「原節子の死」に思う「斎王」の運命

神を祀り、神と結ばれ、神そのものとなるのが女優である。女優と巫女の歴史を探ってみれば、意外な古代史がみえてくるはずだ。
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(GERMANY OUT) Setsuko Hara (nee Masae Aida)*17.06.1920-actress, Japan, dressed in a festival kimono, date unknown, probably around 1940, published in Das Reich 2/1941, photo by Arnold Fanck (Photo by ullstein bild/ullstein bild via Getty Images)
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2015年9月に、銀幕の大女優・原節子が亡くなっていたことが明らかになった。

引退後、驚くほどきれいに世間から姿をくらました。原節子は伝説となり、神秘性は深まり、神格化されていった。

そもそも女優と「神」は、近しい間柄にあった。女優の原型は「巫女」で、神を祀るのが、本来の役割だったのだ。神を祀り、神と結ばれ、神そのものとなるのが女優である。

女優と巫女の歴史を探ってみれば、意外な古代史がみえてくるはずだ。

最古の女優・アメノウズメ

『日本書紀』の天の岩戸隠れ神話で、女神のアメノウズメ(天鈿女命)は「俳優(わざをき)」をしたと記される。アマテラス(天照大神)が隠れた岩戸の前で、舞い、演じ、神を慰め、神意をうかがった。アメノウズメは女優第1号だ。

『古事記』の同じ場面では、アメノウズメはヌードショーを始めている。こちらの方が、古い伝承だろう。連載中述べてきたように、もともと日本の太陽神は男神だったから、アメノウズメは服を脱いで神の歓心を買ったのだ。

天孫降臨神話でも、女優・アメノウズメは活躍する。

アマテラスの孫・ニニギ(天津彦彦火瓊瓊杵尊=あまつひこひこほのににぎのみこと=)を地上界に降ろそうとすると、天八達之衢(あまのやちまた、天上界の分岐点)にサルタヒコ(猿田彦大神=さるたひこのおおかみ=)が待ち構えていた。

鼻の長さ七咫(ななあた)、背の高さ七尺(ななさか)の大男で、口、尻が輝き、目は八咫鏡(やたのかがみ)のようで、照り輝く様は赤いホオズキのようだった。同行する他の神々を次々に遣わしたが、サルタヒコの眼力に敵う者はいなかった(霊的な力が強く、恐ろしく、はね返された)。

そこで最後の切り札として遣わされたアメノウズメは、胸乳を露わにし、裳の紐を臍の下まで垂らし、嘲笑いながらサルタヒコに対峙する。その結果、サルタヒコはニニギを地上界へと先導することになったのだった。

このように、芸能のはじまりはアメノウズメの「神遊び(神前で歌舞を演じること)」に由来している。また、アメノウズメがたびたび服を脱いだのは、神と性的な関係を持つためだ。

人身御供を終わらせた「神遊び」

日本人にとっての「神」は「大自然そのもの」「宇宙」「森羅万象」で、天変地異をもたらす恐ろしい存在だった。「天皇を手にかけると恐ろしい目に遭う」と、日本人が漠然と信じてきたのは、天皇も「神のような存在」だったからだ。

大自然の猛威に人間は無力だから、日本人は神を恐れ、ひたすら祀ったのだ。また、「神遊び」をする以前の原始の巫女は、人身御供として災難をもたらす恐ろしい神に差し出される存在だったようだ。

スサノヲ(素戔嗚尊=すさのおのみこと=)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話は、まさに太古の神祀りの名残だ。乙女(巫女)を奪おうとする八岐大蛇をスサノヲは退治した。それまで巫女は、大自然の猛威や災害から人びとを守るために、生贄、人身御供として殺されていたのだろう。ヤマトタケルに同行していた妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)が、嵐の海に飛び込んだと記されたのは、民族の太古の記憶そのものと言っていい。

『魏志倭人伝』にも、興味深い記事が載っている。倭人は航海する時「持衰(じさい)」と呼ばれる人間を連れて行き、目的地に無事にたどり着けば褒美をあげるが、舟が沈みそうになったら殺してしまう、と記している。

やがて、人身御供はなくなる。「神と遊ぶ」「性的関係を持つ」ことによって、神をなだめすかすことができると、人びとは考えるようになったのだろう。

やがて巫女そのものも零落し、彼女たちは「遊び女」となっていく。神社のまわりに花街が発達したのはそのためで、世の男どもは、神のおこぼれを頂戴しに、神社に群がったのだ。女優がセックスシンボルとなるのも、芸能が神と巫女の関係の延長線上にあるからだろう。

「妹の力」と国家安泰

神と巫女の性的関係は、神道の基本のようなところがある。

天皇は未婚の親族の女性を斎王として斎宮に送り込み伊勢の神(男神のアマテラス)を祀らせたが、斎王は処女でなければならず、また任を解かれた後も、原則として結婚を許されなかった。理由は、斎王がアマテラスの妻になると考えたからだ。

さらに、男神と交わった巫女は、神から授かった力をミウチの男性に放射すると信じられていた。これを、「妹(いも)の力」と呼んでいる。斎王がアマテラスと結ばれ、そのパワーを天皇に送りつづけることによって、国家安泰は約束されたのだ。

女優の原型でもある巫女には様々な形があるが、「永遠の処女」と言われ、現実の世界では1度も結婚しなかった原節子には、この斎王の匂いを感じる。

物欲にまみれた高度成長期の入口で、原節子は、戦後の日本人が失ってしまった「気高さ」「気品」そして、「人びとのぬくもり」の遠い記憶とともに、古き良き時代のシンボルとなって、神に近づかなければならない存在だったのかもしれない。

関裕二

1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』(以上、新潮文庫)、『伊勢神宮の暗号』(講談社)、『天皇名の暗号』(芸文社)など著書多数。

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(2015年12月7日フォーサイトより転載)