再開発反対運動を記録した映画『下北沢で生きる』。

カタチを変えた闘いは、今も続いている。
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10月15日(日)まで、下北沢トリウッドにてある映画が公開されている。タイトルは『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』。下北沢で進む再開発に異議を唱え、15年近くも続く反対運動を記録したドキュメンタリー映画だ。2014年に一度公開されたのだが、今回はその後の話も加え、再編集した新ヴァージョン。下北沢の再開発反対運動の話は、街中を練り歩くデモ隊の姿とともに、一時期、新聞や雑誌、テレビといったマスメディアで盛んに取り上げられたから、記憶に残っている人も少なくないだろう。

闘いは今も続いているのだ。

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2013年3月23日に閉鎖された小田急の踏切は「開かずの踏切」として知られていたが、今となっては懐かしい。
NOBUYOSHI ARAKI ライカで下北沢

ことの起こりは2003年、開かずの踏切をかかえ、下北沢を南北に分断していた小田急線の地下化が決定されると同時に、それまで眠っていた魔物が目を覚ました。

魔物とは、1946年、戦後の混乱期に都市計画決定された補助54号線のこと。計画自体は、1939年(昭和14年)にはすでにあったらしい。戦前、現在の下北沢駅周辺は、武蔵野の面影が残る長閑な農村だった。そんな時代に計画された幅26mの巨大道路が、「都市計画道路補助第54号線」である。

東大駒場キャンパスの裏を走る航研通りの三角橋交差点から、茶沢通りを超え、下北沢駅横を抜けて環七(環状7号線)に抜けるというのが、補助54号線のルートだ。三角橋交差点にほど近い大山交差点から、環七に抜ける井之頭通りは、すでに拡幅工事を終えている。かつてこの三角橋交差点と大山交差点の間には、小田急線の踏切があって、朝夕の通勤時間には渋滞することもあった。けれど、そんな小田急線も今は地下を走っている。

補助54号線は、畑や田んぼのなかを小田急線と京王井の頭線が走っていた時代に、その後の下北沢駅周辺の発展や、下北沢が戦後日本のカルチャーに与えた影響など一切知らずに、誰かが地図上に勝手に線を引いた道路なのである。

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1939年の都市計画道路図。
東京都

下北沢は特別な街だ。1982年に開場した本多劇場を筆頭に、中小の劇場がひしめく"演劇の街"として知られている。また、全国でも有数のライブハウス密集エリアであり、中古レコード屋(CDではない)が集まる"音楽の街"でもある。

下北沢は"古着の街"でもある。とくにここ数年は新しい古着屋が次々とオープンし、古着ブームの一大拠点となっている。

そして下北沢は"歩ける街"でもある。戦後の大規模再開発を免れ、かつての私鉄沿線駅前の風情を今に残す下北沢駅周辺には、細い路地が入り組み、車が入りづらく、個人経営の小さな、けれど個性ある店が密集している。おかげで、歩いて街を巡る楽しさが今も残っており、その独特なサブカル臭とクリエイティブな波動とが相まって、多くの人を惹きつける稀有な街となっている。

この街の特殊性は、海外から日本を訪れる人々にも魅力的に映るらしい。2014年には、米国版『VOGUE』誌のサイトに掲載された記事「世界のクールな街15選」のなかで、下北沢がトップに選ばれ、ネット上でも話題となった。下北沢を訪れる外国人観光客の姿は、日に日に増加中である。

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下北沢の中心部を貫く、補助54号線と区道10号線と駅前広場。しかし、補助54号線の用地買収はあまり進んでいない。
東京都

そんな下北沢の真ん中を分断する幅26mの巨大道路の計画が、小田急線地下化が2003年に決定されると同時に、息を吹き返した。しかも、地下に潜った小田急線跡地の再開発、下北沢駅の建て替え、約7,700㎡になる駅前の交通広場の整備、この広場と補助54号線とつなぐ「世田谷区画街路第10号線」の新設がセットになっていた。

道路、鉄道、商業地が一体となり、街全体を激変させるこの計画は、けれど、これまで培われた"下北沢らしさ"を考慮することは、一切なかった。このままでは街の個性は奪われ、下北沢が死んでしまう。そんな危機感を抱いた人たちが、立ち上がり、結集し、声をあげ始めた。やがて、下北沢を愛するたくさんの人々がその声に賛同、反対運動は大きなうねりとなり、マスメディアにも注目されるようになる。

