その2
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引き続き芥川龍之介作品について書きます。

前回書きましたように、僕は芥川龍之介作品が大好きでこれまで15ほどの作品をアラビア語に翻訳し、新聞、雑誌、ネット上のサイト、自分のブログなどに掲載してきましたが、これまで僕の方針は、たとえ重訳でも既にアラビア語に翻訳された作品を避け、なるべくまだ翻訳されていない作品を翻訳することを心がけています。ところが、一つの芥川龍之介作品を翻訳のために調べているうち、既にアラビア語に翻訳された「藪の中」を再読しました。それに「藪の中」をもとに作られた『羅生門』という映画も再び見ました。

僕は子供の頃、『羅生門』という映画を大分前にエジプトの国営テレビで見たということははっきり覚えています。同じ頃に、ハリウッドでリメイクされた『七人の侍』の印象が記憶に残っています。

アラビア語に翻訳された「藪の中」を何回も読み返し、『羅生門』という映画を何回も見返した結果、アラビア語版に酷い誤訳がいくつかがあったのを発見しました。その誤訳の原因を調べたら、元になっている英訳版にあるということがわかりました。

例を挙げましょう。

旅法師は、「馬は月毛の、――確か法師髪の馬のやうでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ――何しろ沙門のことでございますから、その邊ははつきり存じません。」と証言しています。

それは英訳版ではこうなっています。

「Her horse was a sorrel with a fine mane. The lady's height? Oh, about four feet five inches. Since I am a Buddhist priest, I took little notice about her details.」

英語訳では(もちろん重訳のアラビア語訳でも)馬の丈は、真砂の身長になっています。しかし、その四寸という丈は、4尺4寸という意味で、英語訳だと4フィート5インチ、つまり計算すると133センチ位です。大人の女性の身長として妥当なのでしょうか。そもそも、その旅法師は馬に乗った真砂の姿しか目撃していないから、彼女の身長を把握するはずがありません。

もう一つの目立った英訳版の誤訳は、多襄丸の白状で「所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、氣違ひのやうに縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云ふのです。」と言っています。

それは英訳版ではこう訳されています。

「I was about to run away from the grove, leaving the woman behind in tears, when she frantically clung to my arm. In broken fragments of words, she asked that either her husband or I die. She said it was more trying than death to have her shame known to two men.」

つまり二人の男の(多襄丸か武弘か)どっちが死ぬべきだというところ、英語訳では、台詞は多襄丸の台詞になっているのであなたのところが、「I」になっています。それがアラビア語では、真砂か武弘か死ぬべきだと訳されています。

その他の細かいところがあり、僕はやはり「藪の中」を新たにアラビア語に新訳をしなければならないと決意に至ったのです。そして出来上がった僕の新訳と元々訳されたアラビア語の旧訳に、誤訳の元の原因となった英訳と日本語の原作を全部合わせて僕のブログに掲載しました。

そういうことをしている最中に面白いことを発見したのでご紹介します。

『羅生門』という映画は、1951年に日本の映画界初となるベネチア国際映画際の金獅子賞、同年アメリカのアカデミー名誉賞を受賞し、黒澤明監督(1910~1998)と日本映画の黄金時代が始まるきっかけとなりました。

『羅生門』という映画は、昭和25年(1950年)に、黒澤明監督が自身の11作目の映画として、芥川龍之介の短編小説「藪の中」の内容を映像化したものですが、黒沢監督がそれに同じく芥川龍之介の「羅生門」という短編小説のタイトルとその羅生門前の場所と平安時代という設定にしたのです。

ところがそういう事実を把握している人はあまりにも少ないです。ましてや海外の人々にはほとんど知らないと言っても過言ではありません。大体の外国人は「羅生門」という物語はあの映画だと思っています。『藪の中』の存在すら知らない人がほとんどです。

そういうことで面白い現象が起きています。日本語でも、ある出来事を巡って、当事者は違うことを言って真相がわからない状況を、芥川龍之介の『藪の中』に因んで、「真相は藪の中」という言葉が生まれたとされるように、英語では、同じ状況を言い表すときに、映画『羅生門』に因んで「真相は羅生門」あるいは「羅生門効果」(Rashomon effect)という言い方が生まれたのです。