脱北者シン・ドンヒョク氏、自身の証言に一部誤り認める

北朝鮮の強制収容所で生まれ育ったとして、北朝鮮の国連人権理事会で証言し、人権状況の改善を訴えるなど、国連の対北朝鮮人権決議に大きな役割を果たした脱北者のシン・ドンヒョク氏が、自身の証言が一部誤っていたことを認めた。
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Taichiro Yoshino

北朝鮮の強制収容所で生まれ育ったとして、北朝鮮の国連人権理事会で証言し、人権状況の改善を訴えるなど、国連の対北朝鮮人権決議に大きな役割を果たした脱北者のシン・ドンヒョク氏が、自身の証言が一部誤っていたことを認めた。

シン氏は自伝「北朝鮮 14号管理所からの脱出」(2012年、日本語版刊)や国連理事会で、「高度な政治犯収容所の14号管理所で生まれ育ち、拷問を受けた。母と兄の脱走を密告して2人の公開処刑に立ち会った。その後、職場の同僚とともに脱走を画策し、脱走防止の電線にひっかかって感電した同僚の体を踏み台にして中国に逃げた」と証言した。

北朝鮮はこれに激しく反発し、シン氏の父親が「強制収容所などいたことはない」と発言する場面を収録したビデオを作成するなど、シン氏の証言は虚偽だとするキャンペーンを展開していた

しかし、1月17日付のワシントン・ポスト紙によると、シン氏は自伝の共著者に対し「6歳のころ、家族とともに14号管理所から、大同江を渡って18号管理所に移された。母と兄を密告したのは18号管理所だ」と述べた。また、何度も体を焼かれるなどの拷問を受けたのは、13歳のときではなく、20歳のときだったと認めたという。

シン・ドンヒョク氏はワシントン・ポストの記事に動揺したようだ。Facebookに、活動終了を示唆するコメントを投稿している。

(要旨)

誰でも隠したいことはある。だが、私が明かしたくない特定の過去は、もう隠すことはできない。私を支え、信じてくれた一人一人にありがたく、とても申し訳なく思う。今から私は、政治犯収容所を根絶し、抑圧された人々に正義を取り戻す、北朝鮮の体制への闘いを、続けることも、終わらせることもできる。だけど私がいなくても、皆さんは戦い続けることは可能だ。まだ、恐ろしく話すこともできない恐怖が存在しており、世界はそれを知る必要がある。これは私の最後の言葉となり、私の最後の投稿となるだろう。

これに対し、ワシントンに本拠を置くNGO「北朝鮮人権委員会」のGreg Scarlatoiu常任理事は、ワシントン・ポストに対し「14号だろうが18号だろうがアウシュビッツだろうが、何が違うというのか。シンは政治犯収容所から脱走してきたことは間違いない。自伝の核心部分は間違っていない。この若者は卑劣な拷問をくぐり抜けてきた。それは本当だ」と述べた。

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