2006年には、「まもれシモキタ!行政訴訟の会」が結成され、下北沢の都市計画事の取り消しと無効を求めて東京地裁に提訴。法廷闘争を続ける一方、2007年からは毎年、賛同するミュージシャン、演劇人、文化人が集まり、シンポジウムやライブ、演劇公演や映画上映などを行う『SHIMOKITA VOICE』という文化イベントを開催してきた。文化的反対運動という、極めて下北沢らしい闘争スタイルといえるだろう。

映画『下北沢で生きる〜』も、この『SHIMOKITA VOICE』の賜物のひとつ。映画に記録されたイベント登壇者の顔ぶれを観れば、下北沢という街が、いかに日本の文化を担う人々に愛されてきたかが分かるだろう。

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『SHIMOKITA VOICE 2007』で開催のシンポジウム「演劇は下北沢に何を望むのか?」登壇風景。映画『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』より
映画『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』
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古い下北沢の象徴でもあった、今はなき駅前マーケットの姿。
NOBUYOSHI ARAKI ライカで下北沢

写真家・荒木経惟もそのひとりだ。2007年にアラーキーが撮った下北沢の風景は、写真展『ライカで下北沢』となり、10年以上続く『SHIMOKITA VOICE』の定番プログラムにもなっている。

映画『下北沢で生きる〜』のカメラは、失われつつある下北沢の風景を撮影しながら、街を歩き回るアラーキーに密着している。トタン屋根のバラックが並ぶ駅前のマーケットを、ファインダー越しに覗くアラーキーがつぶやく。

「ゴールデン街みたいだねぇ〜」

新宿ゴールデン街は、今や外国人も訪れる人気の観光スポットだが、下北沢の駅前マーケットはほとんど取り壊され、2017年10月現在、わずかに青果店と飲み屋の2軒を残すのみだ。

一旦古いものを壊したら、元には戻らない。たとえ不便で汚くても、そこには蓄積された時間が染み込んでいる。それは決して金では手に入らない。

道路の幅が広くなれば、接する土地の高さ制限が緩和され、より高いビルを建てられるかもしれない。地権者にしてみれば、ビルの延床面積が増えて賃料が増える。けれど、再開発の名のもとに、古い街並みを一掃し、ガラス張りの高層ビルに建て替え、大手チェーン店や高級ブランドばかりが並ぶ街の姿に、皆、飽き飽きしているのではないか!? そもそも、そんな街がよければ、渋谷や原宿は電車ですぐ近くだ。

東京都と世田谷区と原告に対し、東京地裁が和解勧告を提示し、和解が成立したのは、2016年3月30日。10年続いた下北沢行政訴訟は、一応の解決を見た。

きっかけは2011年の区長選だろう。それまで住民の話を一切聞かず、一方的に開発を進めてきた自公推薦の熊本哲之区長が、2011年の区長選挙で落選。5,000票の僅差で、リベラル派の保坂展人区長へ変わったことは大きな転機となった。

この和解成立の知らせを聞いて、下北沢の再開発問題はすべて解決したと思っている人が少なくない。しかし、である!

たしかに補助54号の第2期および第3期工区の工事は、凍結された。けれど、下北沢の中心部を貫く、肝心の第1期工区の工事決定は覆っていない。どこにでもあるようなバス・ロータリーが、駅前に作られる予定も変わっていない。

しかもこのロータリーと補助54号をつなぐ区道10号線を挟んだ南北の土地には、1m近いレベルの差がある。この差を解消するため、このままだと道路に中央分離帯が作られてしまう。かつて下北沢を南北に分断していた線路に替わって、ガードレールが再び街を分断することになるかもしれないのだ。

和解勧告以前に作られた計画案は、結局、白紙に戻されることなく、今も生き続けている。かくして反対運動は、現在、別のフェイズに入った。

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かつて大きな盛り上がりを見せた再開発反対運動だが、和解成立後、人々の関心はすっかり薄れてしまった。映画『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』より。
映画『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』

