文芸誌「新潮」が「新潮45」を異例の批判 「認識不足としか言いようのない…」

なぜ文芸誌が批判するのか?

LGBT問題に対する寄稿が批判され、休刊が決まった雑誌「新潮45」について、同じ新潮社が発刊する老舗文芸誌「新潮」が最新号で「人間にとって変えられない属性に対する蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現」と批判した。

10月7日発売の新潮11月号に矢野優編集長による編集後記として掲載された。新潮に寄稿する小説家からも「新潮45」を批判する声は多く、雑誌としての見解を示した形だ。

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新潮11月号表紙
Satoru Ishido

新潮45が休刊するまでの経緯

「新潮45」は8月号に自民党の杉田水脈衆院議員が同性愛者について「生産性がない」と記した寄稿文を掲載、さらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した擁護特集を組んだ。

特に「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」と宣言して書かれた、小川栄太郎氏による論考「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」は差別的であると批判を受けた。

社長が9月21日付けで「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったと認める声明を出し、その後休刊が発表された。

新潮が示した見解

新潮の矢野優編集長は小川論文について、「言論の自由や意見の多様性」を踏まえたとしても「差別的表現だと小誌は考えます」と表明した。その上で「差別的表現に傷つかれた方々に、お詫びを申し上げます」と謝罪した。

矢野編集長は批判とお詫びで終わらせず、さらに筆を進める。

「想像力と差別は根底でつながっており、想像力が生み出す文芸には差別や反差別の芽が常に存在しています」

優れた文芸作品は想像力を鍛え、差別をする/される側の精神の理解につながるとし、今後も文芸と差別の問題について考えていくと記した。

単純な善悪二元論に逃げずに考え続けるという宣言だ。

緊急掲載された小川榮太郎論

編集後記の宣言を実践するように、「新潮」11月号には作家・高橋源一郎氏による「『文藝評論家』小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」も「緊急掲載」された。

ちなみに高橋氏のTwitterによると、この評論と小川論文の校閲担当者は同じだったという。

高橋氏は小川氏の書籍を手に入る限りすべて読み、小川氏にはふたつの人格があると論じる。

純粋な文学青年として文学を深く愛してやまない「他者性への慮りを忘れない」小川榮太郎・Aと、「新潮45」に寄稿した論文を平然と書ける小川榮太郎・Bである。AとBは一人の人物の中で、お互いを全く知らないかのように存在している。

小川榮太郎のどこに泣けるのか?

その裏にある泣けてしまう悲しみとは何か。あれだけLGBTという「他者」に対して差別的論考を書きながら、一方で文学作品の中にある「他者性」に鋭敏に反応する彼の文章をどう読めばいいのか。一方的な断罪から距離を置き、小川氏の文章を批評する。

その結末はぜひ関心がある読者自身が読んで確かめてほしい。

一つだけ言えることがある。

「新潮45」休刊で問題を終わらせず、考えていく必要があるということ。それを編集部と作家は「文芸誌」という形で示した。