「...参加人世田谷区は、下北沢の現在の低層の街並みが地区の生活と文化を育み、下北沢を個性的で魅力のある街としていることに留意し....(略)...その街づくりの過程において、区民参加ワークショップの開催等を通じて区民等の意見を幅広く聴き、下北沢の良好な街並みの維持・発展について必要な対応をするものとする」

東京地裁が示した和解勧告の条項のひとつである。

この勧告を受けて、世田谷区は、地権者や商店街以外の住民の声を聴く試みを始めている。「北沢PR戦略会議」もそのひとつ。ボランティアによる参加者が、街の緑化やユニバーサル・デザイン化、情報発信や新しい公共空間の運用ルールづくりなど、様々なテーマについて部会を作り、活動するという仕組みで、いわゆるエリアマネジメント的試みのひとつである。

そうした試みに対して、15年近く続いた開発推進派と反対派の対立のトラウマもあり、行政側が仕組んだ単なるガス抜きに過ぎないと批判する人達もいる。一方、住民の声を一切聞くことなく乱暴に開発を進めてきた熊本区政時代に比べれば、雲泥の差だと評価する声もある。

私自身は現在、駅前広場のデザインを考える部会に所属している。なにより、駅前の姿は、再開発が進む新しい下北沢の象徴だ。その駅前が、どこにでもあるようなバス・ロータリーの風景だったらどうだろう。そうでなくても、2013年に小田急線が地下化して以来、延々と続く工事のせいもあって、下北沢駅の乗降客数はピーク時に比べて約15%も減ったといわれている。

現在、駅前広場部会では、バス・ロータリーが予定されている駅前から緊急車両以外の車を排除し、様々な用途に使えるイベント広場にできないか画策中だ。駅を降りたら、目の前に広がるヴォイド空間。何もないということは、何にでも使えるということでもある。それこそ、新しい下北沢の顔に相応しい空間ではないか。

そして、こうしたボランティア活動のなかで感じるのは、広範囲に渡る大規模再開発にも関わらず、その中心が見えない不思議さだ。

たとえば、現在工事が続く小田急線下北沢駅は、2018年度末、つまり2019年3月には完成する予定である。しかし、その時点で駅前のロータリーにバスが入ることは、土地買収の状況を考えるとまず不可能。改札を出ると、駅前に工事中の仮囲いが居座っている。新駅完成後も、そんな状況がさらに数年間続く可能性が高い。

さらに、東北沢駅 下北沢駅 世田谷代田駅と続く、小田急線跡地の上部利用についても、現在、ゾーニング案だけは発表されているが、具体的にどんな施設ができるのかは発表されていない。駅から茶沢通りに抜ける井の頭線の高架下がどうなるのかも、いまだにまったく見えない。

グランドデザインがないのだ。東京都と世田谷区、小田急電鉄と京王電鉄、そして地権者、それぞれの垣根を超え、トータルな視点で新しい下北沢をデザインする、人も部署も組織もない。それぞれがバラバラで、開発に対する一貫したコンセプトがあるようには思えないのだ。

推進派と反対派に分かれて対立する、単純な時期は過ぎた。現在は、相手の懐に入り込み、進行中の計画をより"下北沢らしい"方向に軌道修正してゆくという、複雑で難しい戦略の時期にある。だからこそ、下北沢を愛するたくさんの人々から「バス・ロータリーなんていらない!」という応援の声が必要なのだ。

まずは映画『下北沢で生きる〜』を観ていただきたい。上映後には、いくつかトークイベントも予定されている。変わりつつある下北沢で何が起こっているのか、それを知って欲しい。そしてできれば、より多くの人に拡散希望なのである。

■ 映画情報

タイトル:『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』

ナレーション:柄本佑

監督・撮影・編集:山田正美

製作総指揮:大木雄高

企画制作:シモキタヴォイス実行委員会

上映開始時間:上映は15:30(7~9日)、17:00(11〜13日)、11:00(14〜15日)、10日(火)定休。

料金:一般1,400円、学生・シニア1,100¥、世田谷区在住・在勤者1,000円。

問合せ:下北沢トリウッド:東京都世田谷区代沢5-32-5 シェルボ下北沢2F ☎03-3411-0433

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『下北沢で生きる SHIMOKITA 2003 to 2017 改訂